あの菓子の人の武勇伝、薩摩の兵六物語(三)- 鹿児島県

さてさて、人喰い鬼じゃ、一眼の大坊主じゃ、抜け首のお化けじゃと散々に驚かされ弄ばれ、その度に(それこそ尻を捲くるように)情けなく逃げ出すことになってしまった兵六さん、最初に抱いた義憤と血気はどこへやらといった感じですが、人間、第三者的な立場で見ていればこそ あれこれ言えるものの、渦中の立場ともなれば通常の判断さえままならないのが実情なのかもしれません。

増してや狐どもが見せるのは、登場する妖怪変化のみでなく その場の空気も含めた狐と兵六を取り巻く”場” そのものの幻術であり、今様の言い方を用いるならば正に超級の “バーチャルリアリティ” なのでしょうから、我々が夢の中でそれと認識出来ないように、兵六さんでなくとも翻弄されていたのでしょう。

ともかく、抜け首女のもとをようやく逃げおおせた兵六さん、なおもトボトボと山道を辿ります・・

 

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様々な妖怪どもに驚かされ醜態を晒し その度に 思えばあれも狐のたぶらかしであったと後から気づくものの どうにもその最中には怖ろしき気持ちに振り回され その向こうで狐がケラケラ笑うておることを忘れてしまう

それこそ日頃の身上 心と身体の持ちようによる賜物であるはずなのだが 若気のうちは中々それに気づかぬものであるらしい

兵六は自らの度胸の無さ 心眼の至らなさを嘆きながら そして湧き上がる悔しさに歯噛みしながら静まり返った山道をひとり歩いておった

 

丁度 菖蒲谷を過ぎようとした頃じゃったか ふと 誰かが後ろを付き歩く気配がする

ヒタヒタヒタ・・

何者?と兵六が歩みを止めて振り返ると奇怪な様相の小坊主がひとり突っ立って・・

知らぬを決め込み兵六が歩き出すとその小坊主も歩きはじめる

何をと立ち止まって振り返れば その小坊主も立ち止まる

どうにも気分が悪くなり 兵六ついに叫んだのだと

「やい! 小童! 何を思ってわしの後を着いてくるか!」

すると小坊主 妙な調子にのせて こう返したのだと

– 我は鞍馬天狗の流れ汲む 鞍馬の小坊主なり –
– 生まれい出てまだ日は浅けれど いささか力には憶えあり 我と一番相撲勝負せん –

ふざけた様子で口上する小坊主に 兵六またも我を忘れて

「何を! 生意気な口をききおって!」

一刀引き抜くと小坊主目がけて一閃に斬りつけた

ところが小坊主それをひらりと左にかわし

「小癪なっ!」と左に薙ぐと右にかわし

いかに兵六 斬り負かそうと躍起になっても流れる鬼火のごとくすり抜けてしまう

終いには肩で息をしながら膝を折る兵六の目前に ちょいと降り立ったかと思うと着物の裾をまくり尻をこちらに突き出しながら

– どうした どうした兵六どん ここまでおいで - と屁を一発

すると これを合図のように松木の陰 土くれの下 茂みの中からわらわらと幾体もの毒々しい色の小坊主が現れ兵六の身体めがけて いっせいにまとわり付いた

「何じゃこれは敵わん! わかったわかった!勘弁してくれ!」

もみくちゃにされながら またも混乱と屈服の最中に落ちそうな兵六じゃったが この時ハッと頭をよぎった経文がひとつ

光明真言 かつて憶えた仏への祈り 今こそ唱えるべきならん

「おうん あぼぎゃ ばいろしゃのう まかぼだら・・」

すると不思議 今まで兵六を苦しめていた小坊主ども 瞬く間にしおしおと すくみ崩れてことごとく消え去ってしもうた

ようやく我に帰った兵六が見たものは あちらこちらに踏み散らかされて転がる茸(きのこ)の姿であったのだと・・

 

 

性も根も尽き果てた兵六

やれやれ 酷い目に遭うたが経文に助けられた 最早これ以上この地に留まるは得策にあらず 一旦 地元に引き戻り 策を練り直した方が良かろうかなどと思いを巡らせながら関屋の谷川に至る

谷川の水音を聞きながら木橋を渡ろうとした時
毛むくじゃらになった棍棒のようなハサミ腕が橋の下から伸びたかと思うと 兵六の足をがっちり掴んだそうな

大きな一枚岩のような大ガニ その姿に驚き逃げようとする兵六じゃったがカニはどうにも離しはせん

– 待て待て兵六 キサンは乱暴者であるだけでなく無粋な者なのか –
– 我らが静かに暮らす吉野原にまで討ち入り狼藉を働くとは言語道断 わしがこのハサミで ぶつ切りにしてくれよう –

