もう毎年この季節になると「早いもので」の言葉が出てきます。イナバナ.コムの中で検索してみても7件、毎年 年末や季節の変わり目などに使ってきました。ボキャブラリーの貧弱さもひとつの原因でしょうが、何にせよ「早いもので・・」・・今年も残すところ半月ほどとなってしまいましたね。
コロナ、コロナで翻弄された この2年間、このふた月ほどようやく落ち着きを見せてきていますが、海外でのオミクロン株の繁衍などもあり、まだまだ予断を許さない状況が続いています。クリスマスや帰省で多くの人の移動が予想される年末、皆様にはどうか感染対策などにご注意いただければと思います。
本日の記事は秋田県から・・、秋田県の年末行事といえば全国的、いや海外にまで知られる「男鹿の “なまはげ” 」があまりにも有名ですね。
“ケンデ” と呼ばれる蓑(ミノ)をまとい、鬼のような形相の面を被った “なまはげ” が村の路地を練り歩き、「泣ぐ子は居ねが~?!」「悪い子は居ねが~?!」と恐ろしげな声を発しながら、幼児や 初妻の居る家に上がり込んで 日頃の行いや心掛けを戒める秋田県男鹿半島地方の伝統行事。
その異様な様相と原始的教訓に基づいた行事内容は国内はもとより、遠く北米やヨーロッパなどでも認知を広めることとなり、2018年にはユネスコの無形文化遺産にも正式に登録されたそうで、現在では これに関連して*海外から来られる観光客も少なくないそうです。
* “なまはげ” の行事習俗そのものは、男鹿市内に点在する地区内において内々で行われる “限られたもの” であり、この行事そのものを観光することは難しく、その代わりに男鹿市では様々な “なまはげ” 関連施設やイベントを展開しています。
ところで、この “なまはげ” ですが、今も “鬼” の一種だと思っておられる方が割といらっしゃるようで、当の “なまはげ” さんも少々お冠のご様子・・。
しかし その出で立ち、もじゃもじゃの頭髪から突き出た2本の角、大きな口からはみ出た牙、赤や青、黒といった異様な肌の色、そして憤怒の形相は鬼そのものであり “なまはげ≒鬼” と認識されても仕方のないところもあります。
ですが “なまはげ” さんは、鬼ではなく “神様” なのです。
男鹿地方では真山、本山、毛無山の男鹿三山から降りてくる神、もしくは神使とも言われます。
鉈(ナタ)や鎌(カマ)あるいは出刃包丁を振りかざす神様というのも少々異質に思えますが、これも本来 人を襲うためのものではなく、その地・家にはびこる邪気を払い怠け者を懲らしめるためのもの、そう、元来 “なまはげ” は地域に福をもたらすためにやって来る “来訪神” という福の神であるのです。
“来訪神” とは、ある決まった時期になると その地を訪れ邪を退け福や豊穣をもたらす、とされる季節性の神であり、定められた日時が過ぎると消えてしまう・・つまり神々の世界へと帰ってしまう、人間界においては一過性の存在でもあります。
一般的に神社などで祀られている主祭神や、産土神と呼ばれる その土地の神様が月日を分かたず人々の暮らしを見守っているのに対して、来訪神は季節の区切りを告げる “告げの神” でもあり、新しい季節を “人々が身を正して迎える” ことによって福に結びつけるという、節目のスペシャルイベント的性格を持っています。
幼子に対して「泣ぐ子は居ねが~?!」「悪い子は居ねが~?!」と迫る “なまはげ” さん、物心がつくかつかないかの頃の、潜在意識に悪に対する恐怖と嫌悪感を植え付けるという一種原始的な教訓を行うために、子供に対してのみ働きかけるものと見られがちですが、本来、その呼び名 “なまはげ” は、[囲炉裏にあたってばかりの怠け者が足の裏にできる “なもみ(低温やけど)” を剥ぎに来る]という老若男女を問わない戒めの神であったのです。
こういった “来訪神” 信仰は男鹿市のみならず、日本全国、否、世界中に かなり古い時代から存在して、上記ユネスコの無形文化遺産に登録されただけでも 「男鹿のなまはげ」の他に「吉浜のスネカ」「能登のアマメハギ」「甑島のトシドン」「宮古島のパーントゥ」など計10件に上ります。
世界に目を向けてみれば、古代ゲルマン民族の神ヴォータン、オーストリアのクランプス、スロベニアのクーレント等、至る所に存在し、また 驚くことに、現代では優しいイメージの象徴でもある “サンタクロース(セント・ニクラウス)” も、そのひとつとも言われ、古のサンタクロースは悪魔を伴いやってきて、良い子にはプレゼントを、悪い子は悪魔に連れ去られるといった過激な俗信もあったのだとか・・。
恐怖心を背景に教育を施すなどもってのほかと現代では非難を受けそうな習俗ですが、文字や言葉だけで襟を正せないのも人間の悲しい性、恐怖をもって潜在意識に訴えかける方法は往古にあって(ある意味)合理的な方法だったのかもしれません・・。
現代と異なり、単純に生きることにのみに懸命だった古の時、科学も無ければ 法や福祉も虚ろで、戦や災害が起こるごとに容易く命を落としてしまう時代に、なればこそ人々は生きることの意味をみつめ、目に見えない事柄を大事にしてきました。
“来訪神” は新たな季節が訪れることを人々に告げ、心を律し行いを正すことで より豊かな暮らしが手に入れられることを諭した伝道者でもあったのです。
時代が流れ、地方村落の人口が減少するに伴い、これらの行事を続けてゆくことも困難になってきています。ユネスコの無形文化遺産に登録されることは喜ばしいことであると同時に、それは衰退・途絶への道を暗示していることも否定出来ないのです。
目に見えないものの中にこそ人にとって大事なことがある。そういったことに今一度 目を向けてみるべき時が来ているのではないでしょうか・・。