浮世絵・・。御存知のとおり江戸時代初期を端緒とする日本画の一様式です。 菱川師宣作 美人画の “見返り美人図” や歌川広重作 風景画 “東海道五十三次” など、今も人気の作品は数知れず。
戦に明け暮れた時が過去のものとなり平穏が満ちた時代、それまで貴族や一部の有力者の愛好品であった絵画が、姿を変えつつ一般庶民に向けて普及していったものが その骨子と言えましょうか。
帰するところ浮世絵に通底するのは、庶民文化の隆盛による多彩なそして飽くなきエネルギーでもあるのです・・。
故に、今日において大きな価値を有する浮世絵ですが、当時の社会と その中での浮世絵の意味を見ると、意外に思えるユニークさが際立ちます。
そもそも浮世絵と その前後の時代を通して現代に続く(いわゆる)”日本画” を同じ土俵で語ることは難しいです。 浮世絵と日本画ではその目指すべき方向が異なっていたといっても過言ではないからです。
その他の日本画が画家の思索と技法を昇華し一品制作されたのに対し、浮世絵は販売を目的として企画され、注目・多売されることによって成功と見なされる商品でもあったからです。
平たく言えば美術館に飾られる絵画に対して、多くの人気を集めて一定数販売されるイラスト作品やブロマイド写真に近い感覚だったのかもしれません。
明治時代以降、一部の人々によって “芸術は高尚で知識人のもの” との歪んだ概念が流布されてしまったため、浮世絵も含めて大半の芸術は特別なものとの認識が広まってしまいましたが、江戸時代の人々にとっての浮世絵は “生活の隣にある憧れや喜び” であり “本当の芸術のあり方” だったのです。
だってそうでしょう。 現在ではその希少的価値はあるとはいえ時に “億” の値が付く浮世絵ですが、売られていた当時は1枚 “かけ蕎麦一杯分” およそ500円程度だったのですから・・。
無論、浮世絵には “肉筆画” といって一品ずつ描き上げる絵画的指向のものもありましたが、それらの多くは富裕層からの注文制作が主。 一般庶民はやはりかけ蕎麦一杯を我慢して夢に手をかざしました。
500円、今様に言うなら “ワンコインのアート作品” ですから、描き手もまたそれを売る方も、コストを勘案しながら多売しなければ元が取れません。 浮世絵のもう一つの技法 “版画” が主体となるのも必然。
描き手=作家(原稿)、彫師=版元の彫刻師、摺師=同じく版元の印刷師、 当然、作家と “次はどんな絵が売れるか” 打ち合わせの者もいたでしょうし、刷り上がった作品の宣伝担当もいたでしょう。いうなれば現代の出版プロセスの原型は400年近く昔に既に出来上がっていたのです。
結果、売れっ子作家にあっては現代と同じような構図を垣間見ることができます。 その一例が、超の付くほど有名、あの葛飾北斎による「富嶽三十六景」ではないでしょうか。(※ 富嶽三十六景が発行されたのは1830年代・江戸時代後期です)
“名峰富士の絶景を三十六の異なる視点から壮麗に描く!”・・と、何処かの分冊商法のごとく立案・制作したのが この「富嶽三十六景」。
ところが発売してみるとこれが売れる売れる。版元も北斎も予想を越えての大ヒット。
これだけ売れるなら三十六で終わらせるのはもったいない。もう少し引っ張ろう。 ・・で、”裏富士編” 十冊を追加。 富嶽三十六景なのに四十六番目まで出来上がるユニークかつ笑える結果となったのでした・・。
『北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより』が、本年の3月28日(土)から6月14日(日) まで、東京都台東区の「国立西洋美術館」で開催されます。
もちろん富嶽三十六景・36図+裏富士編 10図、全ての展示が行われます。
計46点の一挙公開、それだけでも壮観な眺めなのですが、このコレクション展 注目すべきは数だけでなくその版質の高さにあるのが特徴とも言えましょう。大半が “初刷” に近い高品質なものだそうです。
上でも触れましたが、版画として知られた浮世絵は一つの図柄に対して数百から数千枚の作品が刷られました。 但し一組の原盤から刷り出すことの出来る枚数はせいぜい200枚程度。そこまで刷ると木製の原盤は彫りが崩れてしまい、刷り上がった絵の線が太くなったり色味が曖昧になったり・・。
現在では刷り始めた最初のころのものを “初刷(しょずり)”、後期のものを “後刷(あとずり)” と呼び分けられ その価値も相当に隔たっています。
また今回の井内コレクションの特筆は「裏打ち(補強のために背面に紙を貼ること)」がされていない作品が多い点でもあります。これにより、当時の摺りの圧(バレンの跡)や、裏まで染み込んだ色彩をそのまま鑑賞できるという、資料的にも非常に貴重な状態で保管されています。
数千枚刷られた浮世絵とはいえ元が市民の愛好品なので保存もままならず、明治時代の海外放出も手伝って その残存数が限られる中で見る “初刷・裏打ち無し” の精緻さ美しさを味わってみてください。
展の題名にも上っていますが、これだけのコレクションは全て井内輝久(いうち てるひさ)という方の寄贈品で成り立っています。
徳島大正銀行頭取なども務められた実業家である井内氏、単に有名な作品を集めるだけでなく歴史的価値のあるもの、それも極めて品質が高く当時の姿を今に伝えるものを選りすぐっての蒐集は、氏の “作品を最高の状態で次世代に引き継ぐ” という、文化保護への強い意志の表れともいえるでしょう。
ぜひこの機会に四十六景に及ぶ富士の威容を御覧になってみてください。 200年前に人々が憧れ目にした感動がそこには息づいているはずです・・。
国立西洋美術館 〒110-0007 東京都台東区上野公園7番7号







