人は上り下る 下野国 雷さまの落ちた火鉢 – 栃木県

「日だまりを 恋しと思う うめもどき 日陰の赤を 見る人もなく」

江戸時代も まだはじめの頃、二代将軍 徳川秀忠の治世に、まさしく天上から奈落の底へと凋落した幕府の重臣 “本多正純” による、隠棲中の句です。ご存じの方も多いかと・・。

幕府開祖、徳川家康がまだ未明の時代から、父、正信とともに家康に仕え、天下分け目の合戦をとおして幕府の重職にまで昇りつめたものの、次代 秀忠の頃、下野国宇都宮城主へと転封させられ、ついには世に名だたる「宇都宮城吊り天井事件」を起こし、改易処分(領地没収・家名断絶)となりました。 上の句は正純が出羽国横手へと幽閉中に詠まれたものとして知られています。

幕閣から遠ざけられたことを恨んでの将軍暗殺計画だったとされていますが・・、どうでしょう?、将軍を亡き者にしたところで、それで身の上がるものではないことくらい子供でも分かるようなこと・・、実際のところ権力闘争の末の計略に嵌められたという公算が強いですね・・。(正純自身にも嫌疑を掛けられるような動きはあったようですが・・)

彼を謀った人物の一人として挙げられるのが、同じ幕閣の重臣 “土井利勝” といわれます。正純が失脚することによって、事実上、幕府の最高権力者となり秀忠・家光、二代三代にわたる将軍側近の大役を担っています。

しかし、吊り天井事件が土井利勝を含む、”反正純派” のみの計略かといえば それだけでもないようで、将軍秀忠自身も父の代からの宿老正純を疎ましく思っていたといわれ・・、

また、正純やその父正信自身も以前から他の有力者への謀略を行っていたこともあり、つまるところ、大きく膨らんでゆく “幕府” という権力世界での中の覇権争いの成れの果てといったところでしょうか・・。

只、本多正純にしても土井利勝にしても権謀術数渦巻く世界を一歩出て、個の人格をと問われれば、正純にあっては他人に対して身分の貴賤を問わず実直で律儀に対応する人柄であったとされ、利勝にあっては人と人、家と家の繋がり・情に重きを置き、公明正大を旨とする人物であったとも伝わりますから・・、立場というもの、負うた責務というものが、人の人生と歴史を作りもすれば曲げもしてゆくということなのでしょうかね・・。

 

さて、そんな “土井利勝” が “土井大炊頭(おおいのかみ)” とよばれて、古河藩(こがはん、当時の下総国、現在の茨城県)の “お殿様” であった頃のお話です・・。

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火鉢へ落ちた雷さま 〔栃木県 足利郡〕

ある年の まだうすら寒い春のことじゃ

「今年の雷は早いのう」

古河のお城のお殿様 土井大炊守は火鉢に手をかざしながら そうつぶやいたそうな

遠い空の果てでは ごろごろどんどんと春雷の音が鳴り響いておる
空は一面薄暗く今にも大粒の雨に見舞われそうじゃ

と その時じゃ バァーン! とつんざくような轟音とともに辺り一面 真っ白な光に包まれた

気づけば お殿様も火鉢の灰にまみれて後ろの方へ飛ばされてしもうたではないか

度肝を抜かれて呆然とする一同を尻目に火鉢の方は何やらブスブスとくすぶっておる

驚くべきかな 雷さまは火鉢の中に落ちたようじゃ・・

 

 

「殿!」「殿!」 かけ寄る家臣 すると 殿さま よろよろと起き出して

「う~ん・・ 案ずるな 大事無い・・」

見ると確かに灰まみれとはいえ 殿さまには少しの傷も火傷もなかったのだと

ほっと胸をなでおろす家臣たちであったが あれだけ大きな雷が目の前に落ちて 何とも無きとは如何なこと・・

これは かねてより土井の殿さまが 領地となっていた足利は板倉に鎮まる “雷電神社” を 殊の外うやまい祀っておられたので その神さまが此度守って下さったのであろう

と いうことになり この後 改めて雷電神社に参詣 その時の火鉢を寄進 土の中に埋めて祀ったのだそうな

 

それから何十年か過ぎたころじゃったかのぅ

板倉の隣り村にある “喜福寺” にひとりの・・いささか やんちゃな小僧さんがおったのだと

ある日 雷電神社に埋まる火鉢の話を知ると 何とかこの火鉢を掘り出して皆をびっくりさせてやりたいものじゃ と思うたそうな

小僧仲間のひとりをつかまえ そのことを話すと

とんでもない! そんな罰当たりなことをしたら どのような祟りがあるやもしれぬと取り合わない

難儀なことかな そうなるといよいよもって この大事を成し遂げ皆を驚かしてやろうという気になった

「もう何年もたってよう 雷さまだって忘れてらあ だいいち火鉢の中へ雷を葬ったわけでもあるめえ もっともそうだったら雷はもう干からびてんべがな」

などと つよがりを言うておったのだが やはり心のどこかで迷いがあったのだろう

やがて 「真冬なら雷さまも冬眠中だんべ」と わざわざ粉雪舞うような寒い日の
まだ夜も明けぬうちから隣村に渡ると 人目を忍んで山に登り土を掘り返したそうな

 

一念岩をも・・ではないが 小僧の意固地はついに土の中に何かを見つけたようだ

掘り出してみると確かに 一抱えほどもある火鉢だ

「しめた! ほぅれ見ろ 祟りなんかありゃしねぇ あとは運び出すばかりだ」

はやる心をおさえながら辺りを見まわしても こんな山ン中に人影などある由もなし

途中 人に出会うては面倒なことになる 少しでも早うと小僧さん その火鉢を抱えたまんま山を下り出したのだと

すると どうだろう つい今しがたまで雲ひとつなく晴れわたっていた空に たちまち黒雲が立ち込めてきたではないか

見る間に辺りには これまで見たこともない大粒の雨が降り出し 山道は川のような水に覆われた

耳も破らんばかりの雷鳴がひっきりなしに轟いて 山は今にも崩れそうな勢い

天網恢々疎にして漏らさず これぞ雷神のお怒りかと思う中・・・・・

それでも 負けん気甚だしい小僧さん 土砂降りの中をあちらに転げこちらに転げながらも

とうとう火鉢を離さぬまま お寺まで駆け込んでしまいましたとさ・・

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う~ん・・ まぁ、何というか(今ひとつ捻りのないオチで恐縮ですが・・)粗暴というか、勝手というか、意固地一徹な小僧さんで困りものですが、得てして こういう少年が大人になって良い方に曲がると、大事を成し遂げるような人物になったりするので、人生とは中々分からないものですよね・・w。

「雷電神社」ですが、足利市を含めた栃木県南部や土井大炊守が居た古河(現・茨城県)、そして隣接する群馬県南東部(ここにも板倉町がある)一帯にかなりの数が集中しています。 この辺りは古来より “雷害” や “空っ風” に見舞われた地でもあったので、その影響でしょうか。

今回、お話に出てきた板倉町の “雷電神社” は “山に登り・・” との記述があることから、コチラ コチラ ではないかと思うのですが定かではありません。 因みに小僧さんが居た “喜福寺” も板倉町の隣町、松田町に現存するものがそれではないかと思われます。

さてさて、お寺まで舞い戻った小僧さん、雷さまから逃れても、今度は 和尚さまから大目玉を食らうのではないかと思いますが・・、どうなったのですかね・・・w。

(記事内、雷電神社画像 Wikipedia © 田中小荷様)

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