悪態争奪の向こうに見る生の望みと力 – 茨城県

「奇祭」フォークロア好きや祭りファンの人には中々に魅力的な言葉ですかね。 目に見えて珍奇な祭事、時に由緒や記録さえ詳らかでなく、にも関わらず数百年に渡って(誰もよく分からぬままに)続けられているという、現代的な視点から見れば何とも不合理で、なおかつ夢に溢れる?お祭り・・祭祀です。

画像は山梨県吉田の火祭り

イナバナ.コムでも過去何度か奇祭に類するものを取り上げてきましたが、奇怪な面に松明を振り回し観客もろとも火の粉にまみれるもの、全身に泥を塗ったり真っ黒な墨を打ち付けるもの、どういう訳か新婚ホヤホヤの新郎を雪の丘から皆で放り投げるものなど・・。

その祭りや風習が生まれた時点では 相応の理由があっての発祥なれど、その理由が伝わらず散逸した現在では???の連続になってしまいますね。厄介なような面白いような不思議な感覚といえるでしょうか・・?

 

現在、奇祭と捉えられながらも、その昔は比較的多くの寺社で見られ・・というか、もしかすると祭りの本質を形作る一面持っているのかもしれません。一般に “喧嘩祭り” とされるもの、そしてその派生型?本日ご案内する「悪態祭り」と呼ばれるものです。

“お祭り” というと、その原義は “神仏を祀る” ところから来ているのですから、その本質は “感謝と願い” であって神事は厳かに、祝事は楽しくといったところが一般的なイメージに沿うものだと思います。

しかし “祭り” が民衆の暮らし・人間の本質に深く根付くものならば、時に神仏さえ巻き込んで繰り広げられる、燃えるような人の生きる力の爆発も、”祭り” とは切っても切れない縁に紡がれたものといえるでしょう。生命の火とは穏やかな状態ばかりではないのです。

かつて「悪態祭り」とその類型に収まるものは全国の寺社で見られたといいますが、言い換えるなら そも国内の(もしかしたら世界中の)祭りの大半に、喧嘩や悪態まつりの底に息づく激しい生命力が宿っていたのかもしれません・・。

原始的な気風より合理的なコモンセンスが優先される現代では、そうした祭りが減少の道を辿るのも、当然の理なのでありましょう。

 

ややも消えつつある「悪態祭り」の風景を今に色濃く伝えるのが、茨城県笠間市 愛宕山にある『愛宕神社』『飯綱神社』周辺一帯で旧暦の霜月中旬(現在は12月の第3日曜日)に執り行われる『悪態まつり』です。 その名のとおり “悪態” 不問のもと多くの参詣者で賑わいます。

愛宕の名の付く山は全国にある愛宕権現信仰の象徴であり、”火の神” を祀ることから “火伏(防火)” のご利益あらたかとされるのはご承知のとおり。古において火災はごく身近なものであったことから多くの信仰を集めました。同時に修験道に基づく “天狗信仰” や “塞の神信仰” にも縁を持っています。

また “飯綱(いいつな・いづな)” の社を祀っていることから、神狐や天狗にまつわる古き魔法信仰にも連なるところでしょう。

 

この愛宕山の「悪態祭り」、上記、奇祭の例に漏れず その由緒が明確でないのですが、別に「悪退祭り」とも呼ばれるところから、怨霊による霊障や疫病、災害による障りを退けるためのものともいわれ、愛宕神社でもこの由縁を基本としているのだそうです。

また参詣者によって激しい悪退が叫ばれることから、往時の領主が主唱して始め、領民の不平不満のあり方を探ろうとしたなどというユニークなものも伝えられています・・。

古において深夜に執り行われていた祭事は現在日中に行われ、祭りの当日 愛宕神社の社務所、白装束に身を包んだ13人の天狗役の登場から始まります。 古に愛宕山に住み着いた13人の天狗が災厄から地元を加護したという伝承に基づくものだそうで・・。

拝殿において修祓を済ませた天狗たちは神官から預かった “供物” を手に一旦山を降りるそうです。

そしてそこから当地に鎮まる16箇所(厳密には18箇所)の祠を巡る巡拝がはじまり天狗たちは約4kmの山道を歩くのですが、その途中から参詣者による “悪態” が始まります。

画像 © TBS/JNNニュース

「さっさと歩けー!」「遅いぞ!このヤロー!」「まだか!バ●ヤロー!」神事を執り行う人に向かって随分な言い口ですが、古くからこの祭りを知る人によれば “昔はこんなもんじゃなかった(もっと酷かった)” のだそう・・。 この間 如何な悪口雑言を浴びようとも天狗たちは一切 言葉を返さないそうです。

さらに驚くのは、各 祠前で天狗は供物を供え拝礼を済ませるのですが、天狗の拝礼が終わると同時に、置かれた供物を参詣者が奪い合います。

一応場所によって女子・子供優先などの簡易な措置もあるようですが 奪い合うその様はかなりの修羅場。 縁起物ということか供物を乗せた藁敷きまで戦利品となってゆくのが面白いといえば面白いですかね・・w。

 

16(18)箇所の祠を巡拝した天狗たちは最後に愛宕神社へと戻り、境内縁側に整列。この時は天狗の面を付けています。そして締めの餅撒きがはじまり、また参詣者による争奪戦をもって祭りはお開きと相成ります。 巡拝途中、群がる参詣者を追分けるために天狗が振るっていた青竹もこの時下されるそうです。

巡拝中に浴びる悪態には それを呼び起こす(煽る)ための “悪態役” というべき人まで随行する念の入れよう、高らかに飛び交う悪口雑言と壮烈な奪い合いの熱気を残して祭りは終わりを迎えます。

コロナウイルスの影響で長らく休止となり、昨年2022年に神事のみの開催となった愛宕神社の『悪態祭り』。2023年の開催は未だ公表されていませんが(10月20日現在)、今年こその復活開催の想いはその熱気の如く地元に息づいているようです。

 

“悪態” という現代のコモンセンスでは忌避されるべき言動ですが、古来の祭りにおいて多く見受けられたというのは、ひとつには祭りに “気合いをかけること”、そしてまたひとつには “験(ゲン)担ぎ” があるのかもしれません。

落語の題材としても語られる “野崎詣り” にあっては、参詣者同士で相手構わず口喧嘩を吹っ掛け(振売喧嘩)言い負かした者に福が訪れるという習俗でありました。

また古き神事であり禊と福の還元でもあった “散餅銭の儀(さんぺいせんのぎ)” は 時を経て “餅撒き” となり、福を求め奪い合う “人の望み” と結びつきました。 いつの時代にも そこには神の加護にあやかり有利に生きたいという、逞しき人の願いが宿っていたのです・・

合理的で文化的な発展こそ望まれる現代 そして未来において、これら原始的、動物的ともいえるような行動・言動は、ますます否定されてゆく方向にあると思いますし、それが順当な流れでもありましょう。

しかし、生に対する執着がある限り、人の本能の奥底には時代を問わず こうした情熱とエネルギーは生き続けるのでしょう。

日本三大奇祭のひとつともいわれる茨城県愛宕神社の『悪態祭り』。 往古 山岳修験と地場信仰の風土とともに、忘れ去られてゆく、人の旺盛な血気を知る祭りでもあるようです・・。

【笠間市からのルール・注意点】
・神官が拝み終わる前に供え物を奪い取ろうとする等の行為は絶対にやめましょう!
・掟破り行為とみなされ天狗から青竹で阻止されケガをする場合がありますので注意してください。
・個人的な名称・名前を出しての誹謗中傷はやめましょう。

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