漸悟の道 衛門三郎による遍路のはじめ(前)

※ 本日のお話は、もしかすると “四国お遍路” を よく知られる方には常識的な話題かもしれません、記事にしておいて何ですが・・すみませんw m(_ _)m。

 

今から30年程前に原作発刊、そして1999年1月に劇場公開された一本のホラー映画がありました。 題名は「死国(しこく)」、高知県を中心に実際の四国を舞台として描かれた、死者再生の戦慄と悲哀を描いた怪奇ドラマです。 女優・モデルの栗山千明さんの映画デビュー作としても知られています。

架空の物語を描く映画の題名や内容に とやかく言っても仕方がないのですが、”しこく” の文字をそのまま “死の国” に充ててしまったのは、原作題名のとおりとは言え 結構微妙、というか四国側からクレームが出ないかと当時思ったものでした。

身近に四国出身の方がいなかったので、リアル四国住民の意見を聞くことはありませんでしたが、実際のところ気にする人は それほどいなかったのでしょうかね。

 

映画そのものは、ホラー映画とはいうものの “恐怖” や “残虐” というより、生と死と愛にまつわる “詩的な叙情” さえ感じさせる作品だった・・という印象が強い、それなりに良く出来た映画だったと思うのですが・・

只、もう一つ、事実と異なる設定要素があったのです。

栗山千明さん演じる主人公?、若くして死んだ “莎代里” の死を受け入れられない母 “照子” によって “黄泉がえり” の儀式が行われるのですが、その手法が「遍路の逆打ち」というものでした。 通常、時計回りに回るべき四国遍路を、”死者の享年の数だけ逆回りに” 回ると死人(しびと)が蘇るという、物語上のロジックです。

弘法大師の足跡を辿ることで功徳を積み安寧を得る、という “陽” の気に満ちた “お遍路” を逆に回ることで、まるで全てを反転したような “陰” の世界を上手く描き出していた設定ではありましたが・・

 

実際のところ「逆打ち」は事実 存在します。 上の説明と同じく通常、時計回りに遍路を踏むことを「順打ち」といい、逆回りに回ることを「逆打ち」というそうです。

しかし、それは映画で描かれるような “呪術” や “禁じ手” とは何ら関係なく、むしろ功徳の高い回り方ともされ、そして往古から語り継がれた一つの伝承にもつながる奇特な縁起でもあるのです。 先ずはそのお話をご紹介しましょう・・。

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天長年間といいますから平安初期の頃にあたります。

伊予国 浮穴郡 荏原(えばら)の郷(現在の愛媛県松山市久谷恵原荏原)に、衛門三郎という郷士がおりました。 古より伊予の豪族であった河野氏の一族であったとされています。

衛門三郎は土地を治め その羽振りも良かったようですが、生来 傲慢な上、情に欠けた性分であったため、人聞宜しからずといった按配でした。

ある日、ひとりの旅の僧が衛門三郎の家の門を叩いたのですが、そんな性分の衛門三郎、僧の托鉢を にべもなく追い払ってしまいます。

しかし その僧、その次の日もまた次の日も 衛門三郎に追い返されるのにも めげずに托鉢にやって来たのだそうで・・

とうとう八日目の朝、業を煮やした衛門三郎、僧の鉢を 持っていた箒の柄で叩き落としてしまったのだとか・・ 地に落ちた鉢は八つに割れて砕け散ったそうです。

僧は立ち去り それきり二度と衛門三郎の家を訪ねることはありませんでした・・。

ところが その翌年、衛門三郎の嫡男が病を得て亡くなります
衛門三郎には八人の子がいましたが、嫡男の死を追うように それからというもの年を重ねるごとに一人また一人と他界し、ついには全ての子が冥土に旅立ってしまいました。
強情で知られた衛門三郎も さすがに心身廃れきり、日々泣いて暮らしたといいます。

一方、風のうわさにこのことを伝え聞いた旅の僧は、罪無き子に因果の報いが下ったことを誠 不憫に思い、八塚を建てて厚く供養したと伝わります。

 

そんな ある日、衛門三郎の夢枕に一人の僧が立ちました。茫洋とした夢の中 それはあの日に追い払った旅の僧ではありませんか・・。

静かに僧は告げます・・「前非を悔いて情篤き者となれ・・」

目を覚ました衛門三郎は、ここに至りようやく あの旅の僧が弘法大師であったことに知り、なおさら今までの自分の生き方が、人々に そして自らの子らに不遇をもたらしていたことに気づき、打ちひしがれるのでした・・。

 

人心を顧みず、神仏を疎かにしてきた人生を深く悔いた衛門三郎は発心します。

持っていた田畑を売り払い 家人や世話になった人々に分け与えると、白装束に身を固め 子の仏壇の前で祈りを捧げ・・ やがて「大師を追うて贖罪の旅に出る」と妻に言い残すと、大師の影を追う度に出たのです。 これが今日に続く “遍路” の始まりとされています。

二度と戻らぬ覚悟の衛門三郎、大師の足跡を辿るように四国中の寺を訪ね歩きます。来る日も来る日も寺から寺へと歩き続け、春夏秋冬、幾星霜を数えるも中々に大師に巡り会うこと叶いません・・。

月日は流れ、どれだけの歳月を遍路に費やしたでしょう。四国中の大師縁の寺を廻り続け、その回りはついに二十回を数えましたが、未だ大師に会うことは出来ずにいました。

それでも、なんとかして大師に巡り会いたい一心の衛門三郎、考えを改め 今までの逆周りに回ることにしました。 追いつくことが精進だと努めてきましたが、衛門三郎も年を取り、残る力さえ朧げであったのです。

 

しかし、既に衛門三郎の遍路も終わりが近づいてきたようです。

阿波国 名西、焼山寺のたもと 杖杉庵にまで来た時、折からの疲れに病を得て ついに倒れ伏してしまいます。 最早、幾日とない この命、今までの人生を振り返り 床に臥していた衛門三郎のもとに現れたのが弘法大師でした。

前非を侘びながらも言葉の続かない衛門三郎に向かって、「そなたの罪 既にあがなわれし」と告げる大師、そして「今際にあって 望みありしや?」と問われました。

苦しい息の中から衛門三郎は途切れ途切れに・・「願わくば河野(旧家長家)の長に生まれ変わりたい、次の世こそ人々に徳を施す一生としたい」と言います。

大師は傍らの小石を手に取り、そこに「衛門三郎再来」と書き記し 衛門三郎の左の手に握らせたそうです。 これまでの苦労も人生への懺悔も全て消え失せたかのように、衛門三郎の最後は安らかな往生であったと言われています。

杖杉庵に建つ衛門三郎と弘法大師の像

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“前非を悔い生を正す” というのは、簡単なようでいて中々出来るものではありません。
私達 人間は、持っている価値観や欲求を元に判断し行動する生き物なので、たとえ他人から見てそれが間違ったものであっても、自らの考えを正当化して曲げようとしない傾向にあります。

苦渋にまみれた半生ではありましたが、その果てに光明を得た旅路は衛門三郎にとって救いのあった人生ともいえるのでしょうか・・。

とは言え、自らに罪もない子供らが八人までも命を落としてしまうというのは、少々 悲しすぎますね。 また、家族・財産を捨て、事実上 出家した状態であるはずの衛門三郎が、旧家長家・国司の長に生まれ変わりたいと望むのは妙な気もします。

次回、後編では物語の締めの部分を含めて、この、やや消化不良のような部分についても触れてみたいと思います。

 

 

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