真偽の間から生れる話は古のみならず(ニ)

貉(むじな)が寺の方丈(和尚さん)を食い殺し、化けて方丈に成りすます・・。
冷静に見ると何とも残酷な筋立てで、ホラーな面影さえ漂う前回のお話でしたが・・、民話に詳しい方なら、このお話の元と思しき話をご存知でしょう。

白蔵主

「白蔵主(はくぞうす)」という白狐のお話です。
今回の舞台 山梨県ではなく、大阪府南部、和泉国(現在の泉南・阪南地域)に残る伝承で、少林寺の住職に飼われていた狐が、猟師を生業とする住職の甥の殺生を諭そうと、住職に化けて甥の家を訪ねるも、見抜かれた甥に逆に殺められてしまうというもの・・。

このモチーフが畿内から遠地に広がり、狂言「釣狐(つりぎつね)」の題材となって全国に知れる話となりました。

前回の末尾でも触れましたように、甲府地域には前回の話の類話がいくつも残っており、清哲村 常光寺の杉戸には、ここを訪れた建長寺方丈が描き残した “松の絵” が遺されています。 松の行く末を予言して描いた絵だそうですが中々に達筆ですw。

また大同村 黒沢 高野家にも方丈が描き残した絵が伝わっており、こちらは “恵比寿・大黒” 、東山梨の日川村旧家には “稲穂と鷹” 、都留郡 道志村では “両手左右書き分けの百人一首” 、などと、まるで人を騙しながらも 自らの多才を披露するかのような活躍ぶりだったようです。

高野家に伝わる恵比寿・大黒図 もはや画家レベルw

ただ、いずれも物語の最後には野犬の牙にかかる非業の最後を遂げるようで、まぁ、引け目 良からぬものを隠しながら、事に臨んでいるとロクな結末を迎えない・・ということでしょうかね・・。

さて 今回は、貉や狐ではなく人間そのもの。 もっと分かりやすい? “嘘” と “真” のお話です・・。 一応 同じく山梨県 巨摩の地から・・。

 

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『売りマス買いマス』 山梨県 北巨摩郡

昔の話じゃ 佐久というところに湊屋という米や味噌、小間物を扱う商家があったそうな

結構な身代で何代も続いたそうじゃが 代を重ねるうちにどういうわけか身上が傾いて その日の仕入れにも困るようになった

夫婦してあれこれ講じてみたが 一向に家運は上がりそうにない
焦ったあげく とうとう良からぬことを思いついた

商売で使う枡(ます)を 普通の枡より少しだけコスい(少ない)枡 少しだけ太い(多い)枡を拵えて コスい枡は “売り枡” 太い枡は “買い枡” と決めて それを使うことにしたそうな・・

ものを売るときは 正味な量より少なく出して 仕入れをするときは正味の量より多く取る  こんな店にとって都合のいい話 一目で見抜けぬものだけに湊屋の大儲けと思われたが・・

そのうち 誰言うとなく「このごろ どうも湊屋の量りがおかしい 売るものも何かケチケチしとる」と話が流れ出した

また 卸しの方でも「何ぞ 湊屋へは勘定より余計に品が取られるようだ」と品を卸すのを嫌がるようになった

こうして客も卸しも湊屋には寄り付かぬようになってしまい ますます湊屋の身代は窮することになってしもうたのだと・・

 

この頃 湊屋には そろそろ嫁をとって家業を継がせなければならん一人息子があった

しかし 身代がこのような塩梅で その上 宜しからぬ噂にまみれた家
嫁に行こう 嫁に出そうという家などあるわけがない

探しに探して 人に頼んでようやく北巨摩の武川に嫁の来手を見つけたのだと

こんな有様だけに どんな嫁っ子が来るのかと息子も親も気を揉んでおったが
来てくれた嫁は器量もそこそこ 礼儀もわきまえておる

どころか 祝言も明けると 朝の早うから晩の遅くまで せっせと働いてくれるではないか

 

