本年2025年は「昭和100年」、1926年12月25日を起点として100年目にあたる年なのだそうです。(昭和元年及び昭和64年は それぞれ7日間)
平成以降にお生まれの方には もうひとつピンと来ないかも知れませんね・・。
私は昭和半ば生まれなので、子供の頃(1968年:昭和43年)「明治100年」と巷で噂されていたことを薄っすら憶えています。 まだ小学生だったこともあり「へぇ~・・」くらいの感覚しかなかったと思いますが・・(^_^;)
いつの時代もそれなりに “激動” と呼べる事変があるものですが、何より昭和は戦争という例えようもないほどの苦しみを含んだ時代でした。 時代が時代ゆえ・・というか、18世紀辺りから続いた世界的覇権抗争の終盤期。数百万から数千万に上る死者を生み出した大戦に、自らも手を染めた愚かさは今も尚その傷跡を残しています。
経済や文化の発展を見ながらも、軍上層部を基として不安定さを抱えていた昭和初期、そしてその後の戦争時代。 灰燼の中から立ち上がり、凄まじいエネルギーで復興を果たしながらも欧米の文化に感化されていった中盤期。 国際化の波に晒されながら採るべき進路を模索し続けた終盤期。
明治の文明開化で新しい国体を築いた日本の国は、最も長期元号となった昭和の64年間に “萌芽” と “壊滅” と “復興・繁栄”、そして “国際化” という著しく大きな時代の轍を刻んだのです・・。
その昭和元年から100年・・。
日本の国も世界も大きく変貌を遂げました。
科学力はいやが上にも その恩恵によって影響力を増し、人々の生活を豊かにし続けています。 医学の発達によって それまでの多くの難病が治療可能となり、先進国での寿命も著しく伸びました。 今、利用しているインターネットによって一瞬にして世界につながることも可能な時代となったのです。
しかし その反面、それら “便利” の源である “電気” や “資源” の大量消費なくして私達の世界は成り立たなくなってしまっています。
さらに、人口の膨張に反して個人主義への移行が進んだため、社会にありながら疎外感の蔓延や、ネットに依存された思想誘導などの顕在化が問題となってきています。 個人でのコンピューター使用など、漫画や児童雑誌でしか知らなかった昭和時代には考えられなかった現象といえるでしょう・・。
あらゆる “功利” の裏には そのための “損失” があるもので、それは世の理でもあります。 しかし、ここまで発展しながらも同時に複雑化した社会において生み出される “損失” は、もはや予測不可能で大規模なものへと変わってきています。
ここに来て今、「昭和100年」を考える意味とは何でしょうか・・?
「あの頃は良かった」「あの時代はこうだった」というだけでは、単なる年寄りの愚痴としてしか捉えてもらえません。 まぁ私もそんな塩梅ですが・・w。
必要なのは、最早過去のものとなったその時代の中に、現代そしてこれからの時代に応用可能な何かを見出すことでありましょう。
もちろん、その “何か” に対する価値観は人それぞれだと思います。 しかし、人が生まれ、生きて、そして死んでゆく、ある意味単純とさえ思えるフォーマットの中に取り入れるべきは、複雑難解な理論や形だけの綺麗事ではなく、人が生きてゆく上で最低限必要な・・、言い換えれば最も基本的な “生きる意識と姿勢” だと思うのです。
今さら電気もなく水道さえ出ない生活に人が戻れるわけもありません。
資源の枯渇問題や自然環境保護のため、リサイクル運動や省電力化・発電システムの転換が進められていますが、そこには必ず “経済” 的な問題がつきまといます。
2035年を目処に進められていたヨーロッパの完全EV車移行は既に行き詰まりをみせており、一説には そもそも全てのEV化が自然にとってメリットなのかどうかも疑義がもたれはじめています。 自然エネルギー利用の発電システム促進も不透明な部分が少なくありません。
先を見据えた技術開発やそれらの普及は欠くべからざる用法なのでしょうが、それと同時に、そもそも電気や科学技術ばかりに頼らない世の中・生活の確立もひとつの道筋だと思うのですが・・。
インターネットの普及で、わざわざ出かけなくともあらゆる手続きが可能。見ず知らずの人とも気軽につながれる・・。 これらはとても便利であり、ときにより新たな可能性にも結びつきますが、反面・・様々な問題が生じていることも周知の事実でしょう。 他にも大規模障害時には社会インフラの停滞さえ招きかねず、それは近未来の攻撃手段(戦争の道具)にさえ結びつきかねない様相です。
何より これだけ多くの人と結びつく道具を持ちながら、孤立感に苛まれている人が何故こんなにも多いのでしょうか・・?
スマホやPCで見る世界はあくまで画面上の表面的なものに過ぎません。ディスプレイに映る相手の姿は良くも悪くも、あくまでその人の一面でしかないのです。 日々の暮らしの中で出会い長い時間をかけて知ることのできる人となりや、そこから得られる経験とは根本的に異なるものでしょう。
結果として、これらから見えてくる知見のひとつとしては「便利と不便の使い分け」がひとつのキーワードになるのではないかと思うのです。
「ケータイなんか昔は無かったけど何の不便もなかった」のは事実であると同時に、現代の人々には受け入れられない言葉なのでしょう。 ならばその使い方だと思うのです。
「使い方を覚えれば機械やAIが全て上手くやってくれる」のは便利なことこの上ないですが、それは人の思考や能力の低下と直結しているように思うのです。
要は “我慢すべきところは我慢する気持ち” と “有効な技術を上手に程々に使いこなす” 考え方・姿勢。解決策の全てを単一のシステムに依存しない考え方。それを昭和の暮らしに見出すことができるかどうか・・。
当たり前ですが、昭和の時代が全て良かったわけではありません。
現代的視点から見て極めて酷かった事案も数知れずあったでしょう。
只、ひとつ言えるのは良い面も悪い面も含めて、当時の人々は多くの場合それを受け入れ、そこにある “不便” も “我慢” も受け入れながら それを乗り越えていたことではないでしょうか? それは “個人” に対して “社会” の比率が高かったことへの “我慢” も含まれます。 そうすることで “人の基本的な土台” も築かれていたように思うのです。
“不便” や “我慢” を解消することが “進歩・発展” へのプロセスであることは事実ですが、これに傾きすぎると “怠情” や “無能” に陥りかねません。
昭和100年を振り返るということは、単に歴史的な風景を思い返すことのみならず・・。
昭和時代の良かった点・悪かった点、現代の良い点・悪い点を比べ見て、その中の最適解に近いバランスを考えることでもあると思うのです・・。