往時の牧歌を伝える丹後の伝二話 – 京都府

本日は京都府丹後地方から民話トピックのお届け、2018年5月のリライト記事に もう一編追加した形でお送りしたいと思います。一編は “キツネ” そしてもう一編は “ナマズ” のご登場・・それでは どうぞ~・・。

 

『牛飼いの五郎兵衛はん』

さてさてころりん  京は丹後の地に伝わるお話し
牛飼いの五郎兵衛はん ある日 牛の背に米俵をくくり付けると
峠を越えて海に近い岩滝の町まで売りに行かはったそうな

朝の早うから出かけたもんやから お天道さんが傾きかけた頃には町で米も売れ つれづれの用事も済んでまた森本の里へ帰る事となった

せっかく町まで来たのだからと嫁はんに何か買うて帰ってやろうと なんぼか考えた末
久しぶりに油揚げも美味かろう 婆さんにもたまには良かろうと たんと買い込み
来た時のようにまた牛の背にくくり付けると帰り道をポクポク帰っていった

 

ポクポク、ポクポク、右坂を登り峠を越えにゃぁならん
お天道さんはまた少し傾いたようや この調子ならなんとかお天道さんが今日のお隠れになるまでに峠を越せるやろう

そんなことを思いながら坂の折り返しを曲がった時やった

半町ほど先を行く人を見やったそうな
まだ年若い娘はんのようやが 何かどうにも青息吐息 苦しそうに坂を登っとる
見れば足をくじきでもしたのかヒョコタン、ヒョコタンと辛そうな足運び
五郎兵衛はんと牛は じきに追いついてしもうた

「どないしたんや? 足ぃ くじいたんか?」
五郎兵衛はん 娘はんに声かけてやったそうな

「へぇ、登りの口でつまずいてしもうて‥ 今日中に叔母の家まで行かなならんのに‥」
悲しそうな声で返す娘はんに

「ほたら、わしの牛に乗って行くか? その足じゃ峠は越されへんやろ」
優しい五郎兵衛はん 娘はんを牛の背に担いで乗せてあげたそうな
娘はん 涙を浮かべながら何度もお礼を言うておった
ほんま世は助け合い、有り難い話じゃな・・

 

・・ところがや・・ 難儀な事もあるもんじゃて この娘はん 涙を拭うように伏せた袖の陰でニッタリ笑っておったそうじゃ なんやいうてこれ娘に化けたキツネやった
牛の背から流れる油揚げの匂いにつられて峠の草むらから出てきおった
ここら辺でちょいちょい悪さをはたらく困ったキツネやったそうな

「しめしめ、これで大好物にありつけるわい。頂いた後は隙をみて逃げ出せば・・」
五郎兵衛はんに悟られんよう笑いをかみころしておったと・・

ほやけど ここでキツネにとって思わぬことを五郎兵衛はんが口にしはった
「足が使えなんだら体を支えられん、この先 急な坂も有る」
「牛の背から転げ落ちんように縄で縛っといてやろう」
ほんまに優しい五郎兵衛はん 荒縄で娘はんを牛の背にきっちりくくってしまったと

これには驚いたキツネやったが 今さらそれは要らんとも言えず さりとてここで油揚げをさらって逃げるわけにもいかず・・ まさに どうするべぇかと言った有り様

しかし、そんなキツネの焦りなぞ気がつくはずもない五郎兵衛はん ぐるぐる巻きの娘を乗せた牛をひいてどんどんどんどん峠を越えて行く・・

「あの・・ 親方、坂も下りになったので もう降ろしてもろても・・」
「いやいや 里まではまだ たんとあるに」

「あの・・ 親方、里も見えてきたので もう降ろしてもろても・・」
「いやいや、気にせんと里まで乗っといたらええ」

もう人里は目と鼻の先 このままじゃ下手すると村人総出でなぶられてしまう

「もう、堪忍! 降ろしてぇ〜!」

縄の間から太っとい尾を出して ついにキツネはその正体を晒してしもうた

 

突然の事に何事かと振り向いた五郎兵衛はんやったが
「ありゃ! 何やと思うたら わりゃ悪さばかりしとるキツネやねえか!」
「おのりゃ 人の親切までも逆手にとるとは許せん!打ち殺してやるさけ覚悟せえ!」

