ジャンと響けば何かが起きる 浦戸の海の怪異 – 高知県

〜 孕の海にジャンと唱うる稀有のものありけり たれしの人もいまだその形を見たるものなく その物は夜半にジャーンと鳴り響きて海上を過ぎ行くなりけり 〜

 

鹿持雅澄(かもち まさずみ・江戸時代後期 日本の国学者)による “土佐今昔物語” 、『孕のジャン』と呼ばれる伝承を今に伝える一説です。

”孕の海” とは高知県高知市の丁度お腹の部分とでも言いますか、 “浦戸湾” という名の静かな海のことを言い、土佐湾に面した先端部にある “桂浜-坂本龍馬” はあまりにも有名ですね。

この浦戸湾の中ほど、少し狭くくびれたようになっている辺りを主に「孕(はらみ)」と呼び、現在もその西岸に孕地区が存在します。

古の言い伝えですが、 その ”孕の海” で夜も更けた頃、どこからともなく「ジャーン」という不気味な轟音が鳴り響くというのです・・。

上文の続きを追ってみると・・

〜 夜半に小舟浮かべて あるいは釣をたれ あるいは網を打ちて幸さち多かるも この音 海上を行き過ぐればたちまちに魚騒ぎ走りて 時を移すともその夜はまた幸さちなかりけり 〜

この海で夜に釣りや漁をしていても、一度この「ジャーン」という不可思議な音に見舞われると、途端に魚たちは騒ぎ出し 逃げ惑うので その夜はまったく釣果に恵まれなくなってしまう・・。

何とも不思議な昔語りですが、この怪音、往古のみのお話ではなく、その後、明治、大正、そして昭和の時代に至るまで、この音を聴き不漁や異変を経験したという漁業関係者の話は途切れることなく、さらに時においては海面が発光していたなどという話も伝わり、結果「孕のジャン」という名で土佐を代表する怪異譚として残っているのだそうです。

 

「ジャン」という音が鳴り渡る・・ そして不漁や発光などの異変が起こる・・ それは本当の話なのか・・ 実際にその事象が観測されない限り確実な証明は出来ません。

しかし、古来からの言い伝えには何かしら信義を伝えるものが往々にしてあるもの・・

仮に本当に夜半の海に怪音が鳴り響いたとしたら、それは一体何だったのか?

この問題に初めて真剣に、そして 科学的視点をもって考察に至ったのが、明治から戦前にかけて活躍した物理学者 ”寺田 寅彦(てらだ とらひこ)” 氏でした。

地球物理学という地質や海洋、気象科学等を包括して研究する物理化学に情熱を注ぎ、他に、金平糖(星型の菓子)の ”角” や “ひび割れ” が どのように形成されるかなどユニークな着眼を持ち、一方、科学者としては珍しく 文学にも造詣が深く多くの随筆を残し、かの夏目漱石とも知古の間柄でした。

夏目漱石の代表作「吾輩は猫である」に登場する “苦沙弥先生” の愛弟子 “水島寒月” のモデルだとも言われています。

 

中央付近 山並みが途切れた辺りが”孕の海”と呼ばれた場所

多角的な素養と柔軟な視野を持つ ”寺田 寅彦” 氏
そしてまた、彼は土佐士族の血を引く家系であり 幼少~少年期を郷里である高知で過ごしています。

そんな氏が郷里に伝わる奇怪な現象に興味を抱かないはずはありません。

民話ともいえる伝承の中に地勢・地質の考察を持ち込んだ氏は、孕の海の地形が東西を貫く山地を分断されるように形作られた湾であることに着目、様々な思考と現地調査の上に次のように記しています。

~ 私は幼時近所の老人からたびたびこれと同様な話を聞かされた。そしてもし記憶の誤りでなければ、このジャンの音響とともに「水面にさざ波が立つ」という事が上記の記載に付加されていた。~

~ この話を導き出しそうな音の原因に関する自分のはじめの考えは、ー中略ー ところが先年筑波山の北側の柿岡の盆地へ行った時にかの地には珍しくない「地鳴り」の現象を数回体験した。その時に自分は全く神来的に「孕はらみのジャンはこれだ」と感じた。~

~ 地鳴りの現象については、そのほんとうの原因的機巧はまだよくわからないが、要するに物理的には全くただ小規模の地震であって、それが小局部にかつ多くは地殻表層近く起こるというに過ぎないであろうと判断される。~

~ 地殻の歪は、地震のない時でも常にどこかに、なんらかの程度に存在しているのであるから、もし適当な条件の具備した局部の地殻があればそこに対し小規模の地震、すなわち地鳴りの現象を誘起しても不思議はないわけである。~

~ それで問題の怪異の一つの可能な説明としては、これは、ある時代、おそらくは宝永地震後、安政地震のころへかけて、この地方の地殻に特殊な歪を生じたために、表層岩石の内部に小規模の地すべりを起こし、従って地鳴りの現象を生じていたのが、近年に至ってその歪が調整されてもはや変動を起こさなくなったのではないかという事である。~

- 怪異考 寺田寅彦 - より(青空文庫)

 

氏が文内で示すように完全な解明と検証は後日を待たねばならないものの、およそ現代的な感覚から言えば的を得た意見と思えますね・・。

氏の考察だけが真実では無いのかもしれませんが、孕の海では昭和21年に起こった南海地震の前後にも数十数百と束ねた鉄筋を なぎ倒したような音がした、という話も残っていることから やはりこれは地殻変動による現象のひとつと考えるのが自然なのでしょう。

つまり、古来から言い伝えられた怪異譚には、現実に起こりうる自然の驚異に対する警鐘が込められていたと言っても過言ではないのです。

地震学にも造詣の深かった 氏はウィットに富んだ語り口でこう述べています。

~ こういう災害を防ぐには、人間の寿命を十倍か百倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を十分の一か百分の一に縮めるかすればよい。そうすれば災害はもはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。 しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう ~

 

一説に「天災は忘れた頃にやってくる」の言葉を残したとも言われる寺田寅彦氏

「天災は忘れた頃にやってくる」の意味は ”日頃から備えを忘れないように” の教えとともに “人は己の分をわきまえて自然に対しいつも謙虚であるべき” との戒めをも内包しているとも言われます。

人智を超えた荒魂でもある自然災害、これを無くす手立てなど どこにも有りませんが、少しでもその被害を抑えるための “鍵” は私達一人一人の中にあるのでしょう。

 

過去の関連記事

「民話・猿ヶ城の朱塗観音 – 鹿児島県」

「悲恋の椿伝承 男鹿の岬の災事の名残 – 秋田県」

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください