秋も目の前まで来ていよう
それを告げるがごとく人恋しき風吹き抜ける ただ一人の荒れ野原
最早 何ひとつ考える気力さえ残っておらぬ 負けた 全くもって負けた
鬼と騙され 化け物と騙され 女子と肉親と騙され 果ては高僧の恩人と騙され続けた
人を惑わす悪狐どもを一掃して我が名を上げようなどという初志など 終わってみれば それこそ夢幻
つくづく己の不甲斐なさを嘆く兵六
遠くに吉野の山の尾根がおぼろに見える 夜明けも遠くなかろう
されば己の無様を嘆いているだけで良いのだろうか
否 このまま終わらせてなるものか
最後の力を振り絞り たとえこの四肢が千切れ果てようと狐どもを追い詰め討ち取らん
如何なるをもってしてもと幾度 誓ったであろう がそれも本当にこれが最後
追い続け 我が身この荒れ野に朽ち果ててこそ名を成さん
白みかけた空を背に両目をカッと見開き 猛然と駆け出す兵六
岩の陰 松の根 芋畑 ところ構わず土を蹴散らし駆け込み分け入ってゆく
兵六の無様な姿を声を殺して笑い 足引き摺りながら帰る様を見届けてやろうと遠巻きに見守っておった狐どもも この兵六の気迫には驚いた
四方八方 ススキに隠れながら逃げ散るも 次第に近づく狂気の足音
とりわけ 窮した二匹の狐は小道にまで逃げ出ると そこでまたくるりと宙返り
さても もっともらしき二体の石地蔵に化け 何事もなかったようにそこに鎮まったのだと
ススキの穂の錫杖 雉子の卵の宝珠 有り難きかな 有り難きかな・・
そこへ追いついた兵六 おかしい この辺りに奴らの尾の陰が見えたはずだが・・
地蔵・・ 二体の石の地蔵・・ このようなところに地蔵があっただろうか・・
石碑には[ 池田庄左衛門の蔵米 三千石を 大阪の切手米と同じ値で譲り受けられるよう祈っていたところ 聞き届けられた御利益に感謝してこの地蔵二体を寄進した 永徳元年 藤原周信 ]と彫られている
中々にもっともらしい文言じゃが どうにも腑に落ちぬ・・
兵六は道端の花を摘むと それを左手に持って静かに近づく
地蔵の前で腰を落とし花を捧げるために左手を伸ばした その時
やにわに右手をも突き出すと両手にしっかと地蔵の肩を掴み取りその場に押し倒した
すかさず 二体の上に馬乗りになると これを睨みつけ声高に口上したそうな
※「獅子身中の虫とは貴様らのこと! 欲深き悪党どもめ! 人の皮を被った古狐のくせに近ごろでは国の益を横からすすり 一部の商人のみを太らせ 民百姓を苦しめている」
「多くの財貨を貪るに飽き足らず どうかすると人を騙し傷つけ それを何とも思わない」
「かねてより憎き奴ばら と思うておったが 仮にも神使に通ずる者どもと考え我慢を重ねておったのだ」
「さても 昨夜より我を惑わせ苦しめ 挙句このような坊主頭としてくれたは不届千万 今ここに天誅を下してくれるわ! 思い知ったか!」※
そういうなり腰の刀を引き抜くと 引き起こした二体の地蔵まとめて一気に刺し貫いた
あまりの力と気迫 そして早業に二匹の狐はくあんと啼く間もなく息絶え やがてその姿を顕にしたのだと・・
吉野原にて散々に化かされ痛ぶられた兵六ではあったが ここに見事二匹の白毛の狐を討ち取った
そして これを貫いた刀先には 今まで狐どもに苦しめられてきた人々の恨みをも宿していたので 残った狐どもに与えた差し響きも大きく
これより後 威勢を失った狐どもは 人前に現れることもなくなり人里にも平和が戻ったそうな
牛山の木々も生気を取り戻し 民家のかまどからも煙が日々立ち昇るようになったのだそうな
重ね重ね苦しみ 恥を晒した兵六であったが 畢竟これら民百姓の暮らしを救ったのも兵六であったのだ
木の枝を折り前後に二匹の狐を吊り下げると 夜が明けゆく坂道をおいおい下ってゆく
昨夜のことは全て夢の中の出来事であったと言っても言い訳にもならぬ
頭は剃りあげられ情けないこと甚だしいが 見事二匹を討ち取った今となっては戦の傷と済ませられる
返す返すも腹煮えくり返るは肥溜め風呂に入れられたこと
これより後はあの糞水を戒めとして自らを正そう
勢いや力に頼らず 親の意見にも耳を貸し さすが兵六と呼ばれる男となろう
坂道を下り終える頃になると向こうの方から二才仲間の声が賑やかに聞こえてくる
– おう おう兵六 戦の首尾はどうだった –
– 何と その頭 その無様ななりはどうしたことよ 大方そのような按配だと思うたわ –
口々に囃し立て嘲笑う仲間を前に 兵六少しもひるまず 増してにこやかに
「皆 そのように軽々しく笑うな 確かに坊主頭にはされたが 狙う敵の古狐はこれこのとおり見事討ち取った」
「頭に一本の毛も残っていないことはお笑い草になろうし はじめの大言壮語に都合の悪いところも相応にあろうが 吉野での醜態も含めて城下侍への戒めにされたい」
「それはともかく さあ宴の始まりじゃ 美味い料理と酒を用意してくれ 刀の引出物も見せてもらおう 宴じゃ 皆で賑やかに宴をしよう!」
高らかに語る兵六の背に 安養寺の刻を知らせる鐘が聞こえてくる
山並みから日も高く昇りはじめ新たな一日が始まる
今は昔 おおらかな時代の夢物語じゃ
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計5回の連続掲載となってしまい恐縮ですが 飽きずにお楽しめ頂けましたでしょうか?
