意識して そうしたわけではないのですが、長崎にまつわるトピックスが当月だけで3件目となりました。
今回はイナバナ.コムが始まった2017年から8年ぶりのリライト記事ですが、先の記事でもお伝えしましたように “沖合に佇む昔日の城” “五島の雲の美術館” など、多彩で蠱惑的な顔を持つ長崎県の魅力に触れる一助となれば幸いです・・。
長崎市上西山町、本殿に至るまで193段、参道入口からこの階段を上り詰めたところに『鎮西大社 諏訪神社』は鎮座します。地元では「おすわさん」と呼ばれ親しまれるこの宮は、江戸時代も初期 寛永2年(1625)に 既に廃退していた諏訪・森崎・住吉の三社を合祀、再興したのが今の始まりと言われています。
長崎の諏訪神社といえば「長崎くんち」を思い出される方も多いでしょうか。 福岡県、櫛田神社の博多おくんち、佐賀県、唐津神社の唐津くんちと合わせ日本三大くんちとも称される その華やかで豪壮な祭は、往古の長崎の風土を今に伝えるエキゾチックな祭りでもあります。
本年令和7年も例年どおり10月の7、8、9日に執り行われる予定。
7日に宮から御旅所まで降りられた諏訪の神様が、9日にまた本宮まで戻られるとされる神事の間、市内各町の氏子連が持ち回りで様々な演目を奉納。 特に数十人掛りで巨大な龍と玉のたわむれを演ずる龍踊り(じゃおどり)は見る者を圧倒するでしょう。
「くんち」とは「九日(くにち)」を表す九州北部の言葉で旧暦の9月9日に秋祭り(収穫祭)が行われていたことに由来します。 「長崎くんち」は『鎮西大社 諏訪神社』における秋の例大祭。同社にとって最も著名であり大きな祭事ともいえましょうか。
現在、前日(まえび)である10月7日、境内踊り場にて奉納の舞が納められます。 今から約400年前(寛永11年/1634年)、当地で名高かった高尾と音羽の二人の遊女が神前にて謡曲「小舞」を奉納し、これが長崎くんちのはじめとなったことに因みます。
その後「お下がり」と呼ばれる御祭神の出立がはじまると、小高い山の中腹に建つ諏訪神社の神門から三体の御祭神、諏訪大神(すわのおおかみ)住吉大神(すみよしのおおかみ)
森崎大神(もりさきのおおかみ)が渡御のため、三基の神輿に担がれ大波止の御旅所に向けて出立します。
神社の階段を一段々々歩き降りて町の道路に出たところで、”盛り込み” と呼ばれる いきなりの全力疾走は、危険であると同時に花形でもあり担ぎ手の胆力の見せ所なのでしょうか。
渡御に出られる三柱は上述のごとく、元々 当社が諏訪神社・森崎神社・住吉神社の三社を起源としていることに基づきます。
中日(なかび、8日)になると神前にて例大祭の祈念神儀や湯立神事が執り行われ、これは諏訪神社の祭祀の中でも最も重要なもののひとつとして数えられるそうです。
賑わい盛り上がる中で、”踊り町(おどっちょう)” と呼ばれる長崎市内各町持ち回り組の踊り奉納が各所で行われ、町は祭一色の様相に包まれていきます。
特に “龍踊” “鯨の潮吹き” “太鼓山” “御朱印船” と呼ばれる演舞・演し物はオランダやポルトガル、そして南東中国や半島の文化色を色濃く反映した衣装・演出となっており「長崎くんち」の代名詞的な風情と認知され、県内外から多くの観光客を集めています。
後日(あとび、9日)、渡御に出ておられた三柱の神々の還御。出立されるときと同じく万来の衆目の中で「お上り」が行われ祭の締めが訪れます。 「モッテコーイ!」の歓声と熱気に包まれた3日間はエンディングを迎えるのです。
この「長崎くんち」の特色のひとつは、創始の奉納にも見られるように古き時代より女性が多彩に関わってきたこと、又、近世に至っては海外の演舞者などが多く奉納に参加してきたことなどが挙げられるようです。
ヨーロッパや大陸と往古から文化交流を育んできた町ならではの特徴といえましょうか。 国内でも異色の華を咲かせる長崎県の祭祀、機会があれば是非ご訪覧ください。
因みに福岡県、櫛田神社の「博多おくんち」は2025年10月23日(木)~25日(土)、佐賀県、唐津神社の「唐津くんち」は同年11月2日(日)~4日(火)の開催予定。こちらも是非!

祭りとは別に諏訪神社近辺には別名「六角道」とも呼ばれる曲がりくねった道が存在します。 元々は神社に隣接する立山公園への階段状の通路でもあったようですが、その後整備され車も通れる道となったようです。
しかしこの道、道幅もそれほど広くない上に道の端々、中には道の真ん中に大人でも抱えきれぬ程の御神木(クスノキ)が点在し、かつ急カーブが続く道なので大型車は通行不可な上、一般車でもかなり注意を要する道なのだとか。 坂道で名の知れた長崎でもちょっと珍しいスポットだそうです。 坂道好き・旧道好きの方には一見の価値あり・・かもですよ。 Googleストリートビュー



