大室山、数奇の女神は母の如く鎮まる – 静岡県

さて 前回、伊豆半島は温泉と行楽のメッカ “伊東市” から “ハトヤ” CMや、”伊豆シャボテン動物公園” “伊豆ぐらんぱる公園” などの話題をお届けしました・・、本日はその続きとという訳ではありませんが、この伊東市に坐される一人の女神さまについてお話致しましょう。

“伊豆シャボテン動物公園” は 伊東温泉の少し南「大室山」の麓の丘陵地帯に在る、と前回の記事で書きましたが、この大室山、一度見ると中々忘れられないような印象的な姿形をしていまして、伊東市のシンボルとも言われ市民から親しまれています・・。

標高580mという さほど高い山ではないのですが、樹木が生い茂るでもなく一年草に覆われて・・遠目に見るとなだらかな曲線を描きながらも、もっこりと盛り上がった山容は、優しくも生きる力に満ちた母親のイメージさえ湛えていますね。

現在は登山リフトで山頂に登ることも容易です。(徒歩での登山は禁止されています)

 

頂上部はすり鉢状に窪んでいます。
つまり、大室山は古代に活動した典型的な火山であったのです。姿形を含めて例えるなら丁度、熊本県の阿蘇山を小さく可愛らしくしたような感じでしょうか。

Google Earth より

“スコリア丘” と呼ばれる比較的 小規模ながらも特徴的な噴火形成を経た “単成火山” で、約4000年前(弥生時代)に形成されたと言われています。

“シャボテン公園” が建つ麓の丘陵地帯も元は「岩室山」という、大室山から噴き出した溶岩が折り重なって出来た山塊なのだそうで、噴出時の溶岩は岩室山を築いただけでなく、海岸部をも埋め立てて、現在に続く雄大な自然美を造り上げました。

市民から愛され、この地を訪れる人々から賛美される伊東の自然は “富士箱根伊豆国立公園” “伊豆半島ジオパーク” の一所であり、大室山山体は “天然記念物” でもあるのです。

 

この大室山の鉢(火口・火山活動は無し)の東側に 慎ましやかに鎮まるのが『大室山浅間神社』 山の神 “大山津見神(オオヤマツミノカミ)” の娘神「磐長姫命(イワナガヒメノミコト)」を一柱のみの主祭神に仰いでいます。

大神である大山津見神の娘神でありながら、あまり祀られることの少ない神さま、いわんや一柱のみで祀られているのは、この大室山浅間神社を含め数えるほどしかない薄幸な印象の女神ですが、これは何故でしょうか・・。

日本神話や記紀にご興味をお持ちの方なら よくご存知でしょうが、磐長姫はその妹神である “木花咲弥姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)” とともに、天孫である “瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)” の妻として輿入れされました。

しかし、美の女神でもある木花咲弥姫に比して、不器量とされた姉の磐長姫だけが親元へと返されたのです。

あまりにも理不尽な話のように思えますが、この成り行きに対して父神 大山津見は当然のごとく、瓊瓊杵に対し怒りを顕にして抗議しました。

「二人の娘を同時に嫁がせたのは、磐長姫の岩のごとき長命と木花咲弥姫の花のごとき繁栄を願ってこそなのに、貴方は外面のみを以って磐長姫を戻した。この後 天孫の寿命は短いものとなってしまうだろう」

 

瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は この後も、妻とした木花咲弥姫命の懐妊に際して疑いをもち一悶着おこすなど、神さまの一族にしては随分と不見識な振る舞いですが、そもそも神話に登場する神さまの多くは、人そのものの行いや願望を反映した写し鏡としての面をも持ち合わせており、それは洋の東西を問いません。

不器量な姫を娶らずに返した挙げ句、短命の宿命を負ってしまうというのも “バナナ型神話” と呼ばれる、東南アジアを主とした地域に広く見られる類型であり、磐長姫のお話もこの影響のもとに創造されたものでありましょう。

つまるところ、磐長姫が実際に不器量であったかどうかは大きな意味を持たず、物事の外見ばかりに流されやすい、人の弱さ愚かさを説いているのでしょうね。

ともあれ、このお話の影響かどうか祀られる地所の少ない磐長姫、何やら その容姿ゆえとも取られかねず、中には より醜いもの(オコゼなど)をお供えするのが良い・・などという俗信まであるようですが、私的にはもう一つ得心がいきません。

同じように(現代では)不器量に掛かる容姿の「お多福 / オカメ」が、古くから福を呼ぶ縁起物の神格として敬愛されているのに対し、扱いや知名度に差があり過ぎますね。

あくまで個人的な想像ですが、磐長姫が返されて天孫・そして人間の寿命が限られてしまった事件によって、長寿を求める人間の指向性から一旦 切り離された存在なってしまったことが、その背景にあるのではないでしょうか。

磐長姫 本人が不変と永遠・長寿を司る神であるだけに、これは本末転倒、残念なこと極まりない考察ですが、本来もっと全国の社で祀られておかしくない神格であるのに、現状を考えると、人の世との間に大きな隔たりが思えてならないのです。

一説には、返されたがゆえに嫉妬深く 扱い難い神さまだからという話もありますが、これも人間の性癖の反映として考えられたものともいえ、磐長姫には残念なイメージをもたらしていますね・・。

 

本来、現世における不変性、物事の永遠性、そして人の長寿を司る神は、神格として最も高位にあるもの、ましてや それが女神であるなら “最高神” にも通ずる神さまらしい神さまとも言えます。

しかし 同時にそれら永遠への願いは望んで叶うものでないことも また事実。

悠然たる大室山を依り代に厳かに鎮まる “磐長姫命” は、そんな世の相反が宿命付けられた数奇の女神だったのかもしれません。

それでも、よく晴れた穏やかな日を選んで大室山に登ってみてください。
そこには、不縁の恨みや矛盾への懊悩など微塵も感じられないはずです。
そこに息づいているのは、ただ安らかに、そして母の愛情のごとくおおらかに降り注ぐ陽射しと風でありましょう。 それこそが磐長姫の真の姿でもあると思うのです。

場  所 : 大室山 静岡県 伊東市 富戸

参考サイト : 「国立公園 伊豆・伊東 大室山登山リフト」

 

 

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