しばらく “道の駅” に関する記事を上げていなかったので、本日は同カテゴリー、四国は高知県にある道の駅を中心に お話を広げてみたいと思います。よろしくお付き合いのほどを・・。
と、その前に・・、現在 誰もが知る道の駅とは、どういった経緯で作られ 誰が主催している施設なのでしょうか?
道の駅とは平成に入って、新しい時代の交通機関整備と、高速道・自動車専用道を除いた一般道の利便化。そして地方地域の経済的向上を意図して作られた道路施設です。 その管理は国土交通省(地方整備局)が担い、運営は各自治体及び その指定管理業者が行っています。
平成5年に正式開業され多くの反響と利用者を呼び込みながら、令和5年現在 全国1,204ヶ所の道の駅が開設運営されています。(国土交通省)
道路使用の利便性向上とともに 地域活性化の意味合いが大きいため、地域情報の発信・交流の場である以上に、多くは地場産品の販売所も兼ねており、それを目当てに道の駅を訪れる観光客も少なくありません。
只、公的な後ろ盾があるものの完全な “公営施設” ではなく、民間委託業務ですので、そこには より高度な経営手腕が問われる形となります。 多くの道の駅が様々なイベントや特徴的な施設展開を模索しているのも そのためです。何事も助成金頼みではダメですからね・・。
とはいえ、風光明媚な場所に設置された駅であったり、人気の特産品がある駅はそれで良いのですが、特に目を引くものの無い地域の駅では何かと経営も大変です。 元々 人の集まらない地域の復興を理念に作られた “道の駅”、平凡な場所での運営は “知恵の出しどころ” “頭の捻りどころ” といったところでしょうか・・。
四国の南側、雄大な太平洋に面した高知県。その東端 室戸岬の一角に、高知県で最も小さな自治体 “田野町(たのちょう)” があります。 総面積 6.53km2といいますから2.6x2.6km位のサイズ、でも、その小ささ故か、高知県においては人口密度が高知市に次いで2番目に高い町なのだそうです。
この田野町にある道の駅が『道の駅 田野駅屋』です。
田野は当地名として、”駅屋” の駅名が気になりますね。広島県福山市に “駅家駅” という二重名の駅がありますが、こちらも “道の駅の駅” という些かダブった感じの道の駅名に思えます。 道の駅であるのは明白なのに、さらに駅屋とは・・。
というのも、この道の駅、高知県東部を走るローカル鉄道「ごめん・なはり線」田野駅 と一体化した施設なのです。言ってみれば名のとおり “駅屋” そのものですねw。 外観もちょっとレトロな昭和の駅舎風、言わなければ道の駅と気付き難いかもしれません。
元々、全国の鉄道に “駅” があるように、自動車の道路にも “駅” を作ろう・・という発想から始められた “道の駅” の主旨からは、ややイレギュラーな存在で興味を引きますが・・もう一つ・・。
この道の駅『田野駅屋』 正式な呼び方は “たのえきや” ではありません。 “たのえきーや” です。 つまり「田野へ来ぃや(田野町へ来てね)」という意味と願いが込められた掛け言葉となっています。ダジャレとも言いますが・・w。
まぁ、この掛け言葉が先にあっての鉄道駅隣接ではないと思いますが、何とも “上手く言った”、上でいうところの “頭の捻りどころ” の成果のひとつだったのかもしれません。 確かに鉄道駅と市場・駐車場完備の道の駅が同位置にあれば色々と便利ですしね。有効面積の限られる田野町ならではの、合理的な解答であったのでしょう。
田野町は奈半利を挟んで、西側から室戸岬に出る玄関口のような場所でもあるので、室戸観光の中継・一服の場所としてはうってつけとも言えるのではないでしょうか・・。
ついで・・という訳ではありませんが、この『田野駅屋』= 「田野駅」を走る鉄道路線についても触れておきましょう。
「田野駅」は「土佐くろしお鉄道」が路線営業する『ごめん・なはり線』の一駅です。 ”ごめん・なはり”・・何かまたダジャレに結び付きそうな響きですが・・、謝っているわけではありませんw。
『ごめん・なはり線』 高知市側「後免駅」、室戸岬側「奈半利駅」、間計21駅を結ぶローカル鉄道線です。(正式な路線名称は阿佐線)
太平洋側、土佐湾を間近の沿線なので、何よりその雄大な海原の絶景こそが『ごめん・なはり線』の換えるものなき醍醐味であり、地方沿線ファンからも人気の路線なのですが・・。
実はこの『ごめん・なはり線』、開業してからの歴史はそれほど古くありません。平成14年7月 “日本最後のローカル新線” のキャッチフレーズとともに運行を開始しています。
しかし、土佐湾東沿岸部に路線を引く計画は、昭和40年代からあり国鉄主導のもと着工敷設もされてきました。ところが、その後の国鉄財政悪化の煽りを受け昭和56年には、全長の4割方敷設を成しているにも関わらず工事中止の裁定を受け、安芸〜田野間鉄道は白紙の状態が続いたのだそうです・・。
されど、地域路線への悲願は潰えず、住民・行政・関係機関の熱意と運動は続き、ついに昭和61年 第三セクターの業務形態をもって「土佐くろしお鉄道株式会社」が設立。 63年に鉄道事業免許の認可が降りるとともに、7年ぶりの工事再開となり平成14に竣工。最初の着工から実に37年の時を経て『ごめん・なはり線』は走り出すことが出来たのです。
『ごめん・なはり線』が完成したことで、高知県湾岸部一円が鉄道で結ばれることとなりました。JR高知駅との連絡も良く地域住民の貴重な交通手段となっています。
また、先にも触れましたように、太平洋岸ならではの景観と魅力ある行楽地への交通機関、観光路線としての重要な役割を担っています。 様々なイベントや特別旅行プランの計画・発信。沿線各地の特産品をもとにした商品開発とのタイアップ。
そして、海側に開いた “オープンデッキ” 車輌などの開発・運行など、経営状況が芳しくない現代の地方鉄道の中においても、知恵・アイデアを絞り、行動をもってその運営を続けています。
地域人口の減少が続いている現在、”道の駅” にしても “鉄道の駅” にしても、何かとその経営には苦しさが付きまといます。地域住民の使用率の向上、住民人口の向上が必然ながら、経営・運営の維持には やはりアイデアとアクションがこれからも求められるのでしょう。
高知県東部をお訪ねの際は、『ごめん・なはり線』『道の駅 田野駅屋』を利用してみてください。 そこには広大無辺の大洋の明るさとともに、生きるための発想と熱意が息づいているはずです・・。
『道の駅 田野駅屋』 公式サイト
『ごめん・なはり線』 ゴトゴトWeb公式サイト
『田屋町 町政100周年』 特設サイト