相模国の縁辺から「猫の踊り場」- 神奈川県

神奈川県の領域は その昔 “相模国(さがみのくに)” と言いました。ご存知のとおり「相模湾」などに、今もその名が残っていますね。

但し、現在の県庁所在地・横浜市区域と、同じく大都市である川崎市区域は、隣接する “武蔵国” に含まれていたため今と全く同じというわけではありません。 言い換えれば横浜と川崎は江戸の外縁管轄でもあったのです。

そういうこともあって、例えば 江戸時代における “東海道五十三次” の中でも、江戸側から基点:日本橋、1番:品川宿に続いて、2番:川崎宿、3番:神奈川宿(横浜市神奈川区)は “武蔵国” となっています。

横浜市と川崎市抜きの神奈川県、現代の感覚からすると少し拍子抜けというか違和感が拭えませんが・・。 両市とも江戸時代終盤以降 急激に発展、人口増大と近代化を果たし認知を高めた街であるので・・、それ以前の “相模国” としては特に問題もなく、それが普通の姿であったのでしょうね・・。

そしてさらに “但し”、その横浜市区域といっても一部の地域、鎌倉市側に近い約四分の一程の領域は “相模国・鎌倉郡” でした。

頻繁に変わるものではないとはいえ、歴史に連れづれ領域の区分が移り変わったり、逆にその地名が残ったりするのは何とも興味深いものであります・・。

・・と、いうことで、本日は 往古その相模国ギリギリの領域、五十三次 “相模国” 最初の町、5番:戸塚宿 から猫にまつわる民話をお届けします・・。

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『猫の踊り場』

今で言う横浜市は戸塚の里にその昔 不思議な話しがあったそうな

この里には名の通った老舗で醤油を商いとする「水本屋」と言う名の商家があった
数人ばかりの手代や丁稚を使いながら家族総出で醤油を扱い 客の評判もまずまずであった

主人は筋の通った人で 商人ではありながらただ金儲けばかりに腐心するような事もない
時に厳しくまた時に物分り良く 自ら手を汚して働く堅気な人であったが
ひとついつでも気にかける所があった

醤油を扱う家業であるが故にどうしても手が黒っぽく汚れてしまう
その手を拭いた薄汚れた手拭いをぶらぶらと腰に下げていたのでは
お客の前でみっともない事おびただしい

それで家族以下全員に いつも手拭いは綺麗にしておくよう言いおいていたそうな

そんな訳で働くもの全員その日の仕事が終わると皆順々に 己が手拭いを洗っては裏庭の竿に干しておくのが日課となっておったと

 

だがそんな日々の中で事は起こった
家人全員の手拭いを干してあった竿からある日 娘の手拭いが無くなっていたのだ

しっかり留めてあったので風に流されたわけでもなかろうにと 皆不思議がったがどこを探しても見つからない
まぁ手拭い一枚で騒ぐ事も無かろうと新しい手拭いを出して使う事になった

ところが次の日になると 今度はおかみさんの手拭いが無くなってしもうた
昨日に続き今日もとはどういうことだ?
手拭いだけ盗みに入る泥棒など居る訳も無し・・ しかし実際手拭いは見当たらぬし・・

 

そして三日目 ついに主人の手拭いが消えてしもうた
三日続けてとはいくら何でもおかし過ぎる 手拭い数枚とは言え不慮に消えていくのは気味の悪い出来事であろう

あげくには 丁稚の中で一番若く又不器用な信吉が 悪戯でやったのではないかと噂が立つ始末
そんな家人を戒めてその場を治めた主人ではあったが 二心も無いのに疑われた信吉の方では面白くない

何とか自分の力で犯人を捕らまえて身の潔白を晴らそうと 他の者が寝静まったその夜
信吉は雨戸をわずかばかり開けたその陰で 独り寝ずの番をして庭の竿を見張る事にしたそうな・・

夜も更けて辺り一面コオロギの音色さえ途絶える頃 ついうつつと夢の世界に入りかけた信吉であったが ふと 微かな音に目が覚めた

あわてて竿の方を見ると 一枚の手拭いがするりと地面に垂れ落ちた
そしてそのまま庭を横切り塀のすき間をくぐろうとしているではないか!

「泥棒ーっ!」 大声を上げその後を追いかける信吉
その声に慌てるかのように逃げ足を増す手拭い
木戸を抜け 闇に埋もれた夜道を必死に追いかける信吉
そして彼方にようやく見える手拭いは やがて小山の宮の森に消えていった・・

 

宮の森まで辿りついたものの 手拭いを見失ってしもうた
しかし このまま手ぶらで戻るわけにもいかん・・
信吉は夜闇に紛れたまま しばらく静かに辺りの様子を伺う事にした

するとやがて森の奥からひそひそと小さな声が聞こえてくるではないか
一人ではない 数人の者の話し声のようだ

少し怖かったものの息をころしながらその声のする方へと近づいていった
そろりそろりと足を忍ばせ 生い茂る草木の隙間から新吉が見た物は・・!?

 

次の日の夜 怪訝に思いながらも信吉に連れられ 密かに宮の森を訪れる店の家人達
信吉と同じように草木の間から おっかなびっくり目にしたものは
何とそれぞれの頭に手拭いを乗せた猫どもの姿であった

猫どもはいずれも近所に住む見慣れた毛色だった
その真ん中に立ち 他の猫に踊りの指南をつけているのは何と店のタマであったそうな・・

おそらくもう間近の祭りの日にあわせて 猫どもも踊りに宴に興じようとでも言うのだろうか・・

驚きながらも笑みを隠せない信吉や主人 家人は静かにその場所を後にしたのだと

やがて この噂は広く知られる所となり 猫どもが集まり舞っていた場所は「猫の踊り場」として伝えられ その塚が近世まで残っていたそうな・・

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上でも触れましたように、この話の起こった当時 “戸塚” は既に東海道宿場町として栄えていました。 ・・とはいえ200年から昔のお話、日も暮れれば辺りも闇に包まれる時代であったのでしょう・・。

横浜市営地下鉄ブルーライン「踊場駅」

昭和の時代には政令指定都市行政区きっての人口となった横浜市戸塚区。現在でも横浜市営地下鉄ブルーラインに「踊場 駅」がありこの伝説に関係しているともいないとも・・。

はてさて今は昔、猫は人に近くて遠い生き物、不思議なものじゃて・・・。

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