そのときのインタビューで原作者である “加藤まさを” はこう語ったそうです。
「特に明確な動機があった訳ではありません。・・中略・・何となく憧れのあった沙漠(さばく)を題材に作品を描いてみただけです・・。」
何ともドラマティックとは言い難い凡庸なコメントのように聞こえますが・・。 この作品(詩と挿絵)を基としてメロディーが添えられ世に送られた歌は、その後100年を経た今も聴く者の心に情緒溢れる異国への郷愁を呼び続けているのです。
私がその歌を聴いていたのは小学校に上がる前後のことと思うので、おそらく昭和40年代初頭の頃であったでしょう。
曲の題名は『月の沙漠』、B面収録の「りんごのひとりごと」とともに家に有ったレコードプレイヤーで何度も何度も聴いていました。 子供が好んで聴くことからも分かるように、いわゆる “童謡” ですが『月の沙漠』は当時の大人たちにも親しまれていたのではないでしょうか。 記憶が曖昧で恐縮ですが、森繁久彌さんが歌っておられたのを聞いたことがあるように思います。
[ 月の〜沙漠を〜・・は〜るばると〜・・ ](著作権の問題があるので、これ以上書きませんが (^_^;) 歌詞詳細はこちらを Uta-Net
満月、もしくは美しい形の三日月が煌々と輝く深夜、他に誰一人いない気配もない茫漠の砂漠を、王子と姫、たった二人がラクダに乗って越えてゆく・・。言葉さえ殆ど交わさずに訥々と歩を進めてゆく・・。
言葉や絵にすれば只それだけの極めて単純な情景でしかないのですが、単純であるが故に嫌が上にも想像を掻き立て、その脳裏には現実には決して見ることのない夢幻の景色が広がるのです。
この『月の沙漠』が発表されたのは大正12年(1923年)。当時刊行されていた少女向け雑誌の誌面のことでありました。
近代化の進む世相の中、子供たちの夢を育む児童誌に様々な作品を寄せていた “加藤まさを”。 挿絵画家であり詩人でもあった彼の寄稿はまさに最適なものであったのでしょう。
出版側から何らの主題も設けず一切の制約も課さずの要請に対して、出された答えが この『月の沙漠』。信頼関係ゆえの出色の出来であったのかもしれませんね・・。
これに同年代であり、児童教育に情熱を傾けていた作曲家 “佐々木すぐる” が曲を付けたことで、作品は誌上を巣立つことになりました。
当初、”童謡” として上申され そのままに用いられたこの歌ですが、佐々木すぐるの知人であり時の人気歌手であった “松島詩子” が歌い、当時 普及を進めていたラジオ番組で流れたことから、大人たちにも広く知られるところとなったのです。
私が子供の頃、昭和40年代前半といえども海外旅行はまだまだ一部の人が手にできるもの。 遠い国の姿や文化を伝えるテレビ番組が人気を博していた時代です。
さらに40年前、大正から昭和へと跨ぐ時代のことなれば尚さら、一般人にとって海外に対する認識や情報は、かなり限られたものであったでしょう。 何せ創作者である加藤まさを自身、アラビア世界の国情や砂漠の風土など殆ど知らぬままに、この作品を仕上げたのですから・・。
故に この歌の情景はほぼ全て加藤の想像世界であり、現実の砂漠での風土事情とは乖離しています。 しかし、だからこそその世界は夢で満たされているのです。
『月の沙漠』という題名は “砂漠” ではなく “沙漠” の文字を用いています。
“沙漠” は今日一般的に使われる “砂漠” の原意的(本来の意味での)な文字だといわれます。 創作当時の世情に則したものだったのかもしれませんが、ここでは少々異なる意味も含まれているそうです。
加藤まさをが この作品を発表する少し以前、当時 罹患する者の多かった結核を患い、千葉県の御宿海岸(おんじゅくかいがん)に寄宿し療養しており、この砂浜の風景が作品のモチーフとなったのだとか。
また、まさをの郷里近くにある静岡県の吉永海岸も心象に大きな影響を与えていたともいわれています。
つまるところ “沙” とは砂浜の砂。 砂漠と似て異なる、湿度を含むかのごとき哀愁を湛えた趣き深い “沙漠” を表しています。曲想がエレジー調なのも宜なるかなといったところでしょうか・・。
『月の沙漠』は その歌・イメージともに世代を違わず愛され、のみならず国境さえ超えて多くの歌曲や映像作品に採り入れられ、スタンダードな作品のひとつとなったのです。
千葉県夷隅郡御宿町の御宿海岸には、この歌の追憶を基に『月の沙漠記念館』があります。
記念館内には加藤まさをによる作品や遺品が並び、大正ロマン溢れる彼の事績に触れることができるでしょう。
砂で固められたかのような全体グレーの外壁とデザインは、明らかに日本とは異なる文化的表現を巧妙に表しており、砂丘に建つ様は異国情緒たっぷりの風情を湛え・・。
さらに御宿海岸の砂丘には・・、ラクダにまたがり進む王子さまとお姫さまの青銅像が建っています。
夢の世界で遥か目的地を目指し、二人仲良く旅を続けていくのでしょうか・・。
『月の沙漠記念館』公式サイト
千葉県夷隅郡御宿町須賀195







