「チャッチャッチャッチャラ〜♪ ボボッボボッボボボ♪」
文字で書いても判りにくいですよね・・ 独特なイントロ、ノリの良いリズムと節回し、一度聴けばすぐに耳が覚えてしまう、昭和生まれの多くの方はご存知『銭形平次』のオープニング曲ですね。
作家、野村胡堂による「銭形平次捕物控」をもとにテレビ時代劇として作られたドラマ版『銭形平次』、1966年から1984年まで18年間 計888話 にわたって放送され、連続放送されたテレビドラマ番組としてギネス世界記録にも認定されています。
主演の大川橋蔵さんにとって代表作であると同時にライフワークともなり、主題歌を歌う舟木一夫さんにとっても大きなヒット曲のひとつとなりました。
テレビ版『銭形平次』が始まるまでは、名優 長谷川一夫さん主演による映画版「銭形平次」が18作を数え一世を風靡していましたが、時代劇として練り込まれた映画版とはまた違うテンポの良さと橋蔵さんのキャラクターと演出、そして躍動感あふれる勧善懲悪のストーリーが好評を博し、後に続くテレビ時代劇黄金期の先鞭をつけたとされています。
さて、冒頭のオープニングムービーですが、ここでクローズアップされるのが平次の十八番 “投げ銭” ですね。 円形の貨幣の中心部に四角い穴の空いた「寛永通宝」銭です。
寛永通宝はその名のとおり江戸の初期、寛永13年(1636年)に発行され幕末に至るまで230年余にわたって流通した、江戸時代 最もポピュラーな貨幣でした。
江戸幕府が開かれ安定期に入ると同時に それまで地域によって異なる流通貨幣や “永楽銭” などを廃止し、新造貨幣による統合と経済合理化を目指して行われた、いわば国家的プロジェクトの一環だったといっても良いでしょう。
一口に寛永通宝と言っても厳密には “銅銭” や “鉄銭” “真鍮銭” などの種類があり、また時代や景気によって価値変動があるものの、寛永通宝は一般庶民にとって最も身近な金銭であり、(時代設定が確立していないものの)平次が投げていた銭一枚、現代の感覚でいうと凡そ30〜50円ほどの価値だったと言われています。
(ドラマ番組の設定上、投げて使った銭は後から子分が拾っているとのことだそうです)
さて、さらにもう一つオープニングムービーから・・、殺陣(たて) に絶妙の冴えを見せた橋蔵さんの立ち回り、ご承知のとおりオープニングムービーの中にも取入れられリアルな捕物劇にも縦横に発揮されているのですが・・、
いつの頃からでしょうか、砂丘のような場所を舞台に短い立ち回りが映され最後には平次の一手で悪党ども?が一斉に崩れゆく・・そして平次が立つ砂地には巨大な寛永通宝の造作が・・という映像がムービーの締めに使われるようになりました。
大川橋蔵さんによる『銭形平次』は昭和の思い出となりましたが、この撮影ロケに使われた砂地の造作は実はロケ用に作られたものではなく、歴史的な造作物であり現在も補修を施されながら残っているもです。
寛永通宝造作の名称は その名も『銭形砂絵』 香川県観音寺市の有明浜に存在します。
縦・東西に122メートル、横・南北に90メートル、そして周囲345メートルという少し楕円ながらも寛永通宝を忠実に模した巨大な造形ですね。
以前は市章ともなり観音寺市のシンボルとも言える寛永通宝の意匠、それを立体的に作り上げた史跡なのですが、実は不思議なことにこの『銭形砂絵』その由緒がはっきりしていないそうです。
一般的には讃岐国主であった生駒高俊(藤堂高虎の類縁)が当地を視察の折に、これを歓待するため領民が一夜にして作り上げたという伝承が有名ですが、寛永通宝の発行年との時系列が合わないとの指摘もあり確定的ではありません。
只、他の説も時代や登場人物の差こそあれど、何らかの歓待記念に領民によって作られたとの話が多く、おそらく大筋ではこういった背景によるものなのでしょう。
砂で築かれたものであるだけに風雨によって やがてその姿は崩れてゆきます。
『銭形砂絵』は人気のスポットであるだけに、定期的な維持作業は必須で “砂ざらえ” と称される補修作業が春と秋に、また暴風被災の後などに行われるそうです。
そして、その作業には多くの市民が参加しているようで、その意味で『銭形砂絵』は創始の頃から現代に至るまで、一般の領民・市民の手で始められ守られ続けている極めて珍しいケースの史跡と言えるでしょう。
庶民経済の中心ともなった寛永通宝のご利益でしょうか、この『銭形砂絵』を一度でも観覧すると一生お金に困らないという言い伝えもあるそうです。
同公園地域内には寛永通宝にあやかって『世界のコイン館』もあり、コインマニアにも絶好のスポット、香川県にお出での際は風光明媚な有明浜の眺望とともに、その不思議で雄大な・・そして、どこからかあの歌が聞こえてきそうな『銭形砂絵』に足を運んでみては如何でしょうか。