分かち難き人と病の相克を越えて(後)- 岐阜県

さてさて、疫病神の助力を得て? 熱病の治癒に力を発揮、物語において超常の能力で人々を癒やしたように描かれ、ある意味 お伽噺の主人公であるにもかかわらず、(前回でも触れましたように)武兵は実在の人物として扱われているようです。

岐阜県中津川の閑静な緑地帯 “旭ヶ丘公園” の一画に、武兵を祀る石碑と小さな祠が今も佇んでいるのだそうで、また、その前には叩くと良い音で響く “チンチン石” と呼ばれる石があり、年齢の数だけ叩くと病魔退散のご利益があると伝わるのだとか・・

一般的に、昔話・民話は その話自体が有名になることがあっても、その主人公に具体性が与えられることは稀です。 只、物語が成立するにはそのエピソードが起こったときに中心となった人物がいたことも、また事実なわけで・・。

 

“はだか武兵(ぶひょう)” という名ですが、別説に “武兵衛” とも表記されるそうで、”兵衛” の名は元々 奈良時代の “兵衛府” に端緒をもつ、”武官・官職” に関わる呼び名です。

古くからの制度のため、”武士” と “農民” とは隔絶された身分・存在に捉えられがちですが、実際問題、地方武士や武士団の起こりは農民階級からですし、由緒ある姓を持つ武士の一族が帰農して土着の農民となることも少なくありませんでした。

身分制度で明確に分けなければならないということは、それだけ武士と農民とは元来 不可分の存在でもあったと言えるのではないでしょうか。

あくまで個人的な憶測ですが、実在とされる この武兵さん、”ふんどし一丁裸姿” “大酒飲み” “力持ちで口下手” と粗野なイメージが先行しますが、もしかすると実家は元々由緒ある家柄であったのかもしれません。 ”酒でしくじり地元を離れ・・” という、民話ではあまり見られない “事情説明” が入っているのも、それを匂わせますね。

熱病を治す能力、つまり自然生薬など何らかの治療手段もしくは知識を持っていて、それを人々に(ほぼ無償に近いかたちで)施していたのかもしれません。それ故の伝承であり、後世に伝えられ祀られる対象になったのではないでしょうか。

そもそもご実家がそういう家柄で、酒癖の悪さ故に家を出たものの、無銭の人々相手に技量を奮っていた・・ そのような話が底辺にあるように思えるのです。いうなれば人生の転変と感謝のお話ですね・・。

 

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さて、本日のもう一遍は同じ岐阜県でも南西部、大垣市からお送りします。

『みたらし地蔵』

さても その昔 大垣の全昌寺では大勢の若い坊さんが修行をしておいでた

坊さんがいただく食事といえば 質素なものが決まりのようになっておるが
このお寺では ずうっと昔から その日に炊く米の量が定められておることもあって
修行の坊さんが増えれば それだけ粥(かゆ)も薄くなり・・

しまいには あらかた重湯のようになって天井が映る有り様
地元の者からは “全昌寺の天井粥” と呼ばれておったそうな

さてある時 そんな天井粥さえ すすれなくなるほど 歯茎が腫れてしもうた若い坊さんがおった

名は禅栄 ずきん ずきんと疼く痛みを抱えながらも
若輩の修行僧ゆえそのことを誰にも言わずこらえておったそうな

今日も今日とて 間もなく座禅が始まろうというのに 歯茎の痛みはいよいよ増すばかり

薄い飯さえ食えず体は弱っておるのに 痛みはなお増して まともに考えることすら叶わん
このままでは 瞑想どころか まともに座禅を組むことさえ無理であろう

しかし部屋で臥せっておっては修行が足りぬと叱られかねん
ふらつく足を引きずりながら 皆より早くお堂まで来たもののどうにもならん

ふと見ると お堂のご本尊さまの前に箱型の前机がある
禅栄はこの前机の中に潜り込んで隠れておることにしたのだそうな

やがて 皆がお堂に集まり座禅がはじまることになった
時折 ひびく警策の音以外 静けさが立ち込める堂内 うめき声など出しては皆に知れてしまう
ますます募る痛みに苦しみ悶えながらも 禅栄はじっと耐えておったのだと・・

 

座禅が終わり 皆は禅栄がいないことに気づき あちらこちらを探したが何処にも見つからぬ
部屋はおろか 厠も裏庭も縁の下さえ探したが見つからぬ

そして ようやく次の日の座禅の用意の時になって 前机の中で身を屈ませ・・既に事切れている禅栄が見つけられた
皆して禅栄を引き出すと頬からのどに大きく腫れ上がり 如何に苦しんだかが偲ばれる

そして 禅栄の手には一枚の紙が握りしめられておった

“和尚さまや皆さまに ご心配かけて申し訳ありません こんな私に墓はいりません そのかわりに地蔵を一体彫っていただきとうございます 地蔵に宿り衆生の痛みを除きたいと願います”

これを読んだ和尚は若僧の痛みに気づいてやれなんだことを悔やみ
禅栄の供養を済ませると石工を呼んで 地蔵を彫らせ参道の脇に祀ったのだそうな・・

全昌寺 外観(右)とみたらし地蔵(左) 画像Google

歯が痛むときなどに この地蔵さんの前に箸を添えて祈ると痛みが引くと噂になり
やがて近郷近在から頼って人が集まるようになった
お地蔵さんの前にはいつも何かしらが お供えされておる

ある時 お参りに来た人が “何を供えたら良かろうか” と若い坊さんに相談したのだと

そしたら 日頃から “天井粥” で腹を空かしている坊さん 思わず “みたらし” が良かろうと答えてしもうたのだと

それからというもの 全昌寺のお地蔵さんの前にはいつも “みたらし” が供えられるようになって修行の坊さんの密かな楽しみとなり お地蔵さんそのものも いつしか “全昌寺のみたらし地蔵” と呼ばれるようになったのだそうな

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こちらは おそらくは実際の出来事と思いたくはないですが・・、歯痛・歯茎痛とはいえ長く放置すると、最悪の場合 命に関わることもあるので注意が必要です。

医療や医学的知見が進んでいない時代、身体の不調は自然治癒か民間療法だけが頼りだったのでしょうね。

しかし、考えてみれば、医学の発達でそれまでの難病が次々と克服され、同時に衛生化の一途を辿ってきた現代社会、クリーンな環境は結構なことですが、反するように人が元々持っていた免疫力や自然の危機管理能力は低下してきているようにも思えます。

そこへもってきて新手のウイルスが次々と発現する現況では、先が思いやられようというもの・・。 無菌室のような状態でないと生きていけない身体にならないためにも、基本的・根本的な社会の見直しが必要なのかもしれませんね・・。

ともあれ、太古の昔から人間にとって “健康” は恒久の願いであり、同時に “病” は最も忌避されるものでありました。 しかし、生きている限り “病” は常に隣り合わせに存在するもの・・。 生きることと病を祓うことは同体でもあったのです。

本質的な健康生活の歩み方、もう一度 考え直す時が来ているのでしょうか・・。

「全昌寺」 岐阜県大垣市船町2-21

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