江戸や播磨や皿の乙女の出処は何処 – 前

東京都の中心・・というべきでしょうか、皇居を取り巻く形から成る千代田区は、永田町、霞が関、丸の内などといった政治・行政そして経済の大動脈を担い、むしろ日本の中心ともいえる主幹機能を擁した一大都心地です。

古くは江戸城であった場所を取り囲むように大名・旗本屋敷などが作られ、幕府、ひいては国の行政を司り、明治維新以降は天皇の入城をもって皇居とする経緯を由縁とするだけに、現在の姿は歴史の必然といえるのでしょう。

そんな日本の最先端、世界有数のハイテク都市であっても、時を遡れば、舗装も無き道、夜の灯りもままならない古き時代が当然のように存在します。

24時間 昼も夜もなく活動する現代と違って、日が落ち夕闇が迫る頃には人気も疎らになり、町や外れの其処ここに息づく鬱蒼とした藪からは、異界の者たちの声が聞こえてきそう・・。天下に号する大都市であっても、古の時代にあっては人と異界の距離は まだ間近であったのではないでしょうか・・。

 

千代田区の西部、”山手(やまのて)” と呼ばれ高級住宅街や文化施設が広がる地域も、その名からも知れるとおり、当時は小高い木々が生い茂る閑静な場所でありました。

現在は町名としてのみ名を残す “◯番町” も、江戸時代にこの地に創設されて以来 今に伝わります。 将軍、江戸城の守護と治安維持を担う 旗本大番衆(おおばんしゅう)の屋敷が、ここに集められ一番組から六番組まで組分けされたことが由来となっているのだとか・・。(※ 但し、当時の組分けと現在の町域は一致しない)

個々の家格というより業務用住居という趣きで、形式化された屋敷が古く建ち並ぶ町。 着任者が入れ替わるため門前には表札さえ架からず、住民でさえ居住地の地籍を把握している者は少なく “番町住みの番町知らず” などといわれほど寡黙な場所だったそうで・・。

その番町の一つ(一説に五番)に居を構えた旗本 “青山主膳” の屋敷で承応2年(1653年)にひとつの凄惨な事件が発生しました。

ここまで来れば お分かりのことと思います。
本日のお題「皿屋敷」と呼ばれる怪談にまつわるお話です・・。

 

内容に関しては よく知られているところ。
主人 青山主膳が大事にしていた十枚組の皿の内一枚を割ってしまったが故に、苛烈な折檻受け監禁された果て、部屋を抜け出し自ら井戸に身を投げて無念の死を遂げた下女 “お菊” が夜な夜な一枚から九枚まで皿を数えるという奇譚ですね。

地名を用いて『番町皿屋敷』と呼ばれています。

“知られているところ” のとおり 実話ではなく、あくまで創作された怪談噺です。狂言芝居の題材、馬場文耕による『皿屋舗辯疑録』という著作が元となっているそうで・・。

時代的には(同じく江戸の)芝居作者 “鶴屋南北” によって世に出され好評を得た「東海道四谷怪談」などと似通った時期ですね。現代に比べ娯楽の限られた社会にあっては、市井の民にとって格好の好奇と気晴らしの種だったのかもしれません。

画像 © Matthew Meyer

物語の後半、毎夜 井戸から漏れ渡るお菊の怨嗟の声は いつしか世間に知れ渡るところとなり、ついに青山主膳の理不尽な行いは公儀の耳にまで届くと、そのあまりの非道さを問われ改易処分が下されます。

そして、それでも止まぬ お菊の怨み声は高僧・了誉上人の機転によって昇華され、ようやく お菊の成仏が叶いました。

芝居の観客たち、物語を伝え聞いた者たちは、ここで万感のカタルシスと お菊への冥福を感じたのでしょうね。 勧善懲悪とまでは行かないまでも、非道な権力者への懲罰・没落と弱き者への救いは、当時の世相を少なからず反映した出色のストーリーであったのでしょう・・。

 

とは申せ、作品のあまりの出来の良さからか、また、この話が一からの完全な創作ではなく、その元となった類話の存在故か・・。

少なくとも当時、この話は単なる芝居の域を超えて半ば実話のごとく、人から人へと伝わり語られていた側面を持っていたようです。「四谷怪談」でも同じような傾向が見られるため、そこはそれ、人の性というものでしょうか・・。

青山主膳は完全に架空の人物、お菊のモデルとなった女性も実在が定かではない中にあっても、お菊に因む場所は千代田区九段の帯坂、杉並区永福の栖岸院の墓所をはじめとして群馬、神奈川など関東一帯にいくつも存在するようで、それは今の時代にも由縁の地として語り継がれています。

お菊の出自についても、元々、主膳が捕縛処刑した盗賊の娘であったとか、平塚の下級役人の家から見習い奉公に出されていたものだとか、事程リアリティを付加されて語られるのを見るにつけ、当時どれだけ この話が人々の関心を引きつけて止まなかったが伺われますね・・。

そもそも、この話の初出がいつの頃であったのかは現代の研究でも判然としていません。 『番町皿屋敷』が創作の話であったとしても、その元となった話があるが故に より真実味をもって受け止められた可能性も高いのです。

江戸時代に公開され世間の話題をさらった『番町皿屋敷』に比して、同じく同時代の初演ながらも その原初が室町期にありとされる “皿屋敷伝承、西の雄”『播州皿屋敷』物語こそが、”番町皿屋敷” のルーツであるとの意見もあるようで・・。

次回後編では兵庫県姫路市から “西の皿屋敷” を中心に、お話を継いでいきたいと思います。

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