春分さきたまに訪ねる雪女の話地蔵の話 -(後)

さてさて、”春分” も過ぎれば間もなく春も盛り、菜の花の彩りから桜の便りへと移った話題も “清明(4月7日頃)” の頃にもなると、それさえ花の吹雪となって去ってゆきます。

野や小川のいたる所で新芽が芽吹いて あれよと言う間もなく “穀雨(4月20日頃)” 、ここまで来ると各地で田の準備も整い、いよいよ田植えに向けて農家の人の忙しくなる時期ですね。 ”早乙女” さんが登場する田植えの神事、5月をサツキと呼ぶのも “早乙女の月” から来ているのだそうです。

季節感が薄くなり、いつも何かしら気ぜわしい現代ですが、少し田舎や自然の片隅に目を移してみると、まだまだ季節の移ろいや その情景は其処ここに息づいています。 少し一服をいただいて、日頃目を向けない路傍や山の景色に気を留めてみるのも良いかもしれませんね。

 

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『田植えの地蔵さん』

さても今は昔の話じゃ

比企の高坂の里 ここいらはこちらも田んぼ あちらも田んぼと 高麗の川から山のあなたまで田んぼ尽くしの土地柄じゃけ

そりゃあもう 田植えの時期ともなれば 男も女も子供にいたるまで皆 田に出て働いておったと

ある日のことじゃて その高坂の田んぼ道を ひとりの爺さまが歩いておったと

あんま見てくれの良くねぇ どっちかちゅうと みすぼらしいなりをした爺さまだったな

ん? 目を留めた者も ここらじゃ見たこと無ぇ爺さまだな・・と思うくれぇで 手を止めている間もありゃぁせん 黙々と田植えの段取りをしとったとよ

ポッチリポッチリ歩いてきた爺さま 道の傍らにあった大きな丸い石の上に腰掛けて しばらくの間 仕事に精出す村の衆を眺めておったのだが・・

何を思うたか よいせ!と腰を上げると またポッチリポッチリ 今度は田んぼの畦に入って来たではないか

「ああ ごくろうさん ごくろうさんじゃ」

誰に言うとでもなくつぶやきながら 田んぼの中ほどまで来ると そこで働いておった男に話しかけたのじゃと 「ごくろうさん せいが出るのぉ!」

「ハ?」 見たことも無ぇみすぼらしい爺さまが いきなり声を掛けてきたもんだから 男も驚いて顔を上げたわ

(誰じゃ? あんた? 爺さま何処から来たよ?)

男は思うたが それを口にする間もなく 爺さまが続けて言うた

「うん! 明日じゃの! ここいらの田んぼ わしがまとめて手伝うてしんぜるよってに!」

「ハァ!?」 何を言うとるんじゃ この爺さまは? 男はますます驚いて二の句も継げん

そうこうしておる間に 爺さま またポッチリポッチリ歩いて 何処へともなく帰っていったそうな・・

さぁて 男から話を聞いた村の衆は皆呆れるやら笑い出すやら
まぁ 何処ぞのチョイと緩んだ爺さまが 暇つぶしにでも来たんだろうと 皆笑いながら家に帰っていったと・・

 

ところが 次の日のこと 朝も早うから村の衆が田んぼに出てみると・・

何と昨日のあの爺さまが田植えをしておるではないか
尻っ端折りしてタスキ掛けて そんでもって随分とまぁ慣れた手付きでズイズイと植えてゆく

“オイ どうなっとるンじゃ!?” ”あの爺さまは一体何者じゃ!?” 驚いた村の衆が集まってワイワイ言うとるうちにも ドンドン ズイズイ進めてゆく

そのうち女も子供も集まってきて ”オイ 見とる場合じゃねぇぞ! わしらも励まにゃぁ” なんて次々と田んぼに入っては仕事をはじめたと・・

しっかし 爺さまのその手際 そりゃもう早ぇなんてもんじゃねぇわ
いっぱし 田仕事やってきた大の男がふうふういいながら植えていくのに  爺さまその横を何気無ぇ顔でスイスイと追い抜いてゆく