– ここは古の歌人に連なる云われ高き橋 袂に巣食う我こそ百人一首にその名を残す山辺の赤ガニなれば キサンのこの世の別れに一首手向けてやろう –

慄く兵六を尻目に大ガニは歌を詠んだそうな

〜このやっこ 行くも帰るも捕らまえて 引くも引かぬも足柄の関〜

これを聞いた兵六 どこかで聞いたような歌じゃ思うたら蝉丸の替え歌ではないかと気づいた

するといつしか気も落ち着き 少々嗜んだ歌心をも思い出し 大伴家持の歌を詠み替えて

〜かささぎの渡せる橋に住むカニの あかきを見れば身ぞひえにける〜

と哀しげな調子にのせて返したのだと

これには さしもの大ガニも唖然としたのか

– これはこれは キサン見掛けによらず 優しき言葉を連ねて返したものだ 歌の奥義伝えしこの橋までやって来てこれだけの歌を詠むとは大したもの この足を離してやろう –

と唸り ズブズブと川の中に戻って行った

“天地をも動かし 荒ぶる鬼神の心を和らげ 気性激しき人の思いたしなめるは和歌の徳” とは紀貫之が遺した言葉であったが この大ガニとの一件は誠その証となったのじゃ

ーー

さても兵六 あらゆる妖怪変化の怪に脅かされながらも 吉野山の麓をよろよろ辿っておると ススキの原の向こうに二匹の狐がいるのを見つけた

なるほど こ奴らこそ今宵わしを苦しめ続けた狐どもに相違ない
一刀のもとに突き仕留めてくれよう・・

腹を括りにわかに立ち上がると 草原のトゲもイバラもお構いなく遮二無二 狐を追いかけた

兵六の気迫に押されたか はたまた狐の方も騙し疲れておったのか ついに兵六に捕り押さえられたのだと

さあ!ここで会ったが百年目 これまでの報い受けるがよい! とばかり兵六 抜き揚げた刀で一突きにせんとした その時

「待て!兵六! 早まってはならん!」 聞き慣れた声がする

何事ぞと振り返ってみれば 原の向こうから杖を頼りに息急き切ってやって来たのは 何と兵六の父 兵部左衛門であった

何故このような所に父がと目を白黒させる兵六を見据えて

「愚か者が! 貴様 大方 二才(若衆)仲間と賭けでもしたのであろう 父母にも内緒でこのような時刻に このような場所で化け物退治の真似事とはなんたることだ」

「近頃ではみだりに刀を抜いて馬鹿騒ぎを起こすは厳重に咎められるものを これがお上の知るところともなれば 貴様のみならず一族同々罪に問われる そのようなことも解らぬのか」

「思えば お前はわしら夫婦が年老いてからの子であっただけに甘やかして育ててしもうたかも知れぬ されど人の道に外れぬようには育ててきたつもりじゃ さあ狐を放してやれ!」

「島津のお家にも縁深い神使である狐を こともあろうに氏神祭のこの晩に殺生するとは忠義に反し親不孝にも通ずるものだ 刀など収め 今こそ教養と心身の鍛錬に勤しみ一人前の大人となって父母を安心させてくれ」

涙ながらに説諭し懇願さえする父を前に兵六はうなだれた
確かに日頃の己の行状は褒められたものではないし それに引き換え父母の情は筆舌にも尽くし難い

黙ったまま狐を押さえていた手を兵六は緩めた

その途端 狐どもはくるりと輪を描くとその場に糞を残しクァンクァンと鳴きながら逃げ去って行った

思わず振り向くと そこに父の姿は掻き消えて 背の毛も薄れた老狐が草の露もかき分けながら逃げてゆくところであったそうな

 

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いやはや、敵もさるもの化かすもの とでも言いましょうか、次から次へと新たな手練手管で攻勢を仕掛けるものですね。

真言密教の有り難い経文である「光明真言」*を ちゃんと憶えていたり、和歌への造詣もそれなりにあったりと、表面的に見える人物像からは意外なほどの教養も持ち合わせている兵六さん、それらを駆使して徐々に形勢逆転の展望も見え隠れするものの、やはり今のところ狐側の方が一枚上手と言ったところでしょうか。

兵六さんの気概と受難、いつまで続くのでしょう・・ 以下(四)編にて

 

*「光明真言」訳文 Wikipediaより

オーン 不空なる御方よ 毘盧遮那仏(大日如来)よ
偉大なる印を有する御方よ 宝珠よ 蓮華よ
光明を 放ち給え フーン (聖音)

 

 

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