その夜は家内に籠もるべし(みねんげさん)- 島根県

当記事は2019年8月からのリライト記事となります。

「夜歩く」は横溝正史による推理小説、夢遊の内に夜の静寂をさまよう登場人物を中心に書かれた怪奇な物語でした。

小説ほどではないにせよ、昭和も中盤頃までは日も沈むと 辺りは夜の帳に包まれ 用もないのにあまり出歩くものではない という風潮だったように思います。

現在のように街に灯りが横溢しておらず 夜とは暗闇の世界・・
歓楽街を除けばコンビニを始めとした夜間営業のお店など無く、要するに暗くなってから行くべき所も無い、さして出掛ける用事も無いのにわざわざ 夜うろつくのはロクなものではない・・といった感じでしょうか・・

本来、人は夜行性ではありません。往古から近代に至るまで 夜出歩くことは避けてきたはずなのですが、環境の整備や生活スタイルの変化に伴いその活動時間を拡張してきました。

それでも太古の記憶かDNAに刷り込まれた情報の残滓か、人は “夜=闇” の向こうに言い知れぬ不安を抱きます。 単に “見えにくいから危ない” だけの理由だけではない、抗いがたい畏れがそこに隠れているように思えるのです・・。

現世を生きる者が普段 交わることのない闇の向こうの世界、それは異界であり魔界であり、そして彼岸の世界でもあります。
日本における「お彼岸」そして「お盆」も、こうした異界とのつながりをして先祖や故人と気持ちを通じるもの・・、 だからこそ、こちら側としては安全な状態で通じ合いたいものですねw。

お盆の夜、出歩くことに関連した少し暗く そして霊妙に満ちたお話が島根県大社町に残っています・・。

 

『 みねんげさん 』

毎年八月十四日の晩 大社の里では「みねんげさん」というて
その日は どの家も日々の勤めを早めにしまうと 皆家にこもり戸を閉じて 日も沈む頃には誰も戸外には出ぬことにしておるそうな

これは その日の晩には出雲の大神さまが馬に乗って里の道々を行かれるので
まかり間違ってその行列に出くわそうもんなら 立ちどころに命を召されてしまう・・

そのように伝えられておったからなんだと

ところが いつの時でも困った性分の者はおるもんで

「そげな ことがあろうかい しょうもないことで皆騒ぎおって」

まわりの者が止めるのも聞かず 日も暮れかかる頃その男は家を出た
通りの突き当たりにある大きな木の下まで来るとそこに座り込み 夜のふけるのを待っておったんだと

 

お天道さんも山の彼方へ行かれ 辺りはとっぷりと夜の闇に包まれた
すでに家々は固く戸を閉じ 人の気配など微塵も感じられん

少々退屈になってきたな と男が小あくびをひとつもらした その時
通りの彼方に灯りがふたつ ポッと灯った

あれは何じゃ? と男が訝しがっておるうちにも灯りは段々と近づいてきおる

見ると灯りは高張りの提灯 その後ろには 大きな黒馬にまたがり 左右にお供を従えた神様の行列じゃった

まさかに あの話は本当じゃったか
男は後悔し今にも逃げ出したい心持ちであったが もう足はすくんでしもうて動きがとれん
そうこうしている内に とうとう男は神様に見つかってしもうた

「何じゃ あれは?」

厳かな声で お供のものに問う神様

お供は やにわの出来事に驚いたものの気を利かせて こう言うたそうな

「あ・・ あれは犬にございます」

神様も せつな考えておられたが やがて

「そうか」 とだけ答えられ その場を後にされたそうな

次の日 里人が見たものは 男の帯を巻いた一匹の犬だったと

– – – – – – – –

島根県大社町のお社と言えば何はともあれ『出雲大社』
その出雲大社の8月14日未明に執り行われる不思議な神事として「身逃(みにげ)の神事」というものが伝えられています。

お察しのとおり「みにげ→みねんげ」身逃 という言葉が転訛(なまり変わること)したのでしょうね。

クローズアップされる事が少ないので知る人もあまり無い行事ですが、出雲大社においては古来続く行事である上、その神秘性も相まってかなり重要な神事でもあるようです。

内容に関しては上の民話がそれなりに忠実に表しているといえるかもしれません。
つまりは”神幸祭”(神様が宮を出て御旅所などの場所を巡られる祭)なのですが、これを真夜中、午前1時頃に行う、それも一般的な氏子参加のものではなく極一部の神職によって執り行われるというかなり異例な形態を持っています。

また、実際この「身逃の神事」の意味成すところ、現代の研究においてもあまり解明されていないようで、驚くべきことに出雲大社自身もその詳細については詳らかにしていないという点が、一層 この神事をミステリアスなものとしていますね。

 

神事は14日の御神幸に先立ち10日の朝からその準備が始められます。
深夜の御神幸も然ることながら、非常に興味深いのが一連の行為の中心にあるのが出雲大社の国造(宮司 / 最高位)ではなく、次位である祢宜であるという点でもあるでしょうか。

10日には斎館、11日には稲佐の浜にて禊を済ませた祢宜は 13日夜に高張り提灯、騎馬提灯を先に従者を従えた行列で「道見(みちみ)」(つまり本番前の下検分)を行います。
その間、出雲国造は国造館を出て一族の館に一端籠り一連の神事が終わるのを待ちます。

14日午前1時、先の道見と同じように身逃神事の本番が祢宜によって行われるのですが、この時 国造館の大広間は掃き清められ境内の全ての門は開け放たれているそうです。

祢宜は出立し、湊社、赤人社と参詣、稲佐の浜の塩掻島で祭事を行った後 国造館から本殿へ帰投します。 この道中、人に会うと穢れるとして最初からやり直しとされることから今回「みねんげさん」のような伝承が生まれたのでしょうね。

つまり、概要として祢宜が”大国主大神” のお供として(または依代として)社を一旦離れ神幸を行っている間に、大社及び国造に及ぶまで清められた状態にしてまた大神をお迎えする といった感じなのですが・・

大社筆頭である国造が大社内また決められた斎場ではなく他家へ移動することから”身逃” とされているそうですが、神事の真意を知ろうとすればするほど単純な御神幸というものでもなく、後に続く「爪剥祭(つまむぎさい)」も含めて古代における祖霊回帰信仰などの関わりも指摘されており その神髄は いやが上にも深いもののようです。

タイムフリーな現代、犬にされてしまうというような事は無いでしょうが、元々は人も自然の一部、朝、昼、晩、出来るだけ自然の流れに沿った生活が良いのかもしれませんね。

 

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