江戸や播磨や皿の乙女の出処は何処 – 中

さてさて、東京都千代田区に残る『番町皿屋敷』伝承、そもそも何故 まだ寒さも残るこの時期に取り上げたのかというと・・、特に理由はございません。以前からストックしていたネタを今回たまたま採用しただけです・・(^_^;)

怪談といえば、雪女伝承を別にして季節は夏!・・というのが古くからの凡そのイメージでしょうか。 最近では少なくなりましたが、講談や怪談噺の語りなどで「生暖かい風がフッと吹いてきたかと思うと・・」などの言い回しが使われるのも、こうした季節感を背景としていますね。

肝試しや幽霊型都市伝説が盛んに取り上げられるのも主に夏場。他の季節に幽霊はあまり化けて出ないのかと思えるほど。ひょっとしたら雪女を除いて幽霊というものは、私と同じく寒がりなのでしょうかw?

 

しかして 国外、外国の幽霊はというと、どうも事情が異なるようで、アメリカ辺りではほとんど季節感皆無、いわゆる地縛霊とされる “屋敷” や “土地” に居着いた霊が、時関係なく出現するのだそうです。頑張ってますねw。

ヨーロッパの方へ目を移すと(国にもよりますが)むしろ秋から冬にかけ、暗く寒々しい情景の中で語られることが多いそうで、これも多くは屋敷や城にまつわる話が少なくありません。

こういった “怨めしやのお国柄” が出る背景には、やはり その土地の気候が少なからず関係しているのでしょう。 ジメジメと蒸し暑い日本の夏においては、いわゆる “百物語” のように 怖い話でひとときの涼しさを・・という感覚が古くから根付いていたものと思われます。

また季節祭事における “お盆※” も影響を与えています。祖霊が現世に一時帰ってくる “お盆” には、帰るべき場所をもたない霊も紛れて現世に現れるという概念が古くにあったからだとか・・。 ヨーロッパにおける “ハロウィン” も同じく。よって向こうではやはり冬場語りとなるそうで・・。 ※ 日本における “お盆”。古来土着の祖霊信仰の色彩が強い。

人智を超えた異界との関わりを表す、こういった “怪談噺” にもそれぞれの国の気候や風土が現れているのが、何とも興味深いところでもあります・・。

 

それでは本日の本題 “西のお菊さん” のお話・・。 前回 記事にしました “東のお菊さん”『番町皿屋敷』のルーツになった・・かもしれない、兵庫県姫路市『播州皿屋敷』について話を進めていきたいと思います。

お菊の受難と非業の死、怨霊と化して井戸に現れ、ついに諸悪の根源は絶たれるという基本的なプロットは同じものの、この播州版の根底には姫路城における “お家騒動” が大きな流れを成しており、登場人物をはじめとした各種設定も番町版に比して、かなり複雑かつドラマティックなものとなっています。

~ 姫路城主 “小寺則職” を亡き者とし 城の乗っ取りを目論む家臣 “青山鉄山”。 いち早く謀略を察知し その証拠を得るため、自らの妾である “お菊” を密偵として青山方に潜り込ませる忠臣 “衣笠元信” 。

暗澹の中、乗っ取り計画とその攻防は一進一退を続けるものの、その中で密偵の存在に気づいた青山の部下 “町坪弾四朗” によって “お菊” の身元は割れる。 町坪の、横恋慕と引き換えに見逃してやるとの誘いに、首を縦に振らなかったが故に “皿割り” の嫌疑をかけられ、折檻の挙げ句 殺され古井戸に投げ込まれた “お菊” 。

以降、古井戸からは夜な夜な “お菊” の怨嗟の声が響き渡り 青山方に怪異が続く。 怯んだ青山方の虚を突いて小寺方は鉄山を打ち破り、町坪弾四朗はお菊の二人の妹に討ち取られた。 城と実権を取り戻した “小寺則職” と “衣笠元信” は “お菊” の非業の死を知って悔やみ、これを祀って懇ろに弔った・・。~

以上が『播州皿屋敷』の あらまし・・。 何故にここまで大掛かりな物語かといえば、”歌舞伎” の演目として作られたものだから・・でありましょう。 後に類似の演目や浄瑠璃など多彩な類話が上演されています。

極初期の歌舞伎が上演されたのは(早ければ)享保年間(1720年代)のこと。 詳細は残されていませんが、後に多くのバリエーションを生んだことから、当時かなりの好評を得ていたのではないでしょうか。 これが東に伝わって広まり結果的に『番町皿屋敷』につながったとする考察には、年代的な順序から見れば一応の説得力がありますね。

 

只、それでは、この “姫路城・播州版・皿屋敷” が、皿屋敷伝承の発端なのかといえば、そうと言うわけでもなく(そもそも歌舞伎創作ですし・・)、その題材となったであろうお話が何処かにあるはずです。

“小寺則職” は実在の姫路城主であり、時は戦国時代であったため幾多の波乱はあったものの、物語で語られるようなエピソードには遭っていませんし、青山鉄山のモデルと見られる人も存在していません・・。 要するに物語に関わる舞台や人物の設定は、皿屋敷の東西を問わず全て加飾であり、ストーリーそのものの出処はまた別なのです・・。

ならば、これらより古い “皿屋敷伝承に係る文献” としては、播磨国の永良竹叟(ながらちくそう)による『竹叟夜話(ちくそうやわ)』という書物が 天正5年(1577年)に著されたものとして、最も古いものではないかとされています。

当時伝聞した いくつもの不可解な事件を紹介する中の一遍であり、その中で・・。

~ 嘉吉年間(1441年代)の頃、播磨国 “青山” の館主であった “小田垣主馬助(実名・大田垣主殿佐)” が、”花野” という側女を寵愛していた。 しかし、この花野を懸想していた “笠寺新右衛門” とういう男の計略により、家宝である鮑貝の五つ盃の一枚が隠され、これが元で花野は松の木に吊るされた挙げ句 強殺された。 この後、毎夜の如く花野の怨霊が現れ、者共に祟をなした・・ ~ と、書き記されており・・。

“大田垣主殿佐” が “青山” の地に居館を構えていたのは短期間ながらも事実であり、その折に側女を囲っており、それに執心していたために政務が滞ったともいわれ・・、これらの伝承は 亨保年間(1700年代初期)に著された『播磨鑑(はりまかがみ)』にも紹介されています。

結果、室町時代後期の逸話として、安土桃山時代に著された『竹叟夜話』こそが “皿屋敷伝承” の創始である。・・と、したいところなのですが・・。 しかしまだ、事はそう簡単に結論づけられなかったのです・・。

 

前後2編で終わらせるはずだったのですが、3回目にまで至ってしまいました・・(^.^;)。
イベントや行楽記事をお待ちの方には申し訳ございません。次回で必ず終わらせますので・・。

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