こうなるともう どちらが手伝うとるのか分からんような塩梅
ついには まだ日も高いうちに全ての田んぼの田植えが済んでしもうたんだと

「いやもう 恐れ入った 爺さま助かったわ 有難うさん有難うさん」

一面 きれいに植え終わった田んぼを眺めながら 村の衆は口々に礼を言うた
昼飯時でもあったので 畔の広っぱに爺さまを囲んでもてなしたそうな

「しかしまぁ とんでもねぇ仕事ぶりじゃのう 爺さま何処の者よ?」と聞くと

「ん? わしか? わしゃぁ新堀の者じゃて」ニコニコ笑いながら答えよる

「新堀? はて? あんな所に人家があったかのう・・?」
「何にせえ てぇしたもんも無いが 腹一杯食ってってくれや」

男も女も そして子供たちも爺さまのまわりで楽しんだとよ

 

やがて 爺さまが帰ろうとするので村の衆 心ばかりの土産を爺さまに持たせた
山道をまた一人で帰らせるのもなんだと 数人の男たちが見送ってゆくことになった

爺さまは先にたって歩かれ 男たちはその後をついてゆく

三日四日は掛かろうかという田植えを わずか半日ほどで済ましてしまう あの働きにもかかわらず 爺さま 疲れなど知らぬようにスタスタ先を歩いてゆく

やがて新堀の郷まで来ると そこには鬱蒼とした森に囲まれた “霊巌寺” というお寺がある

すると爺さま その霊巌寺の境内に吸い込まれるように入っていったではないか
何がどうなったのやら 慌てて爺さまの後を追う男たち しかし 広い境内の中 爺さまは何処へ行ったのやら見あたらん

えらいこっちゃ 恩人の爺さまに何かあってはならんと 皆で寺の隅から隅まで探したがいっこう見つからんではないか・・ 寺の僧もそのような爺さま見ておらんという・・

仕方がない せめて爺さまの無事を また会えることを祈ってお参りだけでもということになった

本堂に参り ついでに傍らの地蔵堂にも参っていこうと皆で手を合わせとき・・

「おい!」「あっ!」「こ、これは!」

そりゃまぁ皆驚いたわ

何せ お堂の中のお地蔵さん ご本尊さまが さっきまで田植えをしていた爺さまその人だったのだ

「なんというこっちゃ・・」「お地蔵さまじゃったとは・・」「お地蔵さまに田植えをさせてしもうた・・」 皆 口々に驚きつぶやいたわ・・

 

村に帰り このことを話すと村はこのことで持ちきりとなった

有難ぇことじゃ もったいねぇことじゃと 村長を頭に日をあらためてお参りすることになった

それからというもの 村の者は毎年 田植えの前の頃ともなると 皆でお供えをこしらえてお参りを欠かさぬようになったのじゃと・・

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まぁ何というか前回のお話「雪女郎」もそうですが、「田植えの地蔵さん」と題名で その内容が知れてしまっている、いわゆる “出オチ” な民話となってしまっていますが、如何でしたでしょうか。(^_^;)

お地蔵様 とは “地蔵菩薩” のことで “本地垂迹” においては “閻魔大王” の半面化身ともされています。 地獄で人の業を裁く厳しさの半面、現世において人々の暮らしに最も近く、苦悩を身代わり背負う仏身として慕われてきました。

畢竟、民話への登場率も極めて高く、子供の守り神ともされたことから “子供好きなお地蔵様” など、人の生活に寄り添ったお話が多く残されていますね。

今回のお話では・・まぁ日頃の村人たちの健気さに免じて、と言ったところでしょうか、大きな労苦を伴う田植えを一手に引き受けるなど、随分とサービス精神旺盛なお地蔵様ですがw、ここにも田植えという歳時とともに 人々の暮らしに密着した姿が描かれています。

現代の暮らしからは考えようもない、牧歌的で屈託のないお話ですが、それだけ人々の生き様と自然、そして神性の世界は身近に結びついていたのでしょうね。

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