どじょうの町の謡と踊りと道の駅 – 島根県

今の時代に・・と言われればそうかもしれませんが、近年聞いたり見たりする機会が減ったものに、地方毎の民謡や民踊(図らずも同音異義語)があります。

どうでしょう・・、40年・・位前まではテレビの “のど自慢” や “演芸・名人会” 番組などでも時折見掛けたものですが・・。 70年代後半から80年代にかけて世に知られ、”民謡界の百恵ちゃん” と異名をとった “金沢明子” さんブームからでも同様の時間が経っていますね。

元々は その地方の暮らしや祭事に密着した芸能であるだけに、国内どころか国家どうしの距離さえ近くなった現代には、その意義そのものが薄まってしまったのかもしれませんが・・。

その土地の風土や民の想いを色濃く伝える これらの民間芸能は、歴史の資産として守り伝えていくべきものだと思うのです・・。

 

などと、分かったような口を利いていますが、私も若い時分は民謡にも民踊にも興味などありませんでした (^_^;)。 地方に伝わり残る伝承・民芸・方言などに意味や価値を感じるようになったのは、自分自身もそれなりの歳を刻んだからなのでしょうか・・。

そんな若い頃、民芸・民踊の中でもひときわ記憶に残っているのが、島根県安来地方に伝わる『安来節』です。 付きものである「どじょうすくい」踊りとともに、先述の演芸番組などでもよく見られました。

まことに恐縮ながら当時はその謡や踊りの内容よりも、頬被りをしてザルを振るう踊り手さんの、鼻先に掛けた紐と銭の鼻当ての方が目についてしまい、あまり身を入れて見たことがありません。

しかし 今改めて見聞してみると、その謡は七五調をベースとしながらも牧歌的な、そして時にアイロニーも交えた滋味深いものであることが分かります。

また、特徴的な踊りは単に笑いを得ようとするだけのものではなく、節に乗りながらもリアリティな所作と滑稽さを高い次元で表現しているのです。

そもそも謡・踊りともに流派はあれども定型の型がなく、高度の即興性が求められるものだそうで・・奥深さには計り知れないものを感じますね・・。

 

一説に “出雲節” をその源流に持つといわれる『安来節』。 波穏やかな中海に接し、境港や七類など往来賑わう港にも近かった安来の地は、古くより北前船をして西は長崎・博多から、北は青森そして小樽・余市に至るまで、物資とともに各地の文化風俗が通う中継地でもありました。

「雨ではことづけ 風では便り・・」と唄い出す、海運と船乗りに想いを寄せた謡は様々な風土を内包しながら当地独自の謡として醸成されていったのでしょう。 いわば出雲節と安来節は半ば同義の民謡でもあり、それが時を数えるうちに “お座敷小唄” “賑やかしの座興” として用いられるようになったと思われます。

江戸時代後期に唄われた「さんこ節」という座敷唄(”おさん” という芸子による即興唄)が源流のひとつといわれることからも、安来節の本質が即興を基盤としながら、集う者たちを笑わせ楽しませる座興的な成り立ちを持つことが分かります。

後には各地の舞台演芸にも組み込まれるなど、百年を優に超えて人々に愛され親しまれてきた所以でありましょう・・。

 

とは言うものの、如何な名物であれ時代がもたらす盛衰には抗い難いもの。

江戸末期から明治・大正時代の隆盛をピークとして、他の多くの民謡と同じく安来節・どじょうすくいも、これを楽しみ嗜む人口は減少の道を辿りました。 ある意味 その下降線は現在も続いているのかもしれません・・。

発祥以来200年にも数える安来の文化を後世に受け継ぐために、官民問わず様々な施策が行われているのも その対応のひとつであり、地道な運動は小さいながらも一つ一つ未来に向けた種を確かに植え続けているのだと思います。

今回の記事のきっかけとなったのは安来市にある道の駅ですが、これもその現れのひとつといえるでしょうか。

何せ駅名のインパクトが目を引きました。その名も『道の駅 あらエッサ』
安来節に由来する駅名としてこれ以上のものはないでしょう。 できれば “あらエッサ” を “あらエッサ!” もしくは “あらエッサッサー!” にしてほしかった気もしますが・・w。

 

「神話のふるさと、島根の東の玄関口。 中海のグルメ、採れたての旬、観光情報が満載!」 のコピーのごとく、出雲国の東、中海の入江にあって水と緑に恵まれた道の駅。

一見、変哲のない田舎の道の駅にありながら、水路の向こうには太古 天穂日命(アマノホヒノミコト)が降り立ったとされる “穂日島”。東に半里ほど上れば士分の時代の要衝であった “米子城跡”、そして西に下れば言わずもがな出雲国の都邑が控えています。

明治時代の古民家を移築改装したレストラン「中海の郷」では “しまね和牛” の料理は言うに及ばず、やはりこれ!安来名物 “どじょう料理” でしょう。 古い時代にはごく普通にあった いわば庶民の料理だったのでしょうが、現代において “どじょう” が生息する環境は極めて少なく “どじょう料理” は まさに一品料理・高級料理の域に達してしまっています。

「安来節」の明るく牧歌な謡、「どじょうすくい」の滑稽な踊りを思い出しながら舌鼓を打つのも一興というものではないでしょうか・・(^^)。

『道の駅 あらエッサ』 公式サイト

『安来市観光ガイド』 公式サイト

Amazon:『北前船が運んだ民謡文化 三隅治雄』

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