三聖人に縁紡ぐ岩屋寺 弁天稚児の羽衣 – 愛知県

飛鳥~奈良時代の高僧、日本初の “大僧正” の位階を授けられた ”行基上人”、 高位の者によって占められていた仏の教えを、禁を破り弾圧を受けてまで民に広げ、寺院のみならず橋や灌漑の建設に力を注いで 民衆の暮らしを支えた威徳により、後に ”菩薩” の称号を与えられるまでになりました。

全国に数百の聖地開基伝承さえ残る行基上人、時代を越えて語り継がれるこの聖人に、本尊 ”千手観音像” の開眼法要を委ねた寺が、愛知県の静かな山間の町、南知多町にあります。
山間と書きましたが ここは愛知の ”蟹の腕” の先、車で数分も走れば青々とした伊勢・三河の海を一望出来る場所、山海に囲まれた明媚な地勢とも言えますね。

寺の名は『尾張高野山宗 大慈山 岩屋寺』 ”行基上人” をはじめ、日本仏教史に燦然と輝く聖人に関わりを紡ぐ名刹です。

「尾張高野山宗 大慈山 岩屋寺」と行基上人

寺は 霊亀元年(715年)元正天皇の勅願所として開基されましたが、そもそも事のはじめはは 間近に控える漁村で起こった一遍の不思議な出来事であったと伝わります。

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波寄せるその漁村で ある日のこと、一匹の魚も獲れない日がありました。

いくら網を打っても魚どころか稚魚・海月さえかからない有様に、仕方なく男たちは引き上げ どうしたことかと話し合っていましたが・・、 収獲だけでなく、あまりにも静かすぎる辺りの異様な様子に気付いた村長は、今日は家に戻り どこにも出掛けぬよう皆に告げます・・。

 

その夜、まんじりともせず、眠れぬままいた村長の耳に ふと戸を打つような音が聞こえました。

不穏なことでも起こりはしないかと注意深く戸を開け、外に出た村長が見たものとは・・、

光る海であった。 月さえ出ていないこの夜に煌々と光り輝いている。

異様に気付いたのか他の家の男達も戸外へと出て驚いている。女房たちも恐る恐る家の中から覗いている。

どうしたものか検討もつかず皆が立ちすくんでいる中、ついに村長は船を出し、海の最も明るい場所へと漕ぎ出して行った。

そして、明かりの中心にまで来た時、村長の乗る船を目指すかのように何やら海の中から浮かび上がってくるではないか・・。

村長が それをすくい上げ手に取ると、それは一体の仏像であったそうな。

 

村に上がった仏様は 間もなく村人たちによって建てられた御堂に安置された。
それからというもの、村では次々と不思議な霊験が現れ、やがてこれを伝え聞いた都の特使が村を訪れるまでになったのだと。

仏様の高徳に気付いた特使は村人たちに寺を建立することを勧めたのだそうで・・

これが 今日の岩屋寺のそもそもの興りだと伝えられているのです。

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この伝承がいつ頃のものか詳らかではありませんが、上記の通り奈良時代の初頭、行基上人の縁をもって岩屋寺は開基されました。

そして、その約百年後には、国内数千の地にその逸話を残す密教伝承の巨人、”空海(弘法大師)” が、この岩屋寺を二度に渡って訪れ 大きな足跡を刻むこととなります。 岩屋寺の背を守る山に籠もり、百日間の護摩を焚き上げ法要を執り行ったのだとか。

その際、護摩の灰より一寸八分の千手観音像を作り、これを元よりの御本尊 “聖観音像” の御光の中へと奉安されたと伝わります。

現在見ることの出来る観音像、これを際立たせる光背の上手に小さな宝箱があり、この中に弘法大師の手によると思われる千手観音像が納められており、今も月に一度のみ御開帳されるそうです。

大師のこの縁によって当地には奥之院が開かれました。

弘法大師と親鸞聖人

さらに その三百余年の後、今度は浄土真宗の宗祖 “親鸞聖人” が当地を訪れます。

親鸞は弘法大師縁の井戸の水をもって阿弥陀如来の書像を描き納められ、門下の僧をも参詣させると告げられたそうで、この地が如何に霊験深き地所であるかを物語っていますね。

 

三聖人の縁によって愛でられた岩屋寺ですが、戦国の世には存亡に関わるような危機を何度も迎えます。中でも慶長5年(1600年・関ヶ原の戦いの年)、織田信長そして豊臣秀吉に仕え、後に海賊大名と渾名された九鬼嘉隆の水軍によって戦火に見舞われ大きな被害を受けました。

本堂・伽藍の多くを焼失したこの災火ですが、地元にはこの事についても不思議な伝承が残されています。

九鬼水軍の侵攻、焼き討ちによって燃え盛る村々そして本堂伽藍、もはやどうすることも出来ず人々が呆然と立ち尽くす中、突如として “弁才天” が現れ日吉の井戸から水を汲み撒いて、辺り一帯の業火を鎮めたのだそうです。

 

この弁才天による霊験は、その後「火消し弁天」と呼ばれ火難や厄災を祓う守り神として信心を集めました。

そして、この神事は現在、岩屋寺の稚児においてその姿を留めています。

© 画像「尾張高野山宗 大慈山 岩屋寺」

この11月14日(日)に予定されている「稚児行列」において、女の子の衣装には弁才天の姿で知られる “羽衣” を、手には火消しに使った “ひしゃく” を持つことになっているそうです。

神事に基づく雅な子供たちの姿、艶やかなその風情は現代の災禍コロナ禍で閉塞した気分をも吹き飛ばしてくれるかもしれません。 稚児募集そのものは早々に埋まってしまっていますが、参観されるだけでも華やかで厳かな一時を過ごせるのではないでしょうか。

数々の霊威と歴史をもつ『大慈山 岩屋寺』是非一度 参拝されてみてください。

 

『尾張高野山宗 大慈山 岩屋寺』 公式サイト

稚児行列
日  程 : 2021年11月14日(日) 11:00~12:00

場  所 : 〒470-3322 愛知県知多郡南知多町山海間草109

問い合わせ : TEL . 0569-62-0387(寺務所)

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