高浪の池の主は往古の遣い人か – 新潟県

暑さも募ってきましたね。この時期の暑さは時折降る雨や、高い湿度を伴ったものなので、かいた汗の蒸発もされ難く体内に熱がこもりやすいと言われています。 まだ気温の上昇に身体も慣れきっていない中、熱中症を招きやすい状況でもあるので、無理をせず体力温存にお努めください・・。

夏至も過ぎ、いよいよ本格的な夏も間近。カンカンジリジリの昼間の “熱さ” もさることながら、熱帯夜と呼ばれる蒸し暑い夜も困ったもの・・。 まぁ現在はエアコンがあるので大抵はこれで解決しますが、その分 室外機の排出熱で外気はさらなる気温上昇、これでは “夏の風物詩・幽霊” も暑過ぎてやってられません (^_^;)。

・・俳句の世界でも一応定められているらしいですが、”幽霊” は夏の季語なのだそうです。 “幽霊” を詠んだ句 というのもさほど多くはないと思いますが、中には “幽霊も鬱なるか傘さして立つ”(高柳重信)なんて句もあるくらいで、夏が稼ぎ時のはずの幽霊でさえ過度の湿気は嫌うのでしょうかね・・w。

良いことなのか・・どうか分かりませんが、時代が進むにつれて幽霊の出る幕も かなり減ってしまったように感じます。

幽霊だけではなく、いわゆるUMA(未確認生物)やUFO(空飛ぶ円盤)超常現象などといった話題も、最近ではあまりテレビなどでも取り上げられません。せいぜい漫画や映画の題材になる程度・・。 昭和の頃には 夏休みを迎える位には、決まって深夜の “連続・幽霊番組” 週間や “不思議・恐怖” 特集番組が組まれたものでしたが・・。

世の中の隅々にまで光が行き渡ってしまい、もう幽霊もツチノコも居場所が無くなってしまったのでしょうか・・。 あれだけ長い間 言われ続けたイギリス・ネス湖の “ネッシー” でさえ、ここ30年から殆ど聞かなくなってしまいましたしね・・。

・・と、いうことで本日は、チョイ懐かしいかも、UMAなお話を新潟県からお送りします m(_ _)m 。。

 

新潟県の西端、西側を富山県、南側を長野県との県境にも接する糸魚川市(いといがわ-し)。 日本海に面しながら西に飛騨山脈、東に頸城山塊(くびきさんかい)そして戸隠連山に連なり、市域の九割近くが山という典型的な山岳地です。

それだけに極めて自然豊かな環境に恵まれ、とりわけ “ヒスイ / 翡翠” の産地として国内最大かつ、世界最古クラスのヒスイ文化と歴史をもつ産出地帯でもあります。

ご存知のように ヒスイは、特に往古の日本や中国大陸で好まれ、時に “金” にもまして珍重されたといわれており、驚くことに弥生時代後期には既に産出が増進されて、国内各地から大陸に至るまで広まっていたことが確認されています。 現在 各地の遺跡から出土される埋蔵品の中のヒスイは、その多くが糸魚川産といいますから、古の時代には さぞ賑わった産業地帯でもあったのでしょう。

因みに糸魚川市という市名ですが、市内中央を走る大きな川は “姫川” であり “糸魚川” という川は存在しません・・。

糸魚川の名は、弘法大師が糸巻きを川に投げるとたちまち魚になったとする伝説や、古代に戦で川を挟んで両軍が挑んだ “挑み川” であるとか、”糸魚(イトヨ)” という魚が泳ぐ川から来ているとか、諸説ありながら判然とせず、どちらにせよ古き伝承がその底辺に流れていそうですね・・。

 

そんな、古代に通ずる文化が香る糸魚川市の西側、姫川に流れ込む支川に小滝川という渓流があり、その一所は名も “小滝川ヒスイ峡” といいますが、このヒスイ峡一帯を「小滝川ジオパーク」、稜線沿い山手に登った所に「白馬山麓国民休養地」と呼ばれる行楽エリアが広がっています。