息子も親夫婦も まこと 結構な嫁が来てくれたと喜んだが それだけに
こんな傾いた身上 いつ嫌気がさして出て行かれるかと思うと気が気でない

「お前はそがいに働かんでええ 座敷でゆっくり本でも読んでおればええ」と下にも置かぬ扱い その上 茶の湯だの 生花道具だのあてがって なるべく嫁には働かせず 店の方は息子や親夫婦が引き続き番頭を務めておったと・・

 

そんなこんなで月日が経ってゆくうちに嫁っ子 いつしか店の秘密である “売り枡” “買い枡” の秘密を知ってしもうたようだ・・

そして ある日 何を思うたか それはもう突然に
「オラもう 急に嫌気がさしたよって 里に帰らせておくんね」
と言うて さっさと武川の実家に帰ってしもうた

驚いたのは親夫婦 せっかく楽にできるよう扱っておったに どういうことか

「一体ぇ 何が気に入らなんだか 何でもお前の思うとおりにしてやっから・・」と
仲人を通して再三 やり取りしていると やがて嫁っ子から返事がきた

「気に入らねぇこた何も無ぇが 只一つ オラが遊んでいるばかりは何とも情けなくもったいね」「これからは お義父さんお義母さんが遊んで そん代わりオラを店の番頭に使ってくんなせ」「そうすれば また元通り家に帰りやす」

何たら 有難い話に親夫婦

「そうか そんなことじゃ 訳も無ぇ 必ず そのとおりにしてやっから」

こうして 嫁っ子 無事に帰ってきたのだと・・

 

歳もとった 嫁との約束もある
もう潮時でもあろう 息子と嫁に店を譲って親夫婦は身を引くことにした

そうなれば あの “売り枡””買い枡” は要らぬもの
そも こんなもんは嫁の前には見せもされん 潰して火に焚べようとしていると

嫁っ子 それを見て飛んで来て
「たとえ枡ひとつといえど お金をかけて作ったもんを捨ててしまうは勿体ねぇ」
「ぜひ それをオラに譲っておくんね」という

そう言われては親たちも 秘密の訳を話すにも話されず困り果てたものの
とうとう それら一切を嫁っ子に譲り渡してしもうたのだと・・

 

さぁ それからというもの 嫁っ子はタスキがけでせっせと働いたとな

それどころか 今度は親たちとは反対に コスい枡で卸しから仕入れ 太い枡で店に来た客にものを売りはじめた

奥で見ていた親たちは気が気でない
「ただでさえ身代が傾いておるのに あんなことをされてはどうにもならん」
「こんな事なら いっそあのとき里に返してしもうた方が良かったか・・」
などと思うておったと・・

 

ところが それから暫くするうちに 卸しも客も
湊屋の手渡しが前と比べて真逆になっておることに気づきだした

「湊屋も 嫁の代になってから勉強するぞ! 湊屋へ行け!湊屋へ行け!」
とばかり 日増しに客足が戻ってきた

そんな盛況ぶりに卸しの方でも 是非にとばかり良い品を安く卸してくれるので
店の方は瞬く間に大繁盛 程なくして大きな身代に立ち戻ったのだと

反省しきりの親夫婦 健気な嫁に頭が上がらんとは誠にこのことじゃ

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何と言いますか・・嫁が仕掛け枡を わざわざ逆に使っている時点で気づけ!
・・という話ですが、・・ともあれ めでたい結果になって良かったですね。

されど 現実的な話、この嫁のように他者の利を優先して誠意で事にあたっても、正当な評価や結果が出るまでは相当の時間を要します。中々 物語のようにはいきません。

上辺だけをきれいに繕って、大袈裟に宣伝する方が目先の利益を集めやすい。そんなように見えてしまうところが、人の弱さと邪心を助長するのかもしれません。 この話の親夫婦も小さな迷いから、いつしか道を誤ってしまったのでしょうか・・。

しかし、人が人と関わり合って生きるのが人の世。 “嘘” が存在するところに信頼は芽生えませんし、信頼を置けぬところには未来も築けません。 そこに関わる人のそれぞれの性格や能力、また時の運勢は様々ながら、先ずは “真・誠意” という信頼の礎が求められるのです。 それが、人としての一番の宝でもありましょう・・。

 

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