新緑の季節、コロナの中とはいえ軽症化の兆候が見えているためか、各地で賑わった行楽の連休、皆様にはどう過ごされましたでしょうか・・?
願わくば この反動でまた感染の波がぶり返さないことを願うばかりです・・。
辛い状況であっても、ある程度の期限が前もって分かっていれば、それなりに我慢もできるのが人間というもの・・。 しかし、発現から既に2年半を数え、あまつさえ先の見えない状況では人々のストレスも飽和状態・・。 行政の側からもそろそろ “With コロナ” を念頭に 本格的な社会活動の再開を進めているようなので、連休明けの状況いかんでは今後の具体的な見通しがたってくるかもしれません。 世界は何らかの病原リスクを踏まえた上での生活様式と社会構造の変革が必要な時期に来ているのでしょうね。
のっけから面倒な感じの出だしで申し訳ありません・・m(_ _)m。
ともあれ、人にとって “健康” と “病” は中々 分かち難い問題でもあるのです。
今回はその “病とそれにまつわる人々” をテーマに、前後二回に分けて岐阜県からの伝承を お送りしようと思います。
岐阜県の南東部、中津川の地に “病” 特に “熱病” を、たちどころに治してしまう不思議な男の話が残っています。 それも実在の人物として伝わっているようなのです・・。
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『はだか武兵』
さても昔のこと 中山道の鵜沼宿(うぬまじゅく)に武兵(ぶひょう)という男がいた
大柄で 力持ちで 本性気の良い男であったが 口下手で愛想も上手くなく
その上 酒を飲むと止めどなくなり あげく暴れて手がつけられなくなるので これで何度もしくじりをやらかしておったそうな
ある時 やはり酒がもとでしくじってしまい 家を出ると茶屋坂という中津川の宿場に流れ そこで “駕籠かき” をして暮らしておったのじゃと
この武兵 腕っぷしもさることながら 大酒飲みだからかどうか何故かいつも はだか同然
雪が舞うような冬の最中でも褌(ふんどし)一丁締めたきりのなりなので
いつしか駕籠かき仲間からは “はだかの兄ィ” “はだか武兵” と呼ばれておったと
さて そんな武兵がある時 客を乗せて木曽まで行ったとな
送り届けはしたものの さすがに日も暮れ 今から茶屋坂まで帰るわけにもいかん
須原のはずれにある神社の拝殿で夜を明かすことにしたそうな
どっこいしょ と軒下に腰をおろして一息つこうとすると何やら人の気配がする
見ると薄暗がりの隅っこに 白髭を生やした貧相な老人が膝を抱えて座り込んでいるではないか
「爺さん こんなところに一人で夜明かしか?」
いつもなら 自分から人に話しかけるような武兵ではなかったが この時は何故か自然と声が出た
「ん? わしか? わしはいつもこんな感じじゃ・・」
見た目の侘しさにかかわらず その老人は人懐っこく返してくる
武兵も武兵で 常の口下手もかまわず 古い友人のように話し込んでしもうたと
そして そのうち老人は妙なことを言い出した
「いや こんなに楽しゅう話したのは久しぶりじゃ!」
「どうじゃ 武兵どん この縁にわしら兄弟分になろうかい!」
「兄弟分じゃと? そりゃ結構なことじゃが 兄弟分となって何をするんか?」
武兵が問返すと 老人はさも楽しそうに答えたのだと
「いや 実はな わしは こう見えて疫病神なんじゃ 普段は皆から忌み嫌われるわしじゃが お前さんは楽しゅう相手をしてくれた」
「そこで お前さんにも楽しい思いを授けようと思う」
疫病神と聞いて驚いた武兵じゃったが 元々気丈な男 そのまま話しを聞き続けた
「いいか わしが何処かの家に取り憑いたとする そこへお前さんがやって来る するとわしは退散して その家の病は治るという寸法じゃ 面白そうじゃろ?」
「なるほどのう そりゃ面白そうじゃ ならばわしら兄弟分となるか!」
武兵と老人は契りを交わし 翌朝それぞれに旅立ったのだそうな・・
さて 武兵が茶屋坂の宿に帰って しばらくしたある日のこと
駕籠かき仲間のひとりが熱を出して寝込んでしもうた
幾日たっても熱は下がらず ウンウン苦しむばかり
そこで武兵が見舞いがてら その者の家に行ってみると 何のことはない あの時の老人が部屋の隅に座っておるではないか
不思議なことに武兵以外の者たちには見えておらんようじゃ・・
老人は武兵が来たのをみると また人懐っこい笑みを残して家を出て行った
すると 病人から今までの熱や苦しみがウソのように消え去ってしもうたのだと・・
その後も そんなことが何度かあって いつしか “はだか武兵” は “熱冷ましの武兵” へと評判になっていったのじゃと
それから何年経った頃か
街道沿いの大湫(おおくて)宿で 騒ぎがおこったとな
参勤交代で江戸に上がっておった長州の殿さま一行
その姫さまが高熱を出し 宿に臥せったまま動きがとれんということじゃ
かき集めた医者も皆さじを投げてしまい このままではあわやという始末
姫さまが臥して七日目 ついに一行の使者と名乗る者が武兵の小屋を訪ねてきた
宿場頭から “熱冷ましの武兵” の話を聞きつけ 最後の手立てとして武兵を頼ってきたのだと
殿さま連中から見れば賤しい身分の者 それも褌一丁 姫さまの手前 着物を着せようとしても何としても着ない無粋の男
家老はじめ皆 これはこれはと悩んだが もう他に頼る術もない
意を決して姫さまの臥せる部屋に武兵を通し二人きりとした
熊のごとき はだかの男と力なき姫さまが ひとつの部屋に二人きり
家来たちは閉じられた襖の前で まんじりともせず一夜を明かしたそうな・・
どれほどの時間が経っただろうか 里のお寺の鐘が朝を告げた時
部屋の中から姫さまの小さなあくびが聞こえてきたではないか
思わず部屋へとなだれ込んだ家来たちが見たものは
あれだけ苦しんだ熱も何処へやら 血色良い姫さまの姿であった・・
殿さま一行 その喜びは計り知れない
さっそく家老は武兵を前に 「手柄である! なんなりと褒美を取らせよう!」
と申し渡したが・・
武兵 「ご覧のとおり わしは はだか一貫 何にもいりません」というて立ち去ったのだと・・
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武兵のこの功績と男気は 地元でいたく評判となり、後々に続く語りぐさとなりました。
時が経ち、”熱冷ましの武兵” なき後も、彼を偲ぶ中津川の人々の想いは絶えることがないのです・・。
さて、とりあえず本日はここまで、次回後編では武兵に関してもう一歩 考察を進めてみたいと思います。 また、同じ岐阜県南西部、大垣市から “病” にまつわるお話を、もう一遍お届けする予定です。 お楽しみに・・そして ご健康で!