牛追い棒を振り上げた五郎兵衛はんの前に 震え上がったキツネは土下座をして謝った
いや しばられていたので土下座はできんかったが心の中で土下座して謝った

「もう決して悪さはせんから! 二度とせんから堪忍しておくんなさい」

泣いて頼む その情けない姿に憐れを感じたか五郎兵衛はん
キツネの縄をほどいて逃してやったそうな やっぱりまぁ根の優しい人なんやな・・

その後 辺り一帯で悪さするキツネの話しは聞かんようになったと・・

数年後 五郎兵衛はんがお伊勢参りに旅しはった時
桑名の浜を見下ろす山の中で一服しておった時じゃ
道先に一匹のキツネがふっと出て来てこれだけ言うたそうな

「五郎兵衛はん、あん時は堪忍してくれておおきに、今ではここに住もうとる、桑名の山に住もうとる・・」

春の日の浜風がかおる昼下がりの事やったと・・

ーーー
民話の世界でも屈指の登場率、悪さもすれば神にもなる “キツネ” のお話、今回は牧歌的でほのぼのとした締めとなっています。 お話に出てくる地名、森本~岩滝 間をGoogleMapでみると(間違いがなければ)以下の通り。往復60km程の道程・・昔の人は健脚ですね・・。

それでは お次、岩滝の里からさらに西、京都府の最北西端 ほとんど兵庫県との境に接した久美浜の里から “ナマズ” のお話です・・。

 

『鯰ヶ淵(ねんがふち)』

昔々 丹後は久美浜の里 谷川に沿って住む人たちが
京の都へ上ったり 伊勢参りをするときは この川に沿う道を通って
上流の畑村や野々村をぬけて園城寺峠を越え 福知山へ向かうのが順路であったと

この畑村を過ぎたあたりに深い淵があっての
古くこの辺りには大樹が生い繁っていて昼なお暗く 一人歩きでは心許ない場所であったそうな

ある年のことじゃ 品田(ほんで)村の “元蔵” というひとが伊勢参りに旅立った
畑村を過ぎた峠の口で 先を行く者がおる 見れば畑村の庄屋 “又右衛門” ではないか

「これはまあ 畑の旦那さんや おまへんか。今日はどちらへ・・?」元蔵は声をかけた

「おぉ これは品田の元蔵さんか! わしゃ これからお伊勢さんに詣でるところじゃて」と庄屋さん

偶然とはいえ 同じ旅先に懇意の顔とはありがたい

「それはそれは オラも今年は代参で伊勢参りですわ 旦那さんさえ宜しけりゃ ひとつお連れに願いますんで」

「いやいや 気心のしれた者が道連れとなりゃ わしとしても心強い こちらこそ宜しゅう・・」

 

こんなわけで旅は道づれ 二人仲よう福知山で泊まって京へ着いたのが三日目やったと
それからも 日毎旅をつづけて伊勢参宮 お参りも中々なれば あれやこれやと楽しんで帰途 についた

その間不思議なことには又右衛門さん 泊まりの旅籠で一度も風呂に入らない
元蔵も おかしいとは思ったが 強いて問いもせず旅をつづけたと

園城寺峠を下るともう故郷である やれやれと思いつつ鯰ヶ淵近くまで来たときじゃった
又右衛門の旦那は別れを告げ

「いや 元蔵さんのおかげで楽しい旅じゃった 伴してくださったお礼のしるしに」

と鱗皮製の財布をくれた

これはまぁ高級なものをと頂き 礼を述べてひょいと頭をあげると又右衛門さんの姿が どこにも見えん

もう帰ってしまわれたのか?妙だなあとは思うたが 家では家族が待っていることでもあり ともかく その日は家へ帰ってきたそうな・・

 

あくる日のこと 元蔵は改めて畑村の又右衛門の家までお礼に出かけたと

ところが 当の又右衛門は
「伊勢参りどころか ここ暫くどこへも行っていない ずっと家にいた」という

まったく狐につままれたような話 どういうことじゃ そこで旅の次第を物語ると
「それは鯰ヶ淵の主が この又右衛門に化けて出かけたのだろう」ということに落ち着いた

元蔵が家に帰ってから財布を調べてみると 中から鱗の数枚重なったものが出てきたそうな・・

この鯰ヶ淵はどんな日照りの年でも水が涸れることがない
いつの頃からか この水を落として稲田の用水とした

ある年 村に火災があって この淵から来る水を大量に使うた
翌日 淵の水かさを見に来てみると 減ったはずの淵の水は もと通り満々と湛えておる

こんなことが何回か起こったので淵の主の祟りを恐れ ここの水に再び手を触れる者はおらなんだ

けれども時代は変わって今では底も浅くなり 夏になると子供たちの水泳場としてにぎ わっている・・

ーーーーー

ナマズも旅をしたけりゃ化けて出る・・といったところでしょうか・・w?
害はないので まぁ良いのですが、後からあれは化身だったと知るや ちょっと空恐ろしい話でもありますね。 因みに元蔵さんが貰った “鱗皮の財布” は現存していて “某家(元蔵さんの末裔)” が所蔵している・・という話もあるそうです。

只、最後に・・お話を紹介しておいて何なんですが・・、”ナマズ(鯰)” に鱗は無いのだそうです・・(^_^;)

 

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