それが私の標準語 移ろい消えてゆくもの

和歌山県在住です。ご存知 紀伊半島の西側3分の1程の面積を有し、比較的 温暖な気候、長閑で角のない風土・県民性が凡その特徴とも言えるでしょうか・・。

ご存知・・と書きましたが、紀伊半島・和歌山県と聞いても何処に有るのか、すぐにはピンと来ない人もおられるでしょう。地域が離れれば、他の地方県の正確な位置関係など気にならないものですから・・。 大都市の位置なら誰でも分かります。それでいうと和歌山県は大阪府の南に位置する県・・ということになりますね。

子供であったとはいえ 私もそうでした。・・つまり私も元々 和歌山の出身ではないということ。10歳の頃に当地に転居して来ました。それまでは愛知県名古屋市に住んでいました。 さらに生まれはもっと離れた場所、鹿児島県 奄美大島だそうです。(だそう・・というのは赤ん坊で記憶がないから)

引っ越しが多かったので、愛知県内でも和歌山県内でもあちこちに移動しました。大阪市に住んでいたこともあります。 良いか悪いかはともかく、少々 地に足の付いていないような半生、ようやく現在の場所に落ち着いた生活を得て40年・・。

イナバナ.コムのような地方・土地に関わるブログを書いているのも、私の中にこういった背景があるからかもしれませんね。

 

地方を跨いだ引っ越しをすると、経験するのが “方言” の違い。現在では その方言も訛りもかなり薄れてきましたが、それでも地方ごとの話し言葉は、他の地域から聞くとはっきり分かる固有性を持っていることがしばしば。

昭和時代であれば尚のこと、50年前に和歌山の小学校に転校してきて、いきなり名古屋弁を笑われたのも今は昔の想い出です。 まぁ子供ゆえに吸収も早く、2〜3ヶ月の内にはベタベタの和歌山弁に染まっていましたけどね・・w。 それでも その後10数年、地元の人からみると、私の話し言葉は “微妙な和歌山弁” ではあったようですw。

さて、そんな感じで 47都道府県それぞれに・・否、(県内でも地域ごとに異なるので)国内全域で数え切れないほど多くの方言が存在するのですが・・。

ちょっとしたアクセントや言葉端の違いであれば、意思疎通にさほど問題ありませんが、ひとつの言葉や物事を表す言い方(表現)が全く異なった場合、その訳・意味を知っていなければ判読不可能な場面が生じてきます。

そして、これが大きな問題として認識されていたのが明治時代でした。 国家体制の確立に向けて熱気が渦巻いていた頃、国内使用語の統一・平均化は必須の課題と考えられていたのです。

それまでは、幕藩体制下とはいえ、基本的に各藩・各地方ごとに内部で処理・消化されていたものが、国という全国規模に拡大されたがゆえの問題提議であったのでしょう。

確かに、公共・行政に関する問題、地方を跨いで急を要する連絡、全国的な国事や有事の対応などを考えると、いざという時 いちいち方言同士の通訳を探すわけにもいかないですしね・・。

されど、人の話す言葉を国家が設定・義務化(言い換えれば強制)するということは、何処の言葉を標準とするか? はたまた新しい言葉を設定するか? などを含めて 極めて難題であり、現実的な推進は困難でありました。 歴史的・文化的に醸成され暮らしに密着してきた “話し言葉” を、一朝一夕に規制することには無理があったのです。

大正13年(1924年)に起こった “たぬき・むじな事件” などが、その好例でありましょうか。

結果的に標準語使用に関する法制化は なされず、推進運動という形で昭和初頭まで推し進められたようです。

標準のモデルとされたのは “東京 山の手言葉” ですが、これは単語・短文レベルにおける “表現” の統一であり、イントネーションの誘導にまでは事実上 至っていないので、一応の平均化を目指したといえるでしょうか・・。 つまり “標準語” という言葉は、あくまで概念的な存在であり、明確な仕様というものは存在しないのです。

ともあれ 上でも申し上げたように、現在では かなり “方言・訛り” の独自性・地域性も薄まってきました。 戦後、国内における人や文化の移動・流通が爆発的に増加したこと、そして何よりラジオやテレビによる言語の平均化が、”標準語” というものの普及を後押ししてきたと言えるでしょう。

昭和も40年代から平成の初頭にかけて、地方から都会に来た人が その訛り故に失笑のネタにされるというのも、時代の変遷の一幕といえたのかもしれません。

 

しかし、ここに来て些か情勢に変化が出てきているようです。10年程前からでしょうか、地方の方言・訛りがプラスのイメージで取り沙汰される機会が増えてきました。

インターネットが普及して早20年余りが過ぎますが、”方言・訛り” をコミュニティーで楽しむためのツールとして用いたのは、このインターネットが初めてでした。 一見、ラジオ・テレビにも増して並列化の高い情報源とも思えますが、アクセスする者が互いに意思・発言の交換を行えるところが、一方向的な情報伝達のマスメディアとの違い。

出身地の “お国訛り” を、楽しむためのツールとして使用し始めたのです。そこには かつて有った方言に対する蔑視などはなく、地方色を豊かに謳う “地方固有の個性” として認識する世界が広がりました。 自らが慣れ親しんだ故郷の話し言葉には誰しもが愛着を持っていたのですね・・。

これに遅れること数年・・。メディア業界においても “方言” に対するスタンスが変わりつつあります。 映画・ドラマなどでは、よりリアリティの高い方言使いが求められるようになってきましたし、CM などに至ってはキャッチとして方言を積極的に取り入れたものも作られるようになってきました。 方言は単なる情報の伝達のみに留まらない、人間味を感じさせる大切なキーワードとして認識されてきたのです。

 

「ダサい!」などと、かつて敬遠された “方言・地方の話し言葉” ・・、都会的なもの、先進的なもののみが至上とするなら、それも宜なるかななのかもしれません。(ダサい という言葉自体も品の無い俗語ですが・・)

しかし、時代の進行とともに様々な基準が再認識されてゆく中で、”方言” に対する認識も明らかに変わってきています。

とある、東北地方の訛りのみで始められたスレッド(掲示板)。当地で過ごしたことのない者にはチンプンカンプン、半ば外国語の語らいを見ているかのよう・・。 それでも参加されている地元出身の方々は和気あいあい・・。 そして、ある方の発言が「これが私の標準語でした・・」 その土地で生まれ育った人にとっては、それが普段の暮らしであったのです。

とは申せ、方言がいずれ消散してゆく方向性には変わりがないようにも思えます。世の中が合理性のベクトルを優先させている限り・・。

しかし 方言・地方訛りは、人と風土と歴史の織りなす中で生まれ育まれてきた “人の生きた証し” でもあります。この先も何らかの形で、出来るならば末永く残ってほしいと思うのですが・・。

次回、木曜日は過去記事から、この地方訛りを前面に押し立て 世を席巻した “あの方” のトピックをお送りさせていただきます・・。

 

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