仏の御業 三段話 やけど如来の伝承(後)- 島根県

健気に働き、日頃の功徳を積んでいたことにより阿弥陀仏の加護を受けたお松
そんな お松の奇跡に感銘し 心新たに信心を深めた名主夫婦

名主夫婦はお松とともに西方寺によくお参りするようになりました。檀家の筆頭としてよく努め、また、やけど如来の話しが広まったことにより、遠路を途して そのご利益を求める参拝客で寺は賑わうようにもなりましたが・・・

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とある夜のこと、名主は妙な寝苦しさに たまらず目をさました

得体の知れない胸騒ぎを鎮めようと雨戸を少し開けた時、我が目を疑ったそうな

小山の向こうで火の手が上がっている、西方寺の方ではないか!

「おい!起きろ! お寺さんが火事だ!」

家の者に声をかけるが早いか 着るものも満足に着ず西方寺へ駆けつけたそうな
女房も家人の者も息を切らしながら追いかけてくる

その頃には村の人々も気づき皆 水桶やら打ち壊しの棒やら持って集まってきたが、火の手は既にお堂の柱をも飲み込んでいる 火消しの手管なぞ事足りぬ時代、慌てふためく村人をよそにお寺はどんどん炎に包まれてゆく・・

「あぁ・・ 何ということだ・・」
「せめて、せめてご本尊様だけでも残ってくれたならば・・」

名主と女房は抱き合うようにしてその場にへたりこんでしまった
崩れ落ちるお堂を前に村人も皆呆然と立ち尽くしている・・・

その時であった

「旦那さん!おかみさん! こっち!こっちです!」

今だ火の粉を漂わせるお堂の向こう側から お松の声がする

「お松か!? そんな所で何をしている? 危ないじゃないか・・」

名主と女房はようやく立ち上がり お松の声のする方へと行ってみるとそこはお堂の裏手、春には美しい藤の花が咲く小さな庭、そこにお松と寺の住職さんがつっ立っておる

「おぉ!和尚様!ご無事でしたか!」

思わず声をかけた名主だったが 二人の様子がどうもおかしい・・
こちらに背を向けたまま黙って藤の木を見上げている

その見上げた先を目で追った名主はまたも腰を抜かさんばかりに驚いた

ようやく蕾をつけ始めたばかりの藤の木の上、そこに淡い光に放ちながらご本尊が浮かんでおるではないか・・

もう声も出すことも出来ぬまま二人と同じようにたたずむ名主、そして名主を追ってやって来た村人たちも次々にこの光景を目の当たりにすると、皆ひざまずき仏の威光に手を合わせのだそうな

すると ご本尊はすうっと皆の前に降り立ち、やがてその光もおさまり元の仏像へと戻ったんだと・・

ご本尊が永らえた寺の復興は早かった
名主も財産の大半を再建に投じたし、村人も進んで木材を運んだり大工の手伝いをしたりと、前にも増して立派な寺が再興した

お松のやけどの奇跡に加えてご本尊の霊験、この話しはまたたく間に拡がりそのご利益にあずかろうとする参拝者は後を絶たなかったそうな・・

誠にめでたく有り難いお話しなのだが、ここでまた困ったことが起こったんだと

その頃、出雲国の領主 松平直政公が 藩の菩提寺となる月照寺を松江に興したのだが、ここに新たなご本尊をと考えておられた

そのような時 飯田西方寺の阿弥陀仏の話しを耳にされたのだと・・

「さように霊験あらたかな仏尊なれば月照寺の本尊として申し分無し」
「早速に飯田に出向きご本尊を勧請するよう」

とばかり命を下された

困ったのは飯田の人々だ、殿様には結構で有り難いかも知れないが 村の守り神ともいえるような徳の高いご本尊を持って行かれたのでは堪らない・・
何とかこらえてもらえないか名主をはじめ寄り合いももたれたが、何せこの時代のこと、お上の命に逆らうわけにはゆかぬ・・

泣く泣く ご本尊を見送ることとなってしまった

ところが、ご本尊出立の日のこと
以前は四、五人で抱えて本堂に据えられたご本尊が何とも持ち上げられん
十人、二十人と人夫の応援を呼び ついに五十人がかりでやっとのこと車に乗せあげ、ようやく旅立って行かれたのだと

見た目はさほどでもなかろうに、山ほどもあろうかという重いご本尊を乗せた車の旅は難儀した、そしてついに月照寺まであと一日かという辺りに差し掛かった所で、どれだけ引いても押しても一歩も先に進まんようになってしもうたと

日も暮れ 車は一旦、近在にあった寺に寄せられたが、人夫たちもお付きの侍たちも皆くたくた・・ 応対に出た寺の僧たちもこの光景に唖然としたそうな

その夜、またも阿弥陀様が夢に現れた・・ 人夫の夢にも、お付きの侍の夢にも、寺の僧たちの夢にまでも・・

「帰りたい・・ 私は西方寺で居たいのだ・・・」

翌朝、目をさました者たちは口々に夢の阿弥陀様のことを話し、そして恐れあった
ここに至ってこれらのことは直政公のもとへ伝えられ公の裁定を仰ぐこととなった

「なるほど・・ さすがは御業高い仏尊のことだけはある・・」
「さすれば、良き仏師を探せ この仏尊に生き写しの像を彫り それを月照寺に納めよ、して、その後、仏尊には故郷にお戻り頂くが良かろう」

こうしてご本尊はやがて西方寺に戻ることが出来たのだそうな
飯田の者たちが喜んだのは言うまでもない

ところで、ご本尊様、帰りの路ではそれは軽々、たった三人ほどで運べたんだと
よほど嬉しかったのかの・・
これほど徳の高い仏様でも げんきんな顔を持ってらっしゃるようじゃ・・・

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松平直政 公は家康直系の孫にあたる方で越前松平家の出身、出雲国松江藩の初代藩主となられた方です。 藩の確立に尽力する一方、出雲大社の造営など神仏庇護にも力を入れておられたようで、月照寺の建立も菩提寺としての役割とともに 母、月照院を偲ばれての命名と言われています。

「やけど如来」は一説には行基上人の作ともいわれますが、その真偽は定かではありません。
詳細な情報はあまり多くなく、おそらく コチラの画像 がそれではないかと思われます。

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