イワナやニジマス釣りを手軽に満喫、その場で食べられる “ヒスイ峡フィッシングパーク”、標高540mの休養地に満面の水を湛えた “高浪(たかなみ)の池” を擁する “高浪の池キャンプ場” が、その中でも好評の施設として人気を集めていますが・・。

画像 ©(公社)新潟県観光協会 /(一社)糸魚川市観光協会

周囲 約1km、平均深度13mのこの池に “主” は居るのだそうです。

 

その主の名は “ナミタロウ”(浪太郎とも)。 体長2mから4m、中には5mに達するとの目撃証言もある巨大魚です。

その正体は・・と、言っても未だ確認されていないので、あくまで推測ですが、常識を超えて長寿をつなぎ巨大化を遂げた “鯉” もしくは その亜種である “ソウギョ” ではないかと目されているそうで・・。

また、個体数も定かではなく、一説には3体の “ナミタロウ” が居るともされ、地元においてメスの個体は “翠”(ミドリ・おそらくは翡翠から)の名で呼ばれているのだそうです。

“ナミタロウ” の存在が知られたのは昭和30年代、この池を含む休養地管理人の清水一 氏によって目撃されていたといわれます。 この時点では単なる一個人の目撃情報でしかなかったのですが、昭和58年の夏、清水氏はついに “ナミタロウ” の撮影に成功。魚影の姿ながら水面近くを悠々と泳ぐ姿が、当時の山形新聞に掲載されたことで “ナミタロウ” の名は広く知られるところとなりました。

清水一 氏によって撮影されたナミタロウ(中央)左の白い魚影は普通サイズの緋鯉

噂は噂を呼び “ナミタロウ” 見たさの観光客が増える頃には、市の方でも これとリンクした企画を立て、懸賞金を施した “激写イベント” を催すと、参加した市民の一人が撮影に成功、懸賞金を手にしたそうで、その時の見立てでもその体長は凡そ3.5m程とされたのだそうです。

あくまで伝承の一つながら、江戸時代の末期、この地の者が池に鯉を放流、その孫子の代に その鯉は10尺に及ぶ巨体となっていたという話も残っているそうで・・、鯉の寿命が20〜30年と思いの外長い上に、中には数10〜100年近く生きる個体もあることを考え併せると、あながち荒唐無稽な話でもないように思えてくるのですが・・。

只、周囲1km 水深15〜20m程度の、それも “山池” という比較的 貧栄養状態の単独池沼にあって、3〜5m級の魚が育ち生き続けることは、かなり難しいというのが事実上の判断・・といったところでしょうか。

平成元年の撮影イベント以降 目撃証言も減り、今では過去の逸話として語られるのみとなりつつある “ナミタロウ”。 しかし、原始の爬虫類でもなければ完全新種の生物でもない、一個実在の長寿魚の話・・。全てが否定されたわけでもなく 2mレベルの個体であれば、もしかすると今も湖底で静かに息づいているかもしれない・・。

そう考えれば、ひとつの行楽地としてのみならず、その上に一段ミステリアスな楽しみが増えると思えませんか? 事実ではないとは思いながらも何処かでその発現を求めている・・。それが人の性というものなのですから・・。

 


高浪の池の畔には “ナミタロウ” のモニュメントも建っています。
有り余る自然の中での “キャンピング” は言うに及ばず、”グランドゴルフ”、”ボート”、”高原レストラン” なども整備され、泊りがけ日帰り問わず楽しめるプランとなるでしょう。

何より今回の記事画像からも伺えるように、この “高浪の池キャンプ場” から見晴らす “明星山(みょうじさん)の大岩壁” の威容は、一度見たら忘れられない壮観だと思います。

明星山は標高1,188mの岩山ですが、むき出しの岩肌は約3億年前のサンゴ礁が石化したものともいわれ、原始の時代、この一帯が海面下であったという不思議な感覚に包まれますね・・。

自然と行楽、そしてミステリアスを堪能しながら過ごす休日、それは “ナミタロウ” の泳ぎのごとく、ゆったりとした 雄大な一日のアメニティなのかもしれません・・。

『高浪の池キャンプ場』 関連サイト(にいがた観光ナビ)

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