今回の記事、元々は6年近く前、2020年の初頭に書こうと思っていたものです。
しかし、ご承知のとおり2020年1月はコロナウイルス流行の発端となった年(厳密には2019末)。 特に年前半は急激な感染拡大と混乱に翻弄されて、通常の社会活動はおろか大半のイベントにも大きな影響が出ていました。
爆発的な需要増大に応えられずマスクが店頭から消えたり信じられないような高値が付いたり、挙句の果てにはあまり関係ないと思われるトイレットペーパーにまで買い込み騒動が起きたりと、中々に難儀な世相でもありました。
早いもので、もう6年も経ったのですね・・。
2023年5月に緊急事態宣言終了がアナウンスされて以降、丸2年以上経過した今でもウイルスが完全に終息したわけではありませんが、生活の殆どは以前の状況に戻りました。
マスクの使用が常態化した人も未だ多くおられますし、コロナ騒動以後 そのまま立ち消えてしまった例年行事も少なくありませんが、多くのイベントは戻ってきています。
ということで、6年ぶりにようやく思い出し書かせていただく内容は・・相撲、それも大と小の紙相撲です・・。
先ずは “大きな方” の紙相撲『どんどこ!巨大紙相撲』。
通常の紙相撲が数センチ程度の紙人形で行われるのに対して、この巨大紙相撲は本物の大相撲と同じ、つまり等身大(身長約180cm)の段ボールで制作した力士を使って競い合う紙相撲大会です。
人間力士と同じ体躯の紙力士が土俵に上がり取組む姿は迫力あるものとなるでしょう。
紙の力士ですから 当然それを動かすために土俵を叩く役の人が必要です。 力士は等身大、土俵もリアルサイズ、これだけの大きさとなると叩き手も一人では賄いきれません。
数人から10人程度の叩き手が、それも交代しながら打楽器を打つがごとく熱狂的に取組を盛り上げます。
実はこれこそが この巨大紙相撲の醍醐味であり目的でもあるといえるでしょうか・・。
段ボール製とはいえ(段ボールだからかもしれませんが・・)180cmを越す体躯を支え、動かしやすく、なおかつ勝負に有利と思われるバランスの人形を作るのは簡単ではないでしょう。
何度も試行錯誤を繰り返しての成果だと思います。
そして 叩き手。 人形の出来具合も然にありながら、やはり本番、取組の最中にあって熱狂の渦を巻き起こすのは、叩き手たちの熱意と協力そして気力でしょう。
参加する者全員の心が一つとなって初めて結果がもたらされるのです。
こうした地域の人々が年齢や国籍を超えて参加し、楽しみながら交流できる内容。伝統的な相撲を新しくユニークな形で体験できる点が大きな魅力となっていることから、地域主催のイベントとして注目を集めています。
出発点となったのは東京都葛飾区小菅を拠点に活動している土谷享さん、車田智志乃さんという美術家ユニット「KOSUGE1-16」。
お二人の考案によるワークショップ・プロジェクトとして生まれた等身大紙相撲は『どんどこ!巨大紙相撲』と名付けられ、2004年の東京都現代美術館での開催を皮切りに、北海道から九州まで幅広く展開されてきました。
「よさこい高知文化祭」などのイベントの一環として行われることも多いです。
何と相撲の本家本元である日本相撲協会による協力も受け、伝統文化と現代アートの融合的な側面も持っているのだそうです。
参加にはグループを作っての事前申し込みが必要ですが、ネット上でのリアルタイム配信なども行われていますので一度ご覧になられては如何でしょうか。
さて、もう一方は通常サイズ、されど本格の紙相撲です。
先の話題のインパクトが大きいので、その小ささのごとく霞んで見えてしまいそうですが、元々の紙相撲はこのサイズです。
そして紙相撲といえば子供の遊びのように思いがちかもしれませんが、これが中々どうして大人もしっかり打ち込める、あまつさえ歴史と伝統に裏打ちされた娯楽競技でもあるのです。 画像からもお分かりになりますでしょうが、本物の大相撲に迫るリアリティです。
紙相撲の歴史を紐解くと江戸時代も中期から後半にかけて。
安定した世相を背景に勧進相撲が全国で行われ、江戸市中では現代に通ずる大相撲の基礎が確立されてきた頃、足並みを揃えるように紙相撲の趣味文化も勃興したようです。
庶民の娯楽の代表格であった歌舞伎と人気を二分した大相撲。
それをより身近に、いつでも何処でも楽しめるように手近な紙を使って再現する発想は、もしかすると大人によるものだったのかもしれませんね。
但し、当時の紙相撲は厚紙を切り抜いて作った紙力士に、フゥフゥーッと息を吹きかけて動かすものであり、よりリアルスティックな動きを再現する指叩き式への移行には、まだしばらくの時間を要しました。
この伝統紙相撲にさらに高度化を施したのが戦後1950年代のこと。一少年であった徳川義幸氏が仲間内で遊んでいた紙相撲に、もう一工夫 加えられないかと考え試行錯誤した上・・。
人形の右手を高めに、対して左手を低めに、そして体をやや前傾気味に作り、あらかじめ2体を軽く組ませた形で取組を始める方式を考案しました。 こうすることで “左四つの体勢” から変化に富んだ展開となるのです。
この方式はそれまでの紙力士の動きや試合全体の運びを一新するのに充分であり、仲間内に好評をもって迎えられ、それはやがて全国へと知れ渡っていきました。
義幸氏はさらにこれを推し進め、相撲協会の単位である “尺” を1cmに見立て、等身約30分の1、6cm前後の人形身長を基準としました。
機能的な土俵舞台を作り吊り屋根を下げた国技館似の相撲場を制作、番付表を整え「徳川式紙相撲」の確立と「日本紙相撲協会」の創始を果たしたのです。
紙相撲は1970年代後半期にブームを迎え、その後 些かの衰退を過ごしますが、それでもその趣深い取組に魅せられた多くの愛好家によって現在も受け継がれています。
180cmの等身大紙相撲と6cmの伝統的小型紙相撲、そして本物の大相撲。
それらは一見全く異なるもののようにも見えますが、そこに流れる熱意、創意工夫、そして多くの人を巻き込みながら繰り広げられる白熱と共感のひとときには確かに通ずるものがあります。
紙の土俵で戦う力士たちにも、ぜひ声援を送ってみてください・・。





