海無き国の八百比丘尼伝承(後)- 岐阜県

さて、前回に続き海無き国美濃国に伝わる 八百比丘尼伝承をご案内させて頂きます。

今回は前編 羽島よりももっと内陸の山間、岐阜県の中心部分 郡上八幡の名で知られる地、長良川の川音も聞こえそうな “小駄良(こだら)” に残るお話です。

 

 

「八百比丘尼」

その昔 大野にあった とある酒屋は その鄙びた風采に似合わず たいそう旨い酒を造ることで知られておった

店のおやじは醸造にかけては厳しい人で 納得いくまで造り込んだので 出来上がった酒は えも言われぬ旨味と酔い心地に優れて わざわざ遠くの地から求めにやってくる者も多かったという

 

ある日 日も傾いて もうひと時もすれば店仕舞かという頃
ここら辺ではいっかな見かけたことのない小僧がひとり店の暖簾をくぐったとな

「おやっさん この竹筒に そこにある一番良い酒 樽一本全部入れてくれんかね」

おやじはキョトンとして聞き返した

「樽一本て お前が持っとる竹筒にはせいぜいニ・三合しか入らんじゃろうが 大人をくすぐるもんじゃねぇぞ」

ところが 小僧 悪気もなさげに にこにこしながら

「くすぐってなんぞおらん これこのとおり銭も持っとる 心配いらんけこの竹筒に樽一本入れてくれろ」

何とまあ小癪な小僧やろか 業を煮やしたおやじはこう言うたと

「よし それほど言うなら入れてやる そん代わり樽一本入らんかった時は お前どうする」

すると 小僧 思い切ったことを言うたとな

「そんなら もしも入らんかった時には この辺りの川の水を酒に変えてみせましょう ところで もし入った時には おやっさんはどうしてくれるんかな」

おやじはもう小僧の頭を一発張り飛ばしたい心持ちであったが 小僧のいうことにも一理ある

「ようし そんなら もし一本入った時には これからうちの酒をいくらでもタダでやる」

話しはまとまり 酒を入れることとなった

 

 

ところがどうだろう トクトクと酒をつぎ入れるほどに おやじの顔色は変わっていったとな

ニ・三合どころか 一升入れても二升入れても いっこうに竹筒の縁から酒が溢れ出す気配がない
底が抜けとるんかと見ても 湿りさえしておらん

とうとう 樽一本まるまる 入りきってしもうたのだと

「これは いったいどうしたことや えらいことを言うてしもうた 毎度タダ酒もって行かれたら うちは潰れてしまうが・・」

すっかり青ざめた おやじに向かって 小僧は落ちつき払ったままこう言うたそうな

「まあまあ おやっさん そんな青い顔せんと これからも七日目ごとに買いに来るけ その時にはちゃんと旨い酒をわけておくれ もちろん しっかり銭も払うで気ぃ良くわけておくれ・・」

それだけ言うと 銭を置き 竹筒を抱えるとさっさと店を出て行ってしもうたのだと

 

小僧の言うたとおり それからも七日目ごとになると あの竹筒を持ってやってくる
そして樽一本まるまる竹筒に仕込むと 銭も多めに払うて また何処かに去ってゆく

店は儲かるものの まるでキツネかタヌキにでも化かされておるような心持ちやが 小僧が過分に支払うてくれる銭が 葉っぱに帰する様子もない

ともあれ 七日目以外に近在で姿を見ることもない 小僧はいったい何処から来るのじゃろう

竹筒も不思議やが 小僧のまとう不思議がどうしても気になって仕方がない

 

とある七日目 小僧が帰って行った時にはもう結構 日が暮れであった

よし 今日ならばとばかりに おやじ 夕闇に紛れて小僧の後をこっそりつけて行ったそうな

どういうわけか ぽくぽくと歩く小僧であるのに その進み具合いといったら まるで滑っているかのようにすぅっと進んでゆく

驚きながらも見失ってはならんと おやじは息せき切りながら小僧の後を追うたと

 

ようやくのこと ひときわ生茂った森の川の渕まで来たとき 小僧は立ち止まり辺りの様子を伺っておる

何じゃ あんな所で何をしておるのだろうと訝るおやじの先で 小僧は何やら念仏を唱え出した そしておもむろに草鞋を脱ぐと 目の前の川に飛び込もうとしておるではないか

思わず 飛び出したおやじは小僧の袖ぐりを掴んで 叫んだのだと

「何をしとるか! こんな所から飛び込んだら死んでしまうやろうが!」
「何があったのか知らんが 訳を話せ わしが相談にのってやる!」

びっくりしたのは小僧も同じ はじめ屹として おやじを睨んでおったが
やがて 落ち着くとおやじに向かってこう言ったそうな

「おやっさん・・ これは心配をかけてすまなんだ 実のところ おれはこの川の主に仕えとる者」

「七日目ごとに主に酒を捧げるのがおれの仕事 どうかこの場は見んかったことにして 誰にも言わんと 今までのように酒買いを続けさせてもらえんやろうか」

あまりのことに呆然としてしもうた おやじやったが それならば今までの不思議な出来事にも納得がゆく・・

 

「そうか そういうことならば わしも騒ぎ立てるまい 分かった 他言はせんから安心せい」

答えたおやじに小僧は頷いてこう言い足したのだと

「ところで おやっさん おれはこうして 人には見られてはならんところを見られてしもうた」

「このまま帰っては主に叱られてしまう 出来れば主の所へ一緒に行って 事の次第を話してもらえんやろうか」

なるほど そういうものか とも思うたが どうして良いか分からん

小僧の唱える念仏を聞き 言うがままに小僧の背中にしがみついて川に飛び込んだのだと

 

一瞬 ザブン!とばかりに水の気がしたが・・ 目を開けてみるとそこは青々とした美しい館であったそうな 竜宮とはこのようなところを言うのであろうか・・

しばらくすると この世の者とは思えんような美しい女神の主が現れた

事の次第を聞くと 小僧を叱るどころか 届けられる酒の味を褒め 至れり尽くせりのもてなしをしてくれたのやと

帰り際 女神は一つの小箱をお土産におやじに渡し こう告げた

「この箱は決して開けてはなりません 開けずにこのまま大事にすれば いつまでも甘い香気を届け 貴方さまの家の幸を守り続けるでしょう」

堅気な性分であった おやじは 家に帰ってからもこの言いつけを守り 家族にも言い聞かせ 箱は開けぬこと家訓として大事にしておった

よって 家は栄え夫婦の間には玉のような娘も生まれ 幸せはより増していったそうな

 

ある日のこと 年頃となった娘がいつものように小箱を横に甘い香りに夢心地となっていたとき

つい 箱の中身が見とうなった 日頃 両親から開けてはならぬと聞かされているが故か余計に・・ どうしても見とうなって ついに開けてしもうた

すると 部屋中に甘い香りが立ち込めた思うたが そこへ帰ってきた父親はあっと言う間に死んでしもうた さらに程なくして母親も後を追うように死んでしもうたのだと

 

二親を一度に亡くし娘は悲しんだが その後も娘はいよいよ美しく育ち 近在の名家から嫁にと引く手数多であったという

しかし “父母を死なせたのは 箱を開けた自分のせい” と 娘は全ての良縁を断り続け
ついには 両親の菩提を弔うために出家して尼となり・・

何十年も諸国を巡礼した後 里に戻って小駄良の東の山に庵を結び そこで八百に届く余生を送ったとも言われる

不思議なことに何十年何百年経っても その若さも美しさも失われなかったという・・

 

 

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