竈の神は福の神そして笑いの神なのか(後)- 宮城県

飛鳥時代、律令制の頃から現在の宮城県を含む東北地方は “陸奥国” とされ、その名のごとく “道の奥” 、当時 知られていた文化圏から離れた遥か森の向こうの国と認識されていました。

しかし、それだけに 深い森に閉ざされた国では、緑に抱かれ生きる人々の 自然との触れ合いと暮らしを基にした数知れぬ伝承が今に語り継がれているのです。

 

深い山の中で異界に迷い込むという話は、昔話の定番としてよく登場するもの。

爺さんが訪れた穴の中の世界は、紛うことなく人の世とは異なる世界であったのでしょう。
異界に渡ってそこで何らかの活躍をするもの、無上にもてなされた挙げ句一瞬にして全てを失ってしまうもの、この話のようにお土産をもらって帰って来るものなど色々ありますが、何にせよ とにもかくにも夢の中のような異界での出来事・・。

爺さん、この先どうなってしまうのでしょうか・・・。

 

ーーー
はてさて 美酒にご馳走に満腹になって ウツロウツロしておった爺さん
ひと心地ついたころに はたと気づいた

婆さんは今頃どうしておるじゃろうな・・わしが帰らんのじゃからな・・
ずっと ここでこうしていたい気分じゃが婆さんを放ってはおけん

ご主人さん こちらこそ ご丁寧なおもてなし有難うございんした
そろそろ おいとまさせてもらいます と爺さんが告げると

ならば本日のお礼に これを土産に持ち帰りなされと福の神の爺さま婆さま

奥から出てきたのが 色の薄黒い小こい 男の童っ子じゃったと

何じゃろう この子は・・ 色も黒いし見てくれもあんまり良くねぇし
もひとつ欲しくねぇような童っ子じゃったが せっかくくれたもん無下に断るわけにもいかねぇ こりゃまぁ有難うさんでと 貰うて帰ることにしたんだと

 

家に帰った爺さん 帰りが遅いのを心配して待っておった婆さんを前に
今日 山であったことを みんな話して聞かせたそうな

驚きながら爺さんの話を聞いておった婆さんじゃったが

「ともかくも良かったでねか うちにゃ童っ子いねえし大事に育てるべ」と

それから二人して この小こい童っ子を育てたんじゃと
名を “ひょうとく” と名付けたんじゃそうな

 

ところが この “ひょうとく” 毎日飯を食わせて大事に育ててみるものの いつまで経ってもさっぱり大きくならん

それに どこかに遊びに出てゆくでもなく 来る日も来る日も囲炉裏端に座り込んで自分のヘソの掃除ばかりやっておるではないか・・

妙な童っ子じゃなぁ 毎日毎日ヘソばかり触っておって・・爺さんは不思議に思っておった

「どうした? “ひょうとく” なぜにお前はそうも ヘソばかり弄っておるんじゃ?」

爺さん “ひょうとく” のヘソのあたりをするりと さすってみると・・

どうしたことか ポロンと何か固いものが出てきたではないか・・
見ると それは一枚の小判であったとな

こりゃま一体どうしたことか? この童っ子の腹はどうなっとるんじゃ? と
もう一度 さすってみると またポロンポロンと二枚の小判が出てきたとな

こりゃぁ エラいことじゃ この童っ子は宝をもたらす童っ子じゃったか と大喜び

それからというもの 毎日三枚の小判をヘソから出す “ひょうとく”
おかげで爺さん婆さんの所帯は 餅代どころか近所も羨むほどの金持ちになったそうな

 

そんな ある日 用あって里に出掛けた爺さん

ひとり家に残った婆さんは いつものように “ひょうとく” のヘソから小判を取り出しておったが ふと(三枚以上は出て来んのじゃろうか?)と考えてしもうた

既に三枚取り出した “ひょうとく” の腹をまさぐっても 何やら固いものはありそうじゃが
とんと その先は何にも出そうにない

ヘソの穴っこ広げれば出てくるかと意地になったか ついには囲炉裏にあった火箸を突っ込んでグリグリグリと・・ すると小判が出て来るどころか “ひょうとく” キュゥと哭いて そのままコロッと死んでしもうたとな・・

エラいことをしてしもうた 欲をかいて大事な童っ子を死なせてしもうたと 婆さん後から嘆いたが もうどうにもならん

用から帰ってきた爺さんも 事の次第を見て 罪も無ぇ子に何ちゅう事するんじゃ と嘆いたが もうどうにもならん 二人泣く泣く “ひょうとく” を弔ろうたのじゃと

 

銭に切りがついてしもうたのも惜しいが 息子代わりに育ててきた子を失うたことが何より痛い  爺さん その日から山へも行かず 肩を落として暮らしておったが・・

ある日の晩のこと 爺さんの夢枕に “ひょうとく” が立った

「爺ちゃ 爺ちゃ オラがいなくなったとて悲しまんでくれ」
「オラに似た面をばこさえて(作って)竈の柱ンとこ飾ってくだせ したら良い事有っから・・・」

そう言うと消えていったとな・・

夢から覚めた爺さんは さっそく腕によりかけて面を彫ったそうな

“ひょうとく” 顔立ちは笑えんもんじゃったとて 面も面白げな顔立ちとなってしもうたが それでも良ぇ 可愛い童っ子を思い出して むっためがして彫ったそうな

彫り上げた面白げな面は “ひょうとく” の言うとおり竈の上の柱にかけられた

すると どうじゃ それからというもの 爺さんの所帯は銭に困ることもなく無病息災で安泰に暮らせたのだと

“ひょうとく” の面は “カマ神さん” と崇められ いつしか福と笑顔をもたらす “ひょっとこ” となって人々から愛されたのだそうな・・

ーーー

 

爺さん 穴に薪投入、婆さん 腹まさぐりと、二人揃って割と意地になるタイプなのでしょうかw。それにしても腹に火箸とは無茶が過ぎますが・・何にせよ結果的に一応ハッピーエンドとなって良かったですね。

爺さんが彫った面「カマ神」は、文中において “ひょっとこ” の元になった珍妙な面持ちと表現されていますが、現在 指定文化財として残されている「カマ神」様のお顔は、面白いと言うよりも 正直言って “怖い” です (^_^;)。 画像などは コチラ から(宮城県〈県指定有形民俗文化財〉カマ神)

「カマ神」は火の神であり、同時に「土公神」は土の神であり、家内において人々の口を満たす “竈の場”=”煮炊きの場”=”台所” 、重要な場所を護る神でもあるので、”魔を退ける” という加護を成してくれる反面、不心得なことをすると “罰” や “祟り” をもたらすという厳しい側面をも持ち合わせています。

昔、竈のある場(火を扱う場所)は土間であることが多く、また総じて暗い場所でもありました。生活の中にひっそりと佇む暗き場所は異界に通ずる神聖な場所でもあったのです。

人々に笑いをもたらす道化の者 “ひょっとこ” との関わりを考えてみると、”火男(ひおとこ=ひょうとく)” から転じたということ以外に関連性は無いようにも思えます。 もしかすると元々は全く異なる出自に発生したものなのかもしれません。

しかし、仮にそうだとしても、いつしか “カマ神” と “ひょっとこ” は習合され、ひとつの連なって民話が創造されるまでになりました。

人々の生活を護る厳粛な神と、人々に笑いをもたらす道化をひとつにすることで、その性格を中和させ、より人々に寄り添った近い存在となる・・ これも自然とともに生きる人々の知恵だったのかもしれませんね。

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