悠久の歌も微かに聞こゆる人麿の杜から – 島根県

「石見のや 高角山の 木の間より わが振る袖を 妹見つらむか」・・
(石見(いわみ)の高角山(たかつのやま)の、木々の間から 私が振る袖を、妻は見てくれただろうか。)

何というか・・身につまされる詰まされるような、それでいて暖かな夫婦の情愛が伝わってくるような趣深い歌ですね。
石見国(現在の島根県西部)出身ともされる、柿本人麻呂が その才を買われ都へと出仕する途上、高みの峠から故郷と そこに残る妻を偲んで詠んだ歌と伝わります。

柿本人麻呂 歌聖と呼ばれ三十六歌仙のひとりと謳われ、山部赤人らとともに万葉集・小倉百人一首などで広く知られる飛鳥時代の歌人です。

風雅と縁遠くなった現代においても その名のみこそ知るという方は多いはず。 これもまた近年では減少傾向にありますが、3月の雛祭りで飾る雛壇、広さのある家でフルセットで飾った場合、5段 内裏雛以下15体の人形飾りとなるのが通常なれど、江戸期よりこの組み合わせに加え “三賢女” “能の演者” そして “三歌人” が加えられることがあり、その歌人に “小野小町” “菅原道真” とともに佇んでいます。

 

歌聖 柿本人麻呂をお祀りした柿本神社、また人麿神社は全国でおよそ400を数えるそうですが、島根県益田市には二つの柿本神社が在り、この地域と人麻呂との縁の深さを思わせる次のような民話が残っています。

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昔々、戸田の村に「語」という名の家があった。その語家の庭には極めて古くまた立派な柿の木があった。

ある日の夕刻、どこから来たのか見知らぬ童がひとり その柿の木のたもとで心元なさそうに佇んでいる。夕飯の用意をしていた家人がそれに気づいて童のそばに寄り「何処ん子じゃ? 何処んから来んさった?」と尋ねたが首を横にふるばかりで要領を得ない。
その内ようやく口を開いたと思うたら「帰る家など無し、父母も無し」「有るは歌詠むばかり」などと言うので不憫に思うた家人に夕飯を与えられ、その後 語家で育てられることとなった。

人丸と名付けられた童はやがてすくすくと育ち 歳とともに家人とともに野良仕事に精を出すようにもなったが、暇があると藪や路端にある大きな岩に向かって何やらカリカリやっている。何をしているのかと見てみれば、手にした鎌の先で岩に歌を刻んでいたのだった。

当時の民草にはそれを読むことさえ叶わなかったが、学識のある者が見ると驚きを隠せないほど良く出来た歌文であったそうな。
その岩は今でも残っているそうな・・・
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又、こんなユニークな話しも残っています。

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昔、いづこからとも無く現れ その家の子となった人丸さん
いつも家の人といっしょに山に草刈りに行きなさった

家の者が草を刈っている間、人丸さんは側にある大きな岩の上で遊んでなさる
大方の仕事が終わって「おい、人丸、去のうぞ(帰ろうか)」と家の者が声をかけると

「ほい!」と答えて岩の上に立ち パンパンパンッ!と三つ手を叩きなさる
すると刈り散らした草がさらさらと人丸さんの足下に勝手に集まってきやる
人丸さんはそれをかたげて帰らはったと・・

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柿本人麻呂は千数百年の時を経て語り継がれる歌人でありながら、その出自や経歴について判明していない事も多く、残された雅な和歌の多さに比して持統天皇の頃に活躍したであろう事や、ある程度の官職を務めていたであろう程度の見識しかありません。
そんな人麻呂はその晩年を石見国(島根県西部)で過ごしたという見解がありますが(子孫も石見の国人となり益田姓となった)ご紹介した民話もこれらの事と結びついているのかもしれませんね。

 

その石見国における柿本人麻呂神社、益田市では 高津町に一社、そして戸田町に一社が現存しています。

『高津柿本神社』 は奈良時代、人麿呂の没地とも伝わる鴨島に創建されたと伝わりますが、その300年後に起こった大地震によって島は失われ、高津松崎の浜に流れ着いた御神体を元に建て直されたと伝わる妙縁の社です。

『高津町 高津柿本神社』

島根県益田市高津町上市イ2616-1 益田市観光ガイド 高津柿本神社→

 

『戸田柿本神社』 は江戸時代、津和野藩主・亀井茲親による創建と伝えられますが、上でご紹介した人麻呂伝承にまつわる “人麿七体像” が安置される、これまた妙縁な社。事前連絡によって見学も可能なのだとか・・。

『戸田町 戸田柿本神社』

島根県益田市戸田町イ856 益田市観光ガイド 戸田柿本神社→

稀有なる歌人 柿本人麻呂の出自と終焉にまつわる益田の地と神社、悠久の時を越えて今尚、歌聖の残した古の情緒を伝えています。

 

 

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