小粒豆粒から見上げる大男まで(前)- 茨城県

さてさて、先日 カレーライス(ライスカレー)の話題をお届けしましたが、本日は茨城県からの話題・・。つまり「納豆」のお話からスタートです。

納豆・・、如何でしょう? 大好きな人、まぁ出されれば食べるけどな人、近づくのも苦手な人、それぞれかと思いますが・・w。 私個人としては・・どちらかといえば好きな方・・といった感じでしょうか。挽き割り納豆を入れた納豆汁は好物ですね。

 

納豆に こうした明確な好き嫌いが出てしまうのは、ひとえに発酵食品ゆえの “匂い” と “粘り” があるからに他なりません。寿司や天ぷらが大好物の外人さんに敬遠されるのも、こうした理由からでしょうか。

とはいえ、この “匂い” と “粘り” が、納豆独自の栄養と効果を物語っているのも事実であり、タンパク質、酵素、各種ビタミン類、植物繊維などを豊富に含んでいます。 また、血管中の血栓をきれいに溶解してくれる “ナットウキナーゼ” をも持っています。冬場、そしてまさに今!真夏にも多い脳梗塞・脳血栓にも効果のある納豆。好き嫌いはともかく、気になる方は今一度見直すべき食品なのかもしれません・・。

 

茨城県の名産として名高き “納豆”、国内生産量の50%以上が茨城県で作られ、特に小粒の『水戸納豆』は 水戸市独自のブランドであり茨城県=納豆のイメージを形作るステータスともなっています。(因みに茨城県はメロン、ピーマン、白菜、鶏卵なども生産量日本一だそうです。)

茨城県 水戸市

同時に、消費量も永年に渡ってトップクラス(福島県と首位争い)の状況・・。 何がここまで茨城県を納豆王国にさせたのかというと、ひとつには古い時代の水戸市周辺の地勢に原因があったという説があります。

茨城県の北、栃木県那須山地に源をもつ那珂川(なかがわ)は南に下って茨城県に入り、水戸市の東北端を貫いて大洗・太平洋へと至る、古来から周辺流域を潤し自然の恵みを供する大切な川でありましたが、反面、下流域の蛇行や 千波湖に絡む流状から、大雨・台風の度に大きな水害をもたらす問題をも抱えていました。

江戸時代に御三家として治めるところとなった水戸藩は、城下町を形成してゆく中で治水対策にも力を入れましたが、広大な穀倉地帯でもある平野部に水を行き渡らせることと治めることは、中々に両立の域には達せず、永年に渡って当地の悩みどころでもあったのです。

 

そんな 状況に則して作付けされたのが “大豆” です。 水稲や麦に比べて水害に強く、また季節的にも台風が来る秋以前に収穫が済み、なおかつ栄養や保存性に優れた大豆は、水戸耕作地の大きな部分を占めるようになっていきました。

食品としての “納豆” そのものは、それこそ古の時代から存在していましたから(一説には奈良~平安時代辺りから)、大豆の生産量が上がれば当然 納豆も多く作られます。 納豆は水戸藩・常陸国の常用・常備食品として根付いたのです。

この水戸納豆に転機が訪れたのが明治時代のこと。
水戸の外れ米沢の郷に生まれた『笹沼清左衛門』は、長じて郷土食でもあった納豆の商品化・工業化への可能性を見出し、これを実現するため仙台に出向き 進んだ技法を学んだそうです。

故郷に帰り数年の歳月をかけて研究を重ね、ついに生産化への道を切り開きました。明治22年(1889)水戸市柵町(さくまち)にて創業。堂々たる気概と幕末に活躍した郷土の志士の名を元に、『天狗納豆』の名を屋号に掲げました。

折しも、世は鉄道の時代へと移り変わる中、同年に開業した水戸線・水戸駅を使って “水戸偕楽園” への観光客も増加の傾向にありました。 それら水戸観光のお客たちが、小粒で美味しい水戸納豆を土産に買って帰るようになると、口伝てに『天狗納豆』の名は知れ渡り、やがて今日に至る会社の繁栄につながったのです。

そして それは同時に、水戸 / 茨城県=納豆のイメージを隆盛・定着させたのでした・・。

© 水戸天狗納豆 (株) 笹沼五郎商店

さて、本日は茨城県水戸市と納豆の歴史に触れてまいりましたが、最後に、この常陸国に伝わる “納豆創始” にまつわる伝承を一遍 置いて締めとしたいと思います。 また、次回も同地茨城県から、納豆の話から外れるものの、上記の地勢にも関わる民話をお届けする予定です。お楽しみに・・。

『国主に納めた豆』

平安時代 永保三年 時の陸奥守であった八幡太郎 源義家は、奥州平定の乱に向かう途上、常陸国 渡里の郷にて宿を得た。

この時 荷馬の背に載せていた荷を馬廻りの者が解いたところ、ワラの包みの中から何やら香しき匂いがする・・。

開き見てみるに、飼料に包んであった煮豆が馬の背の温もりゆえか、蒸され糸を引いておる。 ものは試しと馬廻りが一粒口に入れてみると、これが実に美味いではないか。

おそれながらと、これを義家に献上したところ感心を得て、以降、意をもって これを作り広めることとなった。

国主に献上した(納めた)豆 ということから「納豆」と呼ばれ、常陸国の特産として根付いたという・・。

歌川国芳『源義家・武勇擬源氏』

 

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