懐かしき家財道具に見る夕餉の風景 – 広島県

日も傾く頃にもなると お母さんは買い物カゴを下げて近所の市場へお出掛け、店内を回っては あれやこれや献立の思案、いかに美味しくいかにお安く晩御飯を用意できるか、お店の人と話を交わしながら買い物を続けてゆく。

いつの日もお母さんは働き者、一年を通じて完全にお休みの日など滅多にありません。買い物を終えても学校から帰った子供の世話、間もなく晩御飯の支度と次から次へと仕事が立て込み、ようやくお父さんが帰る頃には暖かな夕餉の食卓が調えられる・・。

 

今でも こういった運びのご家庭はお有りでしょう。しかし、昭和も後半あたりから夫婦共働きが一般的になったこともあり、そして、生活に対する価値観やスタイルの変化によって、こうした流れや団らんの一コマも過去の風景となりつつあります。

あらゆる物事は時代の変遷に伴って移り変わってゆくものであり、新しいスタイルはそれを選んだ人々の意思でもあるので、他がとやかく言うことではありませんが、家族が集いその日の話を交わす気兼ねのない時間が減ったのは、少々残念な気もしますね・・。

変わってゆくのは人そのものだけではありません。人に寄り添い 生活に資する暮らしの道具たちもまた、進化を重ねその機能と姿を変化させてきました。

家庭における生活道具、近年にわかに発展・普及したモバイル機器などと異なり、生活そのものに関わるものであるだけに基本的な機能は変わらぬものの、その動力や性能、操作性を高めながら、いつも人々の暮らしに尽くしてきたのです。

 

広島県 北東部、三次市、七ツ塚古墳群をはじめとして中国地方屈指の古墳群を抱く「広島県立 みよし風土記の丘」 この中の施設『みよし風土記の丘ミュージアム』で『暮らしと道具のうつりかわり ~夕暮れ時のわが家~』が 今月30日(日)まで開催されています。

広報のチラシには 主に昭和初期から中盤に活躍した家財道具、”豆炭やぐらコタツ” “真空管式ラジオ” “ガス炊飯器” そして “食器” などが、当時の姿そのままに載せられており懐かしい気分を誘いますね。

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個人的な想い出で恐縮ですが、私自身はさすがに “豆炭コタツ” の記憶はありません。・・が、子供の頃 家のラジオもテレビも真空管動作、ラジオには不思議な光の “マジックアイ” が輝いていました。 炊飯器もガスでしたし、角の丸い冷蔵庫が有ったのを憶えています。

食器に関しては、基本的に機能が限られているため あまりに大きな変化はありませんが、食生活の洋食化が進んだことから平板な皿類の比率が増えたでしょう。 また、材質そのものは技術的な進展に伴い 高耐性化・高機能化してきました。

 

すべからく道具やサービスというものは進化の方向を目指すものであり、紆余曲折(例えば初期の電気炊飯器や炊飯ジャーは、火力や保存性に問題があったり・・)ありながらも時代とともに、より便利で高機能なものが生まれてきます。

しかし、自動化が進むあまりに、そこに人間の付け入る隙がなく融通の効き難い機器が増えているのも確かです。 反して、昔の道具は単純・単機能であり その多くの部分に人間が手間や加減を掛けてやらなければなりません。 しかし、なればこそ人と道具の関わりは深まり、同時に そこから生み出される成果(ここで言うなら晩御飯)は 作り手の器量が加味された文字どおり “母の味” となったのではないでしょうか。

過ぎ去った日の道具はもはや過去の遺産であり、再びその能力を発揮することも、その姿を見ることもありません。しかし『暮らしと道具のうつりかわり~夕暮れ時のわが家~』展で懐かしい姿に触れることが出来たなら、彼らが輝いた時代の面影とともに、変哲もない、それでいて暖かい家族の想い出に、束の間 再開出来るかもしれませんね。

 

昨年末にお送りした記事で、竈(かまど)に関するトピックを取り上げました。 炊飯においてガスが普及するまでは永く竈による調理が一般的で、それは昭和時代にまで使われ続けたのです。

さらに時代を遡って庶民の暮らしを見てみましょう、奈良時代前から始まったとされる竈の利用は平安〜室町時代に普及・定着していましたが、江戸時代の初期頃までは食事そのものが一日二回であったそうです。 “一汁一菜” といわれるように ご飯、味噌汁、漬物という簡素なメニューが基本でした。

近代的な灯りのない当時は夕飯時には暗くなってしまいます。庶民の家庭で灯す灯りは “行灯(あんどん)” が一般的でした。(ロウソクはまだ高級品だった) これに使う燃料が “菜種油” や “鯨油” なのですが、これが低価格化し安価で供給されるようになった江戸中期から、人々の生活時間も伸び、それに伴うような形で 食事も一日三回となっていったそうです。

興味深いのは、この当時はまだ個々人の “お膳” であり “座卓” が存在していなかったため、意外と “食卓を囲んだ団らん” という感覚ではなかったようです。どちらかというと “飯を食うときは各自黙って食え” という感じだったのでしょうかね。

いわゆる “ちゃぶ台” が取り入れられ、”会話を交えた家族の団らん” が広まったのは明治時代に入ってからのこと、 家族間の会話・つながりの重要性が再認識されて以降、定着していったのだとか。

 

こうして見ると、人、物、そしてそれによる文化は、いつの時代も密接に関わりながら紡がれ 次の世代へと受け継がれ、また変容を重ねていっているのが分かります。 時に過ぎ去った過去の暮らしに目を向けて、その本質に想いを馳せてみるのも良いかもしれませんね。

そして、何にも増して家族のつながりは大切なもの、時代の変化とは裏腹に、変わることなき絆を大事にするためにも、せめて 夕餉のひとときくらいはスマホを置いて、その日の語らいに花を開かせてみては如何でしょうか・・。

 

『みよし風土記の丘ミュージアム』
『暮らしと道具のうつりかわり ~夕暮れ時のわが家~』公式サイト

 

 

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