越の国に生きるその後の桃太郎 – 新潟県

前回に続き 新潟県から・・、ちょっとイレギュラーな民話をお届けしたいと思います。

「桃太郎」といえば「浦島太郎」や「かぐや姫」と並んで語り継がれる昔話・おとぎ話の御三家、そういって差し支えないことは多くの人々の認めるところでしょう。 他にも「かちかち山」「さるかに合戦」「瓜子姫」など、民話の代表格たらしむ作は数多ありますが、上記三話に関しては頭一つ抜けた知名度。特に「桃太郎」に関しては日本人の深層意識に根差すほど・・、とさえ言われているお話だそうです。

「桃太郎」がここまで一般民衆の心に根差しているのは、明治から昭和期における教育に拠るところが少なくありません。 よく言われるように現在私たちが知る桃太郎の姿が出来上がったのは明治以降と言われており、そこには開化とともに、西洋列強に対峙するアジアの盟主たらんとした国策の影がありました。

老いた父母を助け、小者さえも仲間として率いながら、豪圧をもって不公正を強いる者に敢然と立ち向かう その姿は、目指すべき国民の鑑として顕示されたのです。

後の不幸な時代にもそれは利用され、結果的に道を誤った国の鼻先は折られると同時に、新しい時代と価値観が到来しますが、そこには 旧来の形をそのままに残しながら、新しい時代に生きる桃太郎の姿だけが残りました。 ”勧善懲悪” と “英雄” としての物語として帰結したのです。

 

原典としての「桃太郎」の姿が如何なものであったのかは詳らかではありません。

その発祥については、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと/吉備津彦命)の温羅征伐を拠とした岡山県発症説が全国的にも有名ですが、その他にも香川県、奈良県、愛知県など その由緒を主張する地は全国に点在しています。 また、物語の流れにしても古くは “桃を食べた爺婆が見る間に若返り子を成した” 形をはじめとして、様々な類型をもっています。

岡山 吉備津神社の絵馬

そもそも、桃太郎そのものが “三年寝太郎” のごとく、怠惰で不遜な性分に描かれている類話も少なくないのです・・。

そんな中、一般的に持たれている桃太郎 活躍の地としてのイメージとは、やや異なる北の国 新潟県にあって、”鬼退治で活躍した後の桃太郎の後半生” という、これまた異形の話がありましたので本日はその ご案内の運びとなりました次第です・・・。

 

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昔々、ある村に桃太郎と呼ばれた人が住んでおった

何処からともなく現れ 村を荒らし回った物の怪どもを 鬼ヶ島にて討ち果たし財宝を持ち帰ると 村の人々からは感謝され 爺様婆様とその後も幸せに暮らしておったが・・

やがて月日は経ち いつしか 爺様そして婆様も あの世へ旅立って行ってしまわれた
婆様が逝かれる前 枕元で見守る桃太郎にその生まれの有り様を説いて聞かせたそうな

桃から生まれたという数奇な生い立ちに いたく驚いた桃太郎は 己が出生の源流を見極めたいと思い立ち 桃が流れてきたという川を上に向かってどんどんどんどん歩き進んだ

やがて はるか見上げるような 大きな山の奥深くわけ至り 霧かすむ泉のほとりに辿り着いた  チロチロと流れ出る水がやがて川となり 自分の住んでいた村に届いていたのかと思いを馳せていると 傍らに桃の木があるのを見つけ その実をひとつもいで食べたのだと

ところが その時 にわかに泉の水面を騒がし一頭の龍が現れた
「我が守りし神聖なる桃の実を喰むは何者ぞ・・」

燃えるように目を爛々と輝かせながら襲いかかる龍であったが 太刀を抜き迎え撃つ桃太郎の豪腕に怯み やがて山の頂に向かって逃げ出した。

龍を追い 頂に辿り着いた桃太郎が見たものは幽玄にゆらめく巨城
龍が逃げ込んだ門を守る番人はかつて仇であった鬼の姿
並み居る鬼たちをなぎ払い 討ち入った城の奥の間で高台に居まし桃太郎を見下ろす黒い影・・

「小僧 貴様何者ぞ? ここを何処だと思うておる?」

「俺の名は桃太郎! お前こそ何者じゃ!?」

「・・なるほど桃太郎か・・ わしは地獄を統べる者 閻魔である。
桃太郎 お前のことはよう知っておるぞ」

「俺を知っておると? どう知っておるというのじゃ?」

「お前はかつて天界で生まれた神の流れをもつ子であったわ しかし生まれついた頃から乱暴者で天界でも持て余され あげく桃の実に押し込まれ人の世へと流されたのよ」
「今も変わらず乱暴者のようじゃのう 今度は地獄に行くがよいわ」

閻魔王はそう言い放つと あっという間に桃太郎を地獄に落としてしもうた

地獄で気がついた桃太郎 見渡すと周りは鬼だらけ
されど ここが本番とばかりに またも鬼たちを次々になぎ倒しはじめた

これを見ていた閻魔王 これでは地獄が立ちゆかん せめて人の世に居た時の方がましであったかと桃太郎をつまみ出し もとの村に戻してしまわれた

自分の家へと戻り太刀を置き しばらくは呆けたように座り込んでいた桃太郎
知った自らの生い立ちに思いを馳せながらも・・ やがてひとつ大きな息をはき

「もう これでよし・・」

やがて 村の娘を娶り慎ましやかに余生を送ったと・・・

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よく知られる桃太郎の武勇伝、これは珍しく その事後を描いた話となっています。目まぐるしい展開、ややもするとファンタジックに過ぎるような気配さえ感じられることから、些か近世の創作民話のような気もしますが詳細は不明・・。

“桃太郎話” は勧善懲悪なスタイルながらも、鬼を懲らしめるだけでなく、成敗の後に戦利品を押収しているため(しかも その品は金銀財宝・隠れ蓑・打ち出の小槌など、元々村人たちのものではない)、それは “奪還” ではなく “略奪” ではないかと明治期の頃から一部で取り沙汰されたこともあるそうで・・。 正も負も その価値観が目まぐるしい動きを見せる近代、ここ百年ほどに出来上がったスピンオフ作品と言えるのかもしれませんね・・。

近年では、こういった昔話の古典的な形態を現代の価値観に合わせて書き換える例も多く、また、児童に昔話を聞かせること自体、減りつつあるともいわれます。

しかし、”孝行” “義心” “勇敢”、さらに 目に見えず 数値や言葉で表せない “大切なもの” など、現在の価値観からは薄れつつも、人にとってまだまだ必要と思える教訓を、古の物語が多くその内に秘めているのも事実。 『桃太郎』や 多くの昔話の主人公たちが、今も昔も変わることなきスターであることに疑いはないと思うのです・・。

 

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