福井県は東北から南西にかけて長い形をしています。
古く越前国であり現在都市機能を有する嶺北地域と、奥京都とも呼ばれ明媚な元若狭国・嶺南地域によって形どられています。
嶺北地域、県庁所在地である福井市の北隣にある坂井市は、以前記事にしました “丸岡城” もある 福井県第二の都市ですが、ここにちょっと変わった?博物館がありますのでご案内したいと思います・・。
博物館の名は『教育博物館』。 “福井県教育総合研究所” の館内に位置します。「自治研究所」も併存しています。
Wikipediaで概要を見ると “地方教育行政の組織及び運営に関する法律第三十条の規定と福井県教育研究所設置条例に基づき、教育に関する研究及び教育関係職員の研修を行う機関として、1957年に福井県教育研究所が設置・・” とあります。
やたら お堅い名前が並びますね。学生時代なら振り向きもしなかったかもしれません (^_^;)。
地図(航空写真)で見ると よく分かりますが高等学校の跡地(居抜き?)を利用しているようです。「教育博物館」に相応しいというか 何から何まで “教育” が一貫されていますね。
平成29年(2017年)の開館以降、「文部省唱歌誕生秘話」「福井震災と学校」「昔の学校の仕組みを見てみよう」など、一般にも分かりやすく興味深い企画展を次々と開催しています。
そして この3月23日まで特別展『印刷と文具の歴史~学びを支える「技」と「モノ」~』が開催中です。
「学校では、手書きのものから活字やワープロで作成されたものなど、さまざまな印刷物が作られてきました。学校で利用された印刷の道具や器具などを中心に、印刷の歴史について展示します。 あわせて、読み・書き・計算及び工作など学習に使用した文具についても紹介します。文具体験、和とじノート作り体験コーナーもあります。」 ~教育博物館HP案内文より~
学校で使われた、主に印刷に関係する用具などを中心に、その歴史と想い出 記録的資料の展示なのでしょうか。 普段は気にすることも少ない分野ですが、改めて振り返ってみると面白いものがあるのかもしれません。
学校・学生生活での印刷物・・。 先生たちの立場でいうなら各種連絡事項や生徒たちの管理用資料といったところでしょうが、生徒側からみれば先ずはテスト用紙。そして連絡用プリントですかね。
思い返してみれば50年以上も前、まだ小学生でしたが、職員室に行くと先生たちは確か「ガリ版」と呼ばれるものを使って印刷物の原盤を作っていたように記憶しています。
正式名称は “謄写版(日本における名称)”。元はトーマス・エジソンによる発明で19世紀末 世界的に広まったものを、明治時代に堀井新治郎が模倣し国内にも普及しました。 出来るのは “原盤” なので印刷には “輪転機” などを用います。
蝋(ロウ)やワックスを染み込ませた薄い専用紙を、先の尖った鉄筆でガリガリと削り文字や図形を刻んでいきます。 削られて穴の開いた部分をインクが通って印刷されるという “孔版印刷” の一種で、昭和時代後半にコピー機が導入されるまで小規模簡易印刷のスタンダードでもあったのです。
“誰でも簡単に印刷ができる” という触れ込みで普及し、当時としては実際そのような扱いであったのでしょうが。 授業が終わった後、職員室の机で一文字一文字ガリガリと削っている先生を見るにつけ、”結構面倒くさそう・・” と思ったのを憶えています。(^_^;)
印刷技法としては原始的なものですが、その基本技術は後のシルクスクリーン印刷などにも転用され、布・生地をはじめとした汎用印刷として定着しました。 また昭和終盤から平成初期に爆発的な売れ行きを記録した「プリントごっこ」も同じ孔版印刷です。
原稿作りという意味では(コピー機が普及してからでしょうが)「和文タイプライター」というものもありました。 高校時代にクラブ内の印刷で触っていました。
「ガリ版」よりかなり後の時代の産物のように思えますが、これも創始は大正時代と相応の歴史を持っている様子。
電気を用いない機械式のタイプライターですが、日本の文字 “平仮名” “片仮名” “数字” そして “漢字” まで扱うため、その活字刻印は1000数百にも上り目当ての文字を探すのも大変ですw。
計50文字程の直打ちキーで動く英文タイプライターに比べるべくもなく、原稿1枚分打ち上げるのも苦労でしたが、前後左右に台座を動かし細かな活字を探しながら打っていく珍妙な機構は、見ていても面白かったように思います。
いわゆる “ワープロ” が登場してからは これらの手間とは無縁になりましたが、今となっては懐かしく楽しい想い出ですかね・・。
展覧会で取り扱われるかどうか不明ですが、印刷といえば当然 印刷される側、つまり紙の方にも様々な歴史があるでしょう。
私の世代では少なくとも小中学校時代位まで「わら半紙」が多用されていました。 白色度は高くなく湿気にもあまり強くなく “砂ケシ” で強く擦るとすぐに破れてしまいましたw。
調べると実際に “藁クズ” を混用していたのは明治時代・開発当初だけでじきに低質パルプや古紙の混用製紙となっていたようです。
現在と異なり まだ国民所得が低かった時代や、人口比で子供の数が多かった昭和中盤期に有用なマテリアルであったのでしょう。
現在も「わら半紙」「砂消しゴム」ともに販売されているのはチョッと驚きでした・・。
学校というものを卒業して相当の時が経っていますので、現代の職員室事情?はよく分かりませんが、今はどうなっているのでしょうかね?
やはり印刷・・(というかDTPですかね)パソコンで原稿作成して、後はプリンターもしくはコピー機といった感じなのでしょうか。(DTP = デスクトップ・プリンティング)
もしかしたら原稿作りにもAIなど活用されてきているのかもしれません。
便利で修正も効きやすい最新の印刷システム、また上質な文具周りも有用で良いですが、現代の状況を作り出すまでの礎となった、過去の道具たちを顧みてみることにも興味は尽きません。
懐かしき道具に宿った技と、それらを使い続けた日々を どうかその目でお確かめください・・。
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