仁淀の清流に和紙の故郷を訪ねて – 高知県

高知県のほぼ中央部分を北西から南東に向けて流れ、土佐市沿岸から太平洋に流れ込む「仁淀川(によどがわ)」 四国最高峰の石鎚山を源流に120kmの流水域に恵みをもたらし、一級河川の運用にありながらも国内屈指の水質を誇る清流です。 ※2012年~2016年の間連続全国1位

その美しさから “仁淀ブルー” の名が冠されるほどの清涼さで、水辺利用率(水辺での行楽利用率)も非常に高く、発電・灌漑・生活水利用を別にしても 流域住民に欠くことのできない宝でありました。 それは往古 この川の水を用いて神饌の酒を醸すことで “神河(みわがわ)” と呼ばれていたことからも伺えるでしょう。

仁淀ブルーの青さを現す景勝として巷間に上るのが 吾川郡 “いの町(いのちょう)” にある「にこ淵」。幅数十メートル程の小さな淵であり 周囲を急峻な谷間に挟まれ昼なお暗い場合も多い場所ですが、その天頂に日が昇り陽光が水面に注がれるとき、神秘の青はその輝きを最大に振る舞います。 神厳と思える佇まいに古くから龍神の棲処とされ禁足地であった時代もあるのだとか・・。

面白いのは、この “にこ淵” があるのは仁淀川の本流ではなく、内陸寄りの支流 “上八川川(かみやかわがわ)” のさらに支流 “枝川川(えだがわがわ)” の一角、どちらも川の字が並んで呼ばれる奇特な河川名ですね。

にこ淵

 

古の神性にまで届きそうな深き森と清き流れに包まれた “いの町”(旧 伊野町)。面積の大部分を森林が覆う典型的な地方町ですが、その南部地域は高知市に隣接しており、高知県内の町政区域にあっては最も人口の多い町ともいわれ、自然と利便性が共存する魅力的な町ともいえるでしょうか。

この “いの町” の特産品として知られるのが「土佐和紙」

福井の「越前和紙」岐阜の「美濃和紙」と並んで “日本三大和紙” のひとつとされるもので、楮、三椏、雁皮を主原料とし、薄くて丈夫、多彩な色・風合いを表現できる高級和紙として知られています。

“薄くて丈夫” などと決まり文句のようにいいますが、土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)はわずか0.03〜0.05mm、”カゲロウの羽” とまで例えられるほどの薄さ。それでいて高度な取り扱い性と数百年単位での安定を求められる、美術品や古典資料などの補修・修復資材としての強靭性を持っており国内外で広く活用されています。

程15世紀、活版印刷に対応するため微粒に砕かれた木材パルプを原料とし、大量生産することで発達した “洋紙(西洋紙)” に対して、超長の植物繊維を要として手漉きで作る和紙は、その強さと安定性から建具や和傘・扇子や提灯にまで用いられるほど・・。 日本で現存する最も古い和紙は “庚午年籍” 正倉院に残される飛鳥時代の戸籍書といいますから、凡そ1300年以上の耐久性・保存性・・その長さに驚かされますね・・。

 

その創始は平安時代に遡る(延喜式(当時の法書)に記載がある)といわれるほど歴史を紡いできた「土佐和紙」。 その有用性と希少性・文化的価値が認められて国の無形文化財・伝統的工芸品に指定され、今も粛々とその生産は続けられていますが、筆書や建具など古来からの日本様式が衰退し需要が限られる現代にあっては、商業として成り立ち難く その後継者不足も相まって生産戸数は減少の一途だそうで・・。

江戸時代のはじめ、安定の世と事務方・紙の需要の増大期に確立し、草木染を応用した「土佐七色紙」の将軍家献上など “いの町” から土佐全般に活気立っていた製紙業。 洋紙利用に傾く明治期をピークに昭和中盤には数百軒の手漉き工房が残っていたものの、今では十数軒を残すのみなのだそうです。

現在、和紙といえども “機械漉き” が大勢となっている中で “手漉き和紙” の生産者は、 “土佐和紙” のみならず全国的にも些少となり存続の危ぶまれる状態となっていますが、それでも和紙の未来を模索し、新たな時代に求められるような製品開発に力が注がれています。

同時に国や自治体単位でも僅かながらも助成の努力が続けられており、高知県いの町におけるそれら2件をご案内しておきましょう。

 

『道の駅 土佐和紙工芸村「くらうど」』 公式サイト

“体験する道の駅”、清流・仁淀川を目前に立地し、”土佐和紙ランタン・絵葉書作り” 川辺を利用した “フィッシング” “カヌーやラフティング” “散策&レンタルサイクル” “アートギャラリー”、”地元食材を活かしたレストラン” “SPA 露天風呂にサウナ”、そしてそれらをゆったり楽しむための宿泊施設まで兼ね備えた、ちょっと高級な?仕立ての道の駅となっています。

いの町 各温泉巡りや上述の “にこ淵” を含む観光・行楽の拠点としても利用価値の高い施設かと思います。 土佐和紙の里を訪ねての来訪には欠かせないポイントとなるのではないでしょうか。

 

『いの町紙の博物館 [紙博]』 公式サイト

道の駅 土佐工芸村 よりやや土佐市街地寄りの幸町にある和紙の博物館、独自の漆喰と水切瓦を多用した土佐の風土濃き建物となっており、古い建築様式に興味のある方にもお勧めかもしれません。 土佐和紙の歴史をはじめその成り立ちや詳細まで丁寧に紹介されているのは当然ながら、トリエンナーレ開催や土佐和紙の未来を探る企画も頻繁に行われています。

妙味、また美しい土佐和紙のショップもあり、専門の紙漉き職人の付き添いによる紙漉き体験も可能。 今月末頃には、和紙と光のコラボレーション、幻想的で優しい灯りを織りなす「夜の紙博~光る森と水の音~」も開催を予定されています。当該ページ

 

古く 希少なものであり高貴の身分のものでしかなかった “和紙”、時代が移り人々のその日常にあって活躍した “和紙”、そして今その “和紙” は存亡の危機に晒されながら細々と受け継がれ、新たな時代に活路を求めて動き続けています。そんな “和紙” の、高知県 土佐に生き続けた「土佐和紙」のルーツと未来を探しに出掛ける旅・・もよろしいのではないでしょうか・・?

最後になりましたが、今回お伝えしました「土佐和紙」に関わる伝承として『紙すく里』というお話を見つけました。 土佐和紙発祥にまつわると伝わる養甫尼(ようほに)という尼様のお話です。養甫尼(ようほに)は土佐・波川城主 “波川清宗” の正室であり かの長宗我部元親の妹でもありましたが、清宗失脚と戦乱の内に国を追われ出家、伝説を織りなしたと伝えられています。 宜しければ以下のYouTube動画またはリンク先で御覧ください・・。

→「まんが 日本昔ばなし データベース」『紙すく里』

 

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