7月の代表的な季節行事といえば「七夕」。
しかし、6月・7月と盛大にお休みしてしまったため7月7日の七夕記事を書くことはできませんでした。 よって今回は8月に行われる七夕祭の話題をお送りしたいと思います。
8月の七夕祭・・。 人によっては少し違和感があるかもしれませんね。要するに “旧暦” に沿った七夕の日を祭の日(期間)として現在も行っている地方があるということです。 その数は思いの外多く、岩手県盛岡市・陸前高田市、宮城県仙台市、秋田、福島、埼玉など全国で30ヶ所前後の所々自治体が8月初旬に七夕祭を催しているそうです。
およそ北関東以北の地域に多く見られるようですが、香川県三木町や大分県大分市などでも8月に開催されているようです。
その中でも本日は東北三大祭のひとつともされる『仙台七夕まつり』を巻末にお話を進めてまいりたいと思います・・。
と、その前に・・、今更ながらですが七夕とは何の祭なのでしょう・・?
・牽牛と織姫が恋に結ばれながらも、その喜びに溺れそれぞれの務めを忘れたため天帝の怒りを買い、天の川に隔てられた居住まいに移され年に一度七月七日の夜の逢瀬のみ許されることとなった・・。
かなり大雑把ですが大体こんな感じかと思います。多くの方の認識に近いのではないかと・・。およそ幼稚園か小学校低学年で教わり「笹の葉サラサラ・・」の歌も歌いますね・・(もしかしたら現在は違うのかな・・(^_^;))
この話は2000年近く前、後漢時代の神話・民話「牛郎織女」を元として、後の時代に定着した古代中国の祭事に基づいたものです・・。
只、この「牛郎織女」のお話。先に挙げました話の内容と少々異なった趣でして・・。
・織女は西王母(中国の伝説的女神)に可愛がられた天界の機織りの天女であり、天の川の東岸に暮らし日々妙なる織物を紡いでいたが、ある日ふとした気晴らしから地上界の川辺に降りて水浴びをする。
その姿に見惚れた牛郎は織女の衣を隠し天界に帰れなくしてしまう。 結果的に二人は夫婦となっていずれは仲睦まじくなり、牛郎は田を耕し織女は機を織り幸せの中で子も設ける。
しかし、そのことを知った西王母は怒り織女を強制的に天界に連れ戻してしまう。
妻を取り戻したい牛郎は牛の神の助言を頼りに子を伴って天界にまで上がるが、怒りの収まらない西王母による様々な妨害を受け、ついには容姿を隠した七人の天女の中から自分の妻を当ててみよと迫られる(本物は誰でしょう?クイズw)
見掛けだけでは分からない天女たちを前に牛郎は悩んだが、母親の匂いを感じた子どもたちによって織女は言い当てられる。
このことに感じた西王母は、それでも自らの簪(かんざし)で雲海を切り裂き二人を分け隔てながらも、年に一度七月七日の夕に雲海にカササギ(鳥)の群れの橋を架けて逢瀬を許すこととした・・。
中々に壮大でロマンチックな天界のお話ですが・・、何かどこかで聞いたお話が混ざっているような・・。 どちらが先かは不明ですがいわゆる “天女の羽衣伝説” のくだりが含まれているようですね。
“羽衣伝説” 自体の初出といえば・・、これがもう時代はおろか発生地さえ定かでありません。 “天女” の言葉から中国をイメージしがちですが、類型の神話は世界各地に見られ東南アジアはもとよりヨーロッパ、北・南米地域にまで似たような形で残されているのだとか。
最早、どの話いつの時代で混ざり合い紡がれたのかも不明ですが、神話・民話とはそういった混沌と変遷の中で育まれていくものなのでしょう・・。
そもそも七夕を何故「たなばた」と読むのかと問うならば多くの場合、織姫を現す “棚機津女(たなばたつめ)” が語源とされています。 その説は順当なものに思えますが、只、それだと牛郎・牽牛が蔑ろな気がしないでもありません。
別説にですが、牛郎織女の話中にも出てくる 〜牛郎は田を耕し織女は機を織り〜・・。 すなわち男は汗水流して田を起こし種を蒔く “種(たなつもの)”、女は機織り(裁縫)手先器用に家内を回す “機(はたつもの)” を語源としているのではないかともいわれています。
つまり七夕の祭事には悲恋を交えた夫婦愛というロマンス的要素と、(現在では古いと言われそうですが・・)夫と妻そして子の理想的な家族像、さらには五穀豊穣と良妻祈願の想いまでが込められているとも言えるのです・・。
『仙台七夕まつり』本年(2025年)は8月6日(水)~8月8日(金)の3日間催されます。
上述のとおり東北三大祭のひとつ、七夕祭としても国内最大規模のものといわれ、前夜でもある5日(火) 夕刻からは『仙台七夕花火祭』も開催。16000発もの打ち上げ花火・スターマインが夜空を彩り七夕の開幕を壮麗に告げます。
市内中央アーケード街を中心に仙台駅前、中央通り、周辺商店街界隈も含めて大規模に行われる様は、まさに東北の真夏の祭典を象徴するものともいえるでしょう。
今から約400年前、戦国時代を生き抜き天下人の畏怖と信頼をも手にし千代(仙台)の礎を築いた伊達政宗公。
飽くなき天下取りの野望を抱きながらも昏迷の時を懸命にくぐり抜け、太平の時代を迎えると領国を京にも比肩する都へせんがため数多の策を講じて発展への道筋をつけました。
大半、未開の地ともいえた同地の開拓は未曾有の苦労でもありましたが、革新的で先見性に富んだ政宗公の性格にすればむしろ冥利であったのかもしれません。
『仙台七夕まつり』も こうした政宗公の進歩性にも因む “子女の技芸上達” を祈る想いから奨励されたことがはじまりとされています。
支倉常長(はせくらつねなが)を遣わしてヨーロッパとの交流・交易を図ったことでも知られる政宗公。 文武両道、能や茶道、芸事にまで通じる文人気質を持ち合わせた彼ならではの計らいであったのでしょう。
“伊達” の言葉の如く絢爛豪華で名を馳せる『仙台七夕まつり』
女性の活躍を願う祈りが息づいているためか全体的に華やかな部分も多く、特に短冊、紙衣、折鶴、巾着、篭籠、投網、吹き流し、”七つ飾り” といわれる七夕飾りは必見の風物詩。
夜なお暑さが拭えぬ日が続きますが、青葉の国の宵に輝く祭に身を任せてみれば、牛郎と織女の恵みに忘れ得ぬ暑気払いの一夜となるかもしれませんね・・。






