金のなる木 そして悠久の桜(後)- 佐渡ヶ島

「これほどに身の温まる草の実を ひえの粥とは誰かいふらむ」

朝廷権力の復興を夢み そして破れ配流となった順徳天皇が傷心の中この島へ上がった折、島の老婆から振る舞われた”稗の粥(ひえのかゆ)” に感動して詠まれた歌です。

”稗” は白米に比べて質素で美味とは言い難いものの、その栄養価は高く健康的な穀物と言われています。
島に流れ着いた姫もこの粥で元気を取り戻し、姫から生まれた男子もこの粥を食べてたくましく育ったのかもしれません。

ててなし子 どころか高貴な血をひく身の上を知り、その上 母の不遇までも聞かされた子は戸惑うどころか 自らの足で人生を歩むことを決意します。

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『 母さ 俺は都へ行く 俺を都へ行かせてくれ! 』

立ち上がり雄々しく言い放つ我が子に母は言葉を失った

それを聞いた爺婆も驚き まだ年端も成らぬのにと思い留まるよう諭した

しかし 子の決意は荒波に立ち向かう岩のように固く
また 都を見据える目は広がる海のように深く澄んでおったそうな

「・・わかりました」

天下人の血がそうさせるのか もはや説き伏せるのも無理と悟った母は
この島へ流されて来た時から離さず持っていた小袋から、一朱金二枚を出しこれを子に与え

「思うところを果たしたなら 必ずこの島へ帰って来なさい」 と言い諭したそうな

不安げに見送る爺婆と母を残して子は島を後にした

佐渡から都へは荒海を渡してなお百里の途次を越えてゆかねばならん

この旅は年端いかぬ子供に多くの苦しみを与えたが また多くの知恵をも もたらした

ようよう都の土を踏んだ時には 子はまた一回りも二回りも大きな人となっておった

さて 都へ入った子は一計を持っておった

都の真ん中 堂々とそびえ立つ君主の館の前まで来ると 小脇にそっと忍び
母からもらった一朱金 これまで何とか使わずに持ちこたえてきた残りの一枚を出すと これを石で粉々に打ち砕き小さな小石のようにしたのじゃ

そして それを丁寧に紙に包み 懐におさめると

「金のなる木はいらんかぁ! 金のなる木は欲しゅうないかぁ!」

と元気な声を張り上げながら君主の館のまわりを回りだしたそうな

道行く者からは奇異な目で見られ 館も静まり返っておったが 何日目かになった時
館の中から人が出てくると声をかけてきた

「これ 小僧 お上がお召しである こちらに参れ」

重々しく振る舞う使いの者の後について館に入ると 次から次へと建物を抜け 左右に大きな庭を眺めながら廊下を渡り また階段を上り やがて奥の座敷にとおされた

これが 殿上人の住まいかと感嘆しながら そして平伏しながら しばし待っているとやがて襖が開きお上が御出座(お出まし)になられた

「面(オモテ) を上げよ」

お上の声に少し顔を上げた

「そなた 金のなる木 なるものを売り歩いているそうだが まことか?」

厳かな声が響く

「はい まことにございます」
「これなるが 金のなる木の種にございます」

懐から紙包みを出し お上の前でそれを開いた

「ほう それが金のなる木の種とな・・」

「はい これを火鉢の中に蒔き 日毎に茶の肥やしを与えるとやがて芽が出 金のなる木となりまする」

「なるほどのう・・」

不思議そうな面持ちで紙包みを眺めるお上に 子はここで意外なことを言い放ったそうな

「ただし上さま この金のなる木は とある者だけにしか芽吹かせることが出来ませぬ」
「とある者? とある者とはどのような者じゃ?」

「はい とある者とは 生まれてこのかた屁をこかぬ者に限るのでございまする」

「何? 生まれてこのかた屁をこかぬ者じゃと?」

「はい まことにさようでございまする」

この言葉にお上は気色ばんだ

「愚か者が! この世に生まれてこのかた屁をこかぬ者など居るまいが!」

すると そこで子はふつと身を起こし

「ならば上さま 何故に俺の母さまを 屁をこいた罪なんぞで都を追われましたか!」

思いもよらぬこの言葉にお上も周りで控えていた者たちも あっけにとられたように言葉を失い 広いお座敷はしんと静まり返ってしもうた

「すると そなたはもしや・・」

ふるえるような声でお上が口を開いたそうな

思わず上段からすり下りると周りの者の止めるのもかまわず 子に膝すり寄せその顔をのぞきこんだ
何ということ 近くに寄ってよく見れば 流した姫と瓜二つの顔立ちではないか

「たしかに そなたの言うとおりじゃ あれは何としても予の間違いであった」
「そなた達には辛い思いをさせてしもうた 母は今どうしておる?」

お上は子に母のこと 今までの成り行きのこと あれこれ問うた

そして それからすぐに主だった家来を供に付け佐渡へと姫を迎えにやらせたそうじゃ

しかし 悲しきかな咲く花がいつか散るように 子と供の者達が島に着いたとき姫はすでにのうなっておった

流行り病にかかり子の帰りを待つことなく彼岸へ旅立ってしもうたのだそうな

一行は泣く泣く姫の墓へ参るとその脇に桜の木を植え また都へと引き換えしたそうじゃ

その後 子はお上の世継ぎとなって良い政(マツリゴト)を成したと言われておる

島に残した桜は末長く咲き誇り この話とともに島人達によって語り継がれ

”小木の三崎の四所五所ざくら 枝は越後に葉は佐渡なれど 花は都の城に咲く”

と今に至るまで 歌にも残っておる

– – – – –

佐渡の風物として有名な「佐渡おけさ」 これの基となったといわれるものに「小木おけさ」というものがあります。
お話の最後でご紹介した歌はこの小木おけさの一節として今も聞くことが出来ます。

さて、物語前編でお話ししましたように この桜は順徳天皇 御手植えの桜として島の名勝となっていますが、お読みになられたように順徳天皇とお話に登場した御子とでは全くその足跡が異なってしまいますね。

お話の原典から読み解くにこのお話自体が順徳天皇の頃よりかなり後世に作られたものと思われます。 おそらくは”御所桜” をモチーフに創作されたものかもしれませんが、歌の最後の一文 ”花は都の城に咲く” の部分を見る限り順徳天皇よりも島に残る民話の方を主題に歌が残されたように思えます。

語り継がれる伝承は時として事実と異なり多くの混沌をも抱えますが、それだけに尚、魅力に満ちたものなのかもしれませんね。

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