その名を 白鷺城 とも呼ばれ世界遺産にも登録されている兵庫県 姫路城、美しくも雄大な景観から国内外でも屈指の認知度を誇り、数々の時代劇のロケ地としても使われ 一般的な人気度から見れば まさにナンバーワンの ”城の中の城” ともいえる名城です。
連立望楼と呼ばれる天守の威容で 訪れる人に古風颯爽の感動を見せてくれる姫路城が建てられたのは 天正から慶長年間(1500年代後期~1600年代初期)にかけて、時まさに戦国の大詰めから太平の時代へと移りゆく最中でした。
戦闘のための拠点であり前線基地でもあったそれまでの形態から、地域の統治機能に重点をおいた多機能型、そして象徴性の高い形へと、城の意義が移り変わってゆくターニングポイントの時代でもあったのです。
羽柴秀吉(当時)そして関ヶ原合戦後の池田輝政らによって大改修を重ねられ、今日の姿を成した姫路城ですが、当然ながらその時代に突如として建造されたものではなく、秀吉に当時の居城を譲渡した黒田孝高(黒田官兵衛)をして往古に由緒を訊ねるとその創始は南北朝の時代(1300年代中期)にも遡るとされています。
そして その頃から、否、もしかすると遥か以前、奈良時代の頃から この地には一柱の心霊が宿り、その怪伝を太平の世 江戸の時代にまで及ぼしたのだそうです。
その心霊の名は「長壁姫(おさかべひめ)」
今回は姫路城における、この長壁姫の伝承についてお伝えしたいと思います。
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その夜は雨もそぼ降る鬱な有様
城の一部屋では宿直(とのい)の者共が時を持て余し他愛もなき話に耽っておった
「ハ天堂(天守の最上層)に巣食うという妖かしの話を知っておるか?」
「知らいでか 城の者はおろか城下の童でも口にすると聞いておる」
「今宵はいたって退屈な夜 鬱晴らしにどうじゃ ハ天堂を覗いてくるというのは」
「戯れ言を言うな 如何に噂話とはいえ万一にでもまこと妖かしに出逢うたらどうするつもりじゃ? それとも お主が行って見てくると言うなら止めはせぬが・・」
「いやいや あまりにも退屈な夜ゆえ言うてみたまで 誰かこの噂を解ければ気も晴れようと思うたまで とても拙者の至るところではござらん・・」
宿直共が話しておるのは古くより この城の最上階に棲むという妖かしの話
誰も見たこと無きにもかかわらず 遥けし昔より城の怪異として伝わっておる
今では滅多に立ち入ることもない三層より上階 誰も居ぬはずのない最上の層で雨の降る夜などに灯りが灯る
年に一度 城主の前に女の霊が現れ城の行く末を告げる 時に身の丈ニ丈の鬼と化し人を襲うなど 真か偽りか幾多の噂話が流れるばかり
城の者皆 この話には耳を傾けながらも己が関わることは避けておった
「私が行って見て参りましょう・・」
話に興じておった宿直共の後ろからふいに声がかけられた
驚き振り返ると声の主は森田図書(もりたずしょ)という まだ歳も若き小姓であった
先程から書を整えながら宿直共の話を聞いておったような
「誰かと思えば図書か よせよせ とても若輩のお前の至るところではない」
「そうとも 恐ろしきものに遭うたればどうするつもりだ」
宿直共は口々に図書を引き止めた
しかし 健気なのか意固地なのか
「いえ 私が見て参ります お城の威信を訝しめる噂の元が割れたならば 皆の溜飲も下がりましょう」 と言って図書は一歩も引こうとせんかったと
図書を止めながらも腹の中ではその正体を知りたい欲があったのであろう
そうか それほど言うならばと宿直共 図書を送り出すことにしたそうな
三階に上がる廻廊の袂で 図書は宿直たちに見送られながら 闇に向かう階子を登っていった