第1編でも お伝えしましたが、この『大石兵六夢物語』は 薩摩藩の藩士 毛利正直(もうりまさなお)によって著されました。
元々、薩摩地方の民話を集め川上親埤(かわかみちかます)によって作られていた「大石兵六物語」を原典に、当時の世相に合わせ “風刺” の要素をふんだんに取り入れ書き直されたと言われています。
当編 クライマックス、※印で囲んだ「獅子身中の虫とは・・」のくだりを読んで下さった方にはお解りでしょうが、およそ狐に対する物言いとは思えませんね。
当時、薩摩藩は幕府からの圧政により財政的に窮しており、毛利正直をはじめとした下級武士も多くの町民・百姓も苦しい生活を送っていたそうです。
しかし、そんなご時世でも幕府にあっても また藩内においても、狡賢く立ち回り私服を肥やす輩はいるもので、それがなおも蓄えた財力を背景に貪欲にその力を拡げながらも外面的には小綺麗に振る舞っている、 そんな世情を狡猾な野狐と愚かながらも果敢に立ち向かってゆく兵六に託し、一矢を報いようとしたのかもしれません。
当五回の編集では多くを割愛しましたが、兵六の口上のみならず、初編 狐側の軍議や四編で兵六を助けた狐和尚の弁にさえ、人の生きるべき姿や世のあるべき様が赤裸々に語られているのです。
鹿児島県で県の文化財指定も受けている『兵六踊り』は藩政の頃から現代にまで伝えられる民芸行事ですが、向こう見ずながらも果敢に挑戦し 無様に傷つきながらも思いを果たした陽気なヒーローは、200年余の時を超えて今も愛され続けているのでしょう。
鹿児島を代表する製菓会社「セイカ食品株式会社」が その代表銘柄に「兵六」を選んだのも当然の流れかもしれませんね。
今回のトピックで「兵六夢物語」にご興味を持たれた方は、ぜひ一度 夢物語全編を読まれてみては如何でしょうか、そこには遠い時代のワンダーランドが広がっているはずです。
* 「兵六夢物語」は [国立国会図書館デジタルコレクション] でも全話公開されています。 但し古い写本であり原文表記ですので、古文に通じておられる方、もしくはチャレンジしてみたい方(それほど高難度でもないので)宜しければ御覧ください。
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本記事 収録内容
「あの菓子の人の武勇伝、薩摩の兵六物語」(一)
・ 一 大石兵六吉野原妖怪退治評定の話
・ 二 兵六吉野發向に付群狐評定手配する話
「あの菓子の人の武勇伝、薩摩の兵六物語」(ニ)
・ 三 兵六茨木童子に出會ふ話
・ 四 兵六重富一眼坊に逢ふ話
・ 五 兵六吉野茶屋女抜首に逢ふ話
「あの菓子の人の武勇伝、薩摩の兵六物語」(三)
・ 七 兵六闇間小坊主より取圍まるる話
・ 一〇 兵六足を赤蟹より挾まれながら和歌を送答せし話
・ 一二 妖怪大石兵部左工門に化けて兵六を誑す話
「あの菓子の人の武勇伝、薩摩の兵六物語」(四)
・ 一三 兵六吉野の妖怪お菊を縛る話
・ 一四 吉野お庄屋駈付兵六を捕ふる話
・ 一五 兵六妖怪に引かれ寺山に入りて坊主となる話
「あの菓子の人の武勇伝、薩摩の兵六物語」(完)
・ 一六 兵六石地藏に化けたる狐二匹を殺し獲る話
・ 一七 兵六吉野原野狐退治凱旋の話
・ 兵六夢物語の背景 と 兵六踊り
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未収録
・ 六 兵六三眼舊猿坊に逢ひ大に辛苦する話
・ 八 兵六ぬつへつ坊が立ち塞るを切通る話
・ 九 兵六牛わく丸に出會危き目に逢ふ話
・ 一一 兵六吉野の山姥より追懸らるる話