南洋の陽射し煌めく先島諸島、宮古島諸島の下地島、沿岸部に立地する下地島空港に程近い浜辺の一角にその岩は在ります。
高さ12m 周囲60m、重量 数千トン(一説には2万トンとも)、深海をも思わせる黒さを湛えたその岩は「帯岩」と呼ばれ、その眼前には鳥居も建てられ 古くから島民の信仰の地であると同時に宮古島の史跡にも指定されています。
宮古島の観光スポットのひとつでもあるために ご存知の方も多いかもしれません。
この岩はいわゆる「津波岩」とされるもので、大規模な津波現象により海底にあったはずの巨石が押し流され陸地まで打ち上げられた 驚くべき自然現象の結果なのです。
明和8年(1771年)に発生した八重山地震(八重山津波)によって海中より運ばれたとされる この岩は、現存 世界最大級の津波岩とも言われていますが、昭和の中頃までは このような巨石が「帯岩」以外にも周辺一帯に多数存在していたそうです。
昭和47年、下地島空港の建設に際して その大半は爆砕された上で基礎工事などに利用され、地中に眠ることとなりましたが、信仰の対象でもあり「オコスグビジー」(大きな帯をした岩)「帯岩」だけは島の要請に応えるかたちで残されることになったのだとか・・
「本岩根岩」「神岩命宝」の文字が刻まれた顕碑に伺われるように、苔生した岩は豊漁や航海安全祈念の対象として島民の信仰を集めてきましたが・・、 この岩を現しめた八重山地震、250年前に発生した明和の大津波はマグニチュード7.4〜8.7と推定される大規模な地殻活動によって引き起こされたものと考えられています。
揺れによる地表被害が少なかったことに比べ、発生した津波の最大遡上高は30m以上にも達し、それが3度にわたって島を襲ったと伝えられます。
数千トンに達するような巨石を押し上げた この大津波による被害は筆舌に尽くし難く、この浜辺の地、木泊集落はほぼ全滅、宮古・八重山諸島において約1万1千人の犠牲者を出し、これは全島民の3人に1人が失われたことを意味するのだそうです。
目を覆う惨状とは正にこのことですが、この津波によってもたらされた悲劇はこれだけに留まらず、壊滅した島の生活基盤によって飢饉が起こり翌年には疫病も発生、5千人に上る死者を出したと伝えられています。
昔日の惨禍の記憶を留める「帯岩」、現在では豊漁・家内安全を願う信仰の対象ですが、元は荒ぶる海の神の怒りを鎮め、二度と災禍に見舞われないことを願う祈念の碑であったと考えるのは無理があるでしょうか・・
津波災害と言えば 今年で発生9年目を迎える東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)を当然のごとく思い出しますが、歴史的に海洋性地震が多いと伝わる東北地方、岩手県 田野畑村の羅賀にも「津波石」が存在します。
明治時代に起こった明治三陸地震の津波で運ばれたものと言われ、海岸線から400m、海抜25mの地点に在るため、古く地元ではこの地点より下には住居を結んではならないと言い伝えられていたそうです。
激動の面影を残し 災禍の悲惨を伝えるこれらの史跡は、今日の私たちに自然災害の大きさと それに対する意識を呼びかけますが、口承によって伝えられているものも少なくありません。
先島諸島とは位置的に真逆の北海道、平成5年(1993年)北海道西部に位置する奥尻島に壊滅的な被害をもたらした 北海道南西沖地震による津波は、地震発生から僅か数分後に奥尻島西部に到達、最大30mに達した遡上波は南部の青苗地区で津波火災をも引き起こし、死者・行方不明者230名、負傷者323名を数える大災害となったことを憶えておられる方も多いでしょう。
幾度となく津波被害に見舞われた北海道の過去は、アイヌ民族の伝承としても残されており、その中から一遍ご紹介しておきましょう。
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その昔、蝦夷の南の浦を大津波が襲った
黒々とうねる波の襲来を見て、三石集落に住むアイヌはサマンベ山へ逃げ、幌毛集落に住むアイヌはサマッケ山へと逃げた
しかし、サマッケ山に比べてサマンベ山は低く海辺にも近かったために三石集落のアイヌは次々と波に巻き込まれてしもうた
ところが 幌毛の者たちは三石の人々を見て
「奴ら サマンベ(鰈 / カレイ)のようにバタバタ足掻いておるわ」と嘲笑った
この様子を見ていた神様は、海中より巨大な鰈を呼び浮き上がらせて三石の人々を救い、波をサマッケの方へと追いやったので、幌毛のアイヌは見る間もなく波にさらわれてしもうた
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まさに天罰覿面とでも言いますか、互助・共助の精神を欠いた利己的な言動に対する戒めを表した説話であり、似たようなお話が浦河のポロイワとハライエチキキにも伝えられています。
合理的・・というより即物的な感覚で捉えるなら「神様そこまでするなら最初から津波など起こさなければ良いじゃないか」といったところかもしれませんが・・
ここで大事なことは、神の意志であろうと無かろうと、人に苦しみをもたらす自然の災害は どうしようもなく、いつか必ずやって来るものだということ・・
自然が人に与えるものは恩恵と試練 双方であり、これらは不可分のものであるということでしょう。
だからこそ、自分を取り巻く世界・自然に対して感謝と畏怖の念を忘れず、そして、現実の生活においては災害への危機意識とその備えを、出来るだけ施しておくべきだと思うのです。
拙ブログで言うようなことではありませんが、非常時の水や食料・電源の備え、より実効的な避難路や避難先の確認、有事の行動の想定と家族との話し合いなど考えて出来ることはいくつも有るでしょう。
勿論、臨海地域・山間地域で住む人が、いつ来るか解らない災害のために居を移すことは現実的ではありませんし、津波や土砂崩れ、雷害のように被災と死の直結度が高い災害はどうすることも出来ません。
しかし、それでも 日頃の意識による たった数分の判断と行動の差が明暗を分けることは充分に考えられるのではないでしょうか。
地震大国・災害大国 と言われる この国であればこそ、自助としての準備、共助としての精神を持ち続けたいと思うのです。
千年二千年の歴史を越えて往古の残滓は私たちにそれを伝えているのではないでしょうか。
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