竈の神は福の神そして笑いの神なのか(前)- 宮城県

英語で「clown(クラウン)」という言葉があります。

「crown(クラウン)」王冠や 有名な国産の乗用車の名前とは異なります。(l ≠ r)
「clown」は “道化師”、日本では一般に “ピエロ” を表す単語で、皆様もよくご存知のハンバーガーショップのキャラクターでもお馴染みですね。

お客に対して笑いや高揚をもたらすための役回りである道化師、海外文化においてはサーカスや祭り・パレードなどにおいて登場し、場の盛り上げに尽くしますが、古くは大道芸などで活躍し、また貴族階級の雇い芸人としても重用されたそうです。

 

こういった “道化” の役回りを演ずる演者・風習は古今東西、時代や文化を問わず世界中に存在したようで、その存在は 基本的に “おどけ者” “愚か者” “田舎者” の意味を持ちながら、時に “意外な能力” をも持ち合わせている点でも共通することが多いようです。

日本の古来文化でいう道化者といえば やはり “ひょっとこ” でしょうか。

頬被りに垂れ眉毛、まんまる目玉、すぼめて突き出した口先と、非常に特徴的な面持ちで滑稽な踊りを舞う “ひょっとこ”、田楽、神楽で活躍し、民間芸能の三枚目役者として古くから親しまれました。 その端緒は室町時代 あるいはそれ以前ではないかとも言われ、狂言・歌舞伎の道化方とはまた違った、より民衆の風俗に近い “笑いの者” として舞い続けてきたのです。

“ひょっとこ” も “おどけ者” であるとともに “愚かな者” “田舎者・もの知らず” の性格をあてがわれており、珍妙な顔つきと動作でそれを表現しますが、愉快な振る舞いの向こうに神性に通ずる存在感を有しています。

 

近年はテレビ番組などでご承知の方も多いかと思われますが、”ひょっとこ” の語源は “火男” だとも言われています。 ウィンクでもしているかのように閉じられた片目や特徴的に突き出した口は、竈(かまど)の火を煽り燃え立たせるために空気を吹き込む男の表情でもあった訳ですね。

そう、”ひょっとこ” は “かまど” に非常に結び付きの強い特別な存在であり、それは「窯神(かまがみ)」そして「土公神(どこうしん)」と呼ばれる “かまどの神” であり “火の神” また “土の神” を元としていたのです。

“ひょっとこ” そして “かまど神” は全国で知られる存在ですが、特に東北地方などでこれにまつわる民話が残されており、本日はその中から宮城県に伝わるお話をご案内したいと思います。

 

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昔ァし 昔ァし 山裾の村にな 爺さんと婆さんが住んでおったんだと

年も押し詰まって餅代も事欠くありさま このままでは竈で飯も炊けねぇ
柴でも刈って銭っこさこしらえるべと 爺さん山さ上って むっためがして(懸命に)柴刈ったんだと

お天道さん上がる前から暮れかかるまで 来る日も来る日も刈り続けたはんで
終いにゃ一年丸々焚けるほどの柴が刈れたんだと

こんだけ刈れりゃ 里に運んでも何ぼかの銭になるかな とばかり
積み上げた柴を眺めておると その少し向こうに穴っこが あンではねぇか・・

ありゃぁ? あげな穴っこ昨日はあったべぇか・・?
キツネのもんにしちゃ でっけえし クマのもんにしちゃ小せえ

どうすんべぇか と思うたが とりあえず今日は蓋でもしといて
明日また ゆっくりと覗いてみるかと 蓋になるものを探したけんど丁度良いものが無い

しょうことない 今しがた刈った柴を二束ほど 突っ込みゃあ塞がるかと 入れてみると
どうしたわけかスルスルと穴の奥に吸い込まれてしもうた・・

ありゃ? こりゃまぁ 思うたより深い穴なんかのう・・

もう二束入れてみると またスルスルッと吸い込まれるように入って見えなくなってしまう

どうなっとるんじゃ? こりゃあ? と思いながらも 爺さん半ば意地になっとたのか
次から次へと柴を入れてみては吸い込まれてゆく ついには せっかく刈り取った柴をみんな入れてしもうたとな

山と積んであった柴がスッカラカンになって ようやく気がついた爺さん

あ~あ~・・あれほど有った柴をみんなつぎ込んでしもうた
馬鹿なことをしてしもうたかのう・・ と肩を落としておったとき

「爺さま・・ 爺さま・・」

どこからか 小さな声で呼ぶ声がする・・ だけども辺りを見回しても誰もおらん・・

 

はて? 誰かがわしを呼ぶように聞こえたが・・と爺さん思うた時 下の方から

「爺さま・・ 爺さま!」

見ると さっきの穴から そりゃ めんこい小さな姫さんが出て来てのう

「爺さま 今日は柴を一杯もろうて有難うございんした」
「お礼に 家でご馳走すっから 我といっしょに来てくだせ」

あまりの出来事に 爺さん おったまげたが 姫さん懸命に頼むので ついて行くことにした

 

狭い穴を何とかくぐって 恐る恐る入っていったが 少し進むとにわかに坑道も広くなり
やがて どこにこんなに広い土地が有ったのかと思うほど開けた場所に出たそうな
穴暗がりのはずなのに 辺りはほうほうと光に満ちておる
そしてそこには 近在じゃ見たこともない大きな御殿が立っとるではないか

爺さん二度おったまげながら 姫さんの後について御殿に入り奥の座敷に通されたんだと

そこには真っ白な髪を綺麗にまとめた 福の神のような爺さま婆さまが座っておる

「今日は たくさんの柴を頂いたそうで 誠に有難うございんした」
「礼と言うては何だが 今夜はゆるりと楽しんでいってくだされ」

見る間にたいそうなご馳走が広間に運ばれ 良い香りの酒が注がれ
爺さん今まで味わったことのない美味い酒ご馳走で夢心地

もうこのまま ここに住んでいたいような気持ちの中 やがて腹一杯になったんだと・・

ーーー

 

山の中で出会った穴に物を入れて喜ばれ、大層なもてなしを受けるというのは「おむすびころりん」で知られるように、民話において よく見られる類型です。 よこしまな気持ちを起こさないかぎり爺さんハッピーエンドとなるわけですが・・。

はてさて、冒頭で取り上げながら これまでのところ “ひょっとこ” も “かまど神” も出て来る様子がありません。どうなっているのでしょう・・。

それは・・、後編をお待ちくださいませ・・ m(__)m。

竈の神は福の神そして笑いの神なのか(後)→

 

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