躍動の地勢に真白き帆がはらむ – 茨城県

「春霞 霞の浦をゆく舟の よそにも見えぬ 人を恋ひつつ」 藤原定家

“春霞がかかった霞の浦をゆく舟で 見知らぬ人に恋心を抱いている”
温もりも還る季節、波も穏やかな湖上の舟で ややも朧気な気分の中での淡い想い・・。何とも長閑で心の端震わせる優雅な詩ですが・・。

「霞ヶ浦(詩中・霞の浦)」詩のように凪満つる日も多いものの、浅い水深(平均4メートル)や遮るもののない平野の湖であることから、海風、また筑波颪(つくばおろし)などの強い日は意外に波高いことも多いそうです。

 

「霞ヶ浦」は日本第2位の面積をもつ茨城県最大の湖であり、最も大きな “西浦”、その 東側に広がる “北浦”、二つの浦の合流地である “外浪逆浦(そとなさかうら)”、そして、支川を含む霞ヶ浦水系の総称でもあるのですが、一般的には “西浦” を指して “霞ヶ浦” と呼ばれることが多いのではないでしょうか。

前回、お伝えしたように太古には海の一部であり、現在は完全に陸地化している西浦南部 “浮島” 地域は、その名のとおり海面から少し顔を出したような “島” であったそうです。

7万年前辺りから徐々に海が引いて陸地化が進み、人の生活が始まる頃には現在の地形の基礎が出来上がりましたが、それでも地殻変動 旺盛なこの国の一部ゆえ、その歴史の中では何度も地震や火山活動の影響を被っています。

それらを象徴するように伝えられるのが “鹿島のナマズ神話”、この地の度重なる大地震が地中の大ナマズに因を発するものと知った天照大御神は、武甕槌神(タケミカヅチ)と経津主命(フツヌシ)の二神を遣わし、霊験籠もりし石柱をもって これを地中深く封じ込め、地震の頻発を収めたという伝説。鹿島神宮の “要石” として今も残っています。(千葉県・香取神宮にも同様の要石があります)

それだけ 往古の時代、当地の地殻活動が盛んだった所以でしょうが・・、前回登場の “ダイダラボウ” にまつわり要石のナマズに連なる話が残っていますので、短めではありますが ここでご案内致しましょう・・。

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『怒ったナマズ』

そりゃまぁ昔のこと
鹿島の地べたの奥深く とんでもなく大きなナマズが住んでおったとな

この大ナマズがちょっと動くたびに地の上は大揺れ
地べたは割れるは 山は崩れるは あげく海から高浪を呼ぶはで
地に暮らすもの皆困り果てておったと

見かねた神さまが「民の迷惑ゆえ お前は動いてはならぬ」と
大きな石を用いて大ナマズを押さえ付けてしもうたのだと
おかげで この地は穏やかな住みやすい土地になったという・・

 

ところが ある日のこと
ダイダラボウが民草のためにと朝寝坊山を動かしてしもうた

神さまの石に抑えられて じっと我慢していた大ナマズじゃったが
これには「オレの大地を勝手に動かしやがって! オレは動いちゃいけんのにダイダラボウなら良ぇんか!」

とカンカンになって怒ったのだと

あまりに怒って暴れたものだから 押さえ付けられている大岩まで少し押し上げてしまい大地にも凸ができてしもうた

おかげで桜川は今も段になって流れておるのだそうな
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自然の脅威に晒され続けた関東から東北の地、常陸国、そして霞ヶ浦ですが、それ故に自然の撹拌と感化にも触れて独特の地勢と、地の恵みをももたらされています。そして それは霞ヶ浦ならではの文化にもつながっているのでしょう。

海とのつながりが深いため、海側から順に塩水域、汽水域、そして淡水となっており、現在、湖はほぼ淡水化しているそうです。 その複雑な水質と地勢変化の積み重ねにより、周辺域には多彩な環境と生物域の歴史が刻まれています・・。

江戸期にあっては その水利や漁業、遊興に称えられた地でもありました。

天保5年 新治郡佐賀村(現在の茨城県霞ヶ浦)に生まれたのが “折本良平”。
子供の頃から手先が器用、ものの仕組みなどに興味を惹かれ養蚕に使う籠を改良したり農機具をより使いやすいように改良したりと、工夫やものづくりに早くから卓越した才能を持っていたことが伺われます。

家業は漁業ではありませんでしたが 地元柄 引き網の手伝いなどに関わることも多く、眼前に広がる霞ヶ浦での漁業に、長年培ってきた創意工夫の意欲が湧いていったのは ある意味必然だったのかもしれません。

 

江戸時代からの変節もようやく一息つきつつあった明治10年 良平43歳のある日、ふと見かけた一隻の高瀬船(底を浅くした帆船)から着想を得た後、3年の歳月をかけて開発されたのが「帆引き船」です。

霞ヶ浦でそれまで行われていたシラウオ漁は2〜3隻の船、20人からの人手が掛かっていました。それが「帆引き船」が出来てからはたった1隻、2〜3人で同じ漁獲が出来るようになり霞ヶ浦漁業に大きな変革と漁民の生活改善がもたらされました。

真白の帆を満面に膨らませ波を滑る「帆引き船」の姿は霞ヶ浦の情景ともなり、明治から大正、昭和中盤頃まで十全の活躍を続けていましたが、やがて次の変革となるトロール船漁業に移り変わってゆきます。

 

一時 その姿を消した「帆引き船」ですが、霞ヶ浦漁業における歴史的文化遺産を失ってはならないと昭和46年 観光帆引き船 として復活を遂げました。

以来、漁業そのものからは引いたものの、霞ヶ浦沿岸3市によって 当時の風情を再現するべく夏から秋にかけた日曜日、観光帆引き船操業として その美しい姿が披露され、訪れる人々の目を楽しませています。 また 平成30年には「霞ヶ浦の帆引き網漁の技術」が国の無形民俗文化財に選定されたそうです。

「帆引き船」は漁船であり操船の難しい小型船でもあるので 観光客がそれに乗り込むことは出来ませんが、観光遊覧船に乗って「帆引き船」操業の姿を近くに眺めながら霞ヶ浦の風物詩と叙情を満喫するのも、これからの季節 ひと味こだわったレジャーとして良いのではないでしょうか。

※ 遊覧船乗船は完全予約制となっており、基本的に当日券乗船はありませんのでご注意ください。 また天候に左右されやすい「帆引き船」は気象状況により操業取り止めもあり得ますのでご了承ください。

『霞ヶ浦観光帆引き船操業 2023』 観光いばらき 当該ページ
場  所   茨城県 かすみがうら市
* 操業・運行・予約 の詳細、お問い合わせは下記各観光協会からどうぞ

・ かすみがうら市観光協会

・ 土浦市観光協会

・ 行方市観光協会

 

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