ミシリ ミシリと軋む音を噛みしめるように 一足 一足 歩を進める図書
やがて三階大間の前まで来ると その重い扉を押し開ける
暗闇に包まれた部屋の中を灯燭で照らすと そこは古き武具を収めた部屋であった
かびの匂いかそれともかつての戦の名残りか 重苦しい気が漂う
自ら言い出したこととは言え 取り返しのつかぬことをしてしまったのではないか
心の隅に後悔を覚えながらも今更どうすることも出来ぬ
先に進んで扉を開く以外 道は開けぬのだ 己に言い聞かせながら先に進んだ
闇と陰気に包まれた階層を四階 五階 六階と巡り ついに図書は最上の天楼へと上り着く
そこは階下の層のどれとも異なる怪しき気に満ちておった
ひときわ重い扉をずいと押し開ける 暗き間の奥に一本の蝋燭が細々と灯っている
途端 ” 誰じゃ! この間を訪れるとは何者ぞ!? ”
何処からともなく 図書を問い詰める厳しい声が響き渡った
この世のものとは思えぬ恐ろしき それでいてどこか妙趣に満ちた女性の声
あまりの響きに恐れ入り その場に平伏した図書であったと
身じろぎもせず 床に頭を擦付ける図書の前にやがて何者かが近づく気配がする
” 主は何者ぞ 何故このような所を訪れる? ”
「私は森田図書と申す者 このお城で小姓を務める者にて」
かくなれば腹を括る他 致し方なし 図書は宿直部屋での起こりから今までの成り行きを包み隠さず言上したそうな
” 面を上げるがよい ”
暫しの沈黙を破るように厳かな声が響いた
そこに坐していたのは歳の頃三十も半ばといったところか
位高き衣装に身を包んだ もの静かで美しい婦人であったそうな
” 図書とやら 見れば年端もゆかぬ身でありながら たいそう豪気なものよの ”
” その豪気に免じて此度のことは問うまい また此処に来た証を持たせて進ぜよう ”
そう言うと宙を一閃 搔き取り図書の前に置いた
そこにはひと切れの “錣(しころ・兜の一部分)” があった
” これをもって城主に見せるがよい ”
” 我は往古よりこの地に住まいこの城を守護する長壁なり そして この堂間は現世に生きる者の来るべき所ではない ”
” 今生 二度とこの間を訪れようと思うなかれ ”
そう言うと “ふっ” と一息 図書に吹きかけたそうな
途端に図書の身は吹き飛ばされ暗い闇の奈落へと落ちていったそうな・・
「図書 図書 気をしっかり持て」
呼びかける声に目を覚ますと そこは先刻宿直たちに見送られたニ階の廻廊であった
「どうした? 怪我は無いのか? 大きな音がしたので見に来てみれば お前がここに倒れていたのだ」
足腰は少し痛むが怪我は無いようだ 手許には長壁に託された錣がしっかと握りしめられている
図書は今宵 我が身をもって知った霊験を宿直たちに話した
そして翌日 城主の前に上がり事の次第を言上したそうな
図書の話を驚き聞いていた城主だったが 差し出された錣を見るとさらに驚き
すぐさま 城の奥深くにある宝物庫の鍵を開け中を改めたのだと
その錣は歴伝の家宝であった兜からもぎ取られたものであったそうな
城山に住まい城の守護を成すと伝わる “長壁の姫” その正体に畏敬の念を抱いた城主は 以後 城の守り神として篤く崇拝したという
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長壁の姫、姫路城、そして城山一帯の地において「刑部姫(おさかべひめ)」としてその名が知られる妖かしの姫の正体は、多くの場合、城山に巣食うていた狐神や地主神であると語られます。
しかして、確たる出所は不明ながらも城内を含め三つの「刑部神社」を擁する姫路の地、単なる奇譚に留まらぬ「刑部姫」の姿を次回にて、もう少し掘り下げてみたいと思います。