江戸や播磨や皿の乙女の出処は何処 – 後

「啓蟄」を迎えました。木々の肌や地面も少しずつ暖まるようになって、冬籠りしていた虫や蛇たちも顔を覗かせる季節なのだそうです。 ・・まぁ、虫と一言に言っても色々なので、小さく可愛らしい虫ならともかく、あまり有り難くない虫や蛇などとは、顔を出したところにあまり出会いたくないものですが・・w。

ともあれ 出会いたくないものといえば、むしろ虫などよりも暴漢や暴走車といったところでしょうか・・。 暴走車はともかく、暴漢となると時代を遡っても居たようで、いわゆる山賊・追い剥ぎの類いですね。昔は山道など人気のない所を通る旅や遠出も、危険の伴う一大事であったようです。

そして夜、出会いたくないものといえば、やはり “幽霊・お化け” の類いということになるでしょうか。 ・・あまり真っ昼間に出会っても怖くない気がするのは何故でしょうかねw。 幽霊はさておき お化けの方は昼夜関係なく、時によっては場所すら関係なく、何かしらしてきそうなので危険度は同じはずですが・・。

 

さて、時も場所も固定タイプの律儀な幽霊 “お菊” さん。 日もとっぷり暮れた漆黒の闇の中で井戸からヌッと出てこられた日には、たまったものではありません。皿の数なんか数えなくても、出てくるだけで出会った者は腰を抜かしてしまいます。

現代、イベントの幽霊屋敷における定番アイテム “古井戸” 、近年では世界中に知られた映画「リング」でも大きな役割を果たす “古井戸” の暗く陰鬱なイメージは “お菊” さんによって確立されたといっても過言ではないでしょう・・。

その “お菊” さん伝承の発端を探し求めて、東京・江戸の番町から姫路・播州へ、そしてその至近地を基にした『竹叟夜話(ちくそうやわ)』『播磨鑑(はりまかがみ)』にまで、前回、お話が及んだのですが、如何せん これらが「お菊伝承」の発端である証左は・・現在に至るまで得られていないのが現状なのです・・。

姫路城の「お菊井戸」

 

それでは「お菊伝承」の元は ここで行き詰まりなのか? というと・・、内容的には異なるものの、いくつかのプロットに類似性を持ち、「お菊伝承」につながったのではないかと思われる民話・伝承がありますので ご案内致しましょう・・。

ひとつは「紅皿欠皿(べにざらかけざら)」というお話です。

簡単に言うと “継子いじめ” のお話です。 場所は まだ開かれる前の武蔵国、現在の東京 豊島区の辺りであったそうで・・。

時は室町時代の最中(応仁の乱でしょうか?)、負け戦から命からがら逃れてきた一人の落ち武者がいました。味方・家人はことごとく失われ、娘一人だけを伴っての逃避行でありました。

幸い、落ち武者親子は落人狩りに遭うこともなく、この地でひっそりと暮らし 後添いも迎えて穏やかに暮らすこととなったのですが・・。 その後妻には亭主の娘よりも少し年下の自分の娘が一人いました。

・・と、いうことで、よくある話、定番の展開になってしまいます。亭主の実子である上の娘、我が腹を痛めた下の娘・・。亭主の目の届かぬ隙を狙っての差別・嫌がらせ、危険極まりない言い付け事、果ては強殺にまで至らんとする執念深さ・・と。

これだけであれば多所聞かれる “継子いじめ” の類話のひとつなのですが、この娘の名が武者の子である上の娘が “紅皿” 後妻の子である下の娘が “欠皿” であったのだとか。 (出来の良い上の娘と宜しくない下の娘を表して近所の者が呼んだ名だとも・・)

太田 道灌(おおた どうかん)という武将をご存知でしょうか? 昭和時代の教科書などで取り上げられ、憶えておられる方も多いかと思います。 山中で雨に降られ一軒のあばら家で箕を借りようと声を掛けると、出てきた娘が箕ではなく一枝の山吹を差し出して・・という あのお話です。

この時の娘が、継母によって あばら家に閉じ込められていた “紅皿” だという お話(設定)もあるそうで、民承の面白いところですね。

結果的に “紅皿” はお殿様に迎えられハッピーエンドとなるわけで、この話が直接「皿屋敷伝承」の下敷きとなったかどうかは不明ですが、「皿」なるキーワードが用いられる不可思議な由縁と、強殺にも至らん過酷な面が、遠因を成しているという意見があるのだそうです・・。

 

直接の下敷きとしては少々物足りない印象もある「紅皿欠皿」ですが、もっと「皿屋敷伝承」に近そうな民話をもう一遍。 「九枚筵(むしろ)」 今度は皿ではありませんが、枚数も同じ9枚になっていますね。

残念ながらこちらも “いじめ話” です。場所は東北地方。
とある農村武家のお話・・。 その家には世間でも評判の よく出来た嫁がいたのですが、それを面白く思わないのが姑。何かにつけて嫁をいびるのが日課のような毎日・・。

それでも、めげずに健気に振る舞う嫁に業を煮やしたのか、ある日姑は嫁に10枚の筵を渡し、この上に麦粉を広げて乾かすように言い付けます。

 

文句のひとつも言わず姑の言い付けどおり麦粉を乾かす嫁。 しかし、ほんの少し嫁が目を離した隙に姑は筵を1枚隠してしまったそうで・・。

9枚しか残っていない筵に戸惑う嫁に、ここぞとばかり責め立てる姑・・、あまりに苛烈な責めに耐えかねた嫁は、ついに井戸に身を投げてしまいます。

その後 井戸からは、死んだ嫁の筵を数える呪わしい声が聞こえるようになり、姑は重い病に苦しんだ末 死に至り、凶事が相次いだ家はついに絶えてしまったのだとか・・。

物の数にまつわる部分を含め、物語の要所に “皿屋敷” に似通うプロットが見受けられ、確かに「皿屋敷伝承」の類承・元話と見受けられるお話です。・・が。

この話、初出が詳らかでありません。民話故に「皿屋敷伝承」より古いものか、後で出来たものなのかが定かでないのです。 もしかすると元話ではなく、逆に「皿屋敷」をベースに作られた話である可能性も否定できないのです。

事程左様に伝承の原初を探る旅は容易くなく、よほど明確な文献でもない限り “言のはじめを定める” のは難しいことなのでしょうね・・。

一説には、ご案内したような “いじめ” や “横恋慕” など、古くから女性を取り巻いた不遇・横暴の実話に、数にまつわる怪異譚が習合して生まれた民話なのではないかとも言われているそうです。

3編に渡りながら原初も明かせず恐縮ですが、「皿屋敷伝承」は一介の怪談で留まることなく、時代に伴って様々に変容を遂げ、大正時代に至る頃には一大悲恋物語としても語られていたといいます。

 

人や社会が時とともに移り変わっていくように、そこから生まれる伝承もその時々に新たな生命を吹き込まれていくのでしょう。

最後にその最終形態? とでも言えそうな、“笑い” の皿屋敷を置いて大喜利としたいと思います。 今回もお読みいただき有難うございました。

 

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