先月、18日にご案内した「三聖人に縁紡ぐ岩屋寺 弁天稚児の羽衣 – 愛知県」で登場しました九鬼嘉隆(くきよしたか)、 志摩国(現在の三重県東部)を領地に覇を奮った戦国大名であり、特に織田信長や豊臣秀吉の配下で屈強の水軍を率いた “海賊大名” として知られる武将ですね。
岩屋寺のある愛知県知多半島をはじめ伊勢湾沿岸の一帯、石山本願寺攻めでの摂津木津川での決戦、豊臣傘下時代には九州や小田原にまで遠征して絶大な水軍力を奮いましたが、天下分け目の関ヶ原の戦いで息子 守隆と家命を分けて、慶長5年(1600年)その生涯を自ら終えました。
豪胆で出世欲が強く野放図な人物として言に上がることもありますが、それは戦国大名の誰しもが抱えている一面、領地と家名の維持存続のために時に苛烈非道をなすのも 時代なりの道であったのでしょう。
多くの印象と裏腹に、茶の湯を嗜み天下に知られた茶人 津田宗及と親交を結び、度々茶会を催す文化人的な側面も持っており、何より九鬼の家名存続のために一生を捧げきった生き様は大名の名に恥じないものであったと思います。
九鬼氏縁の地、三重県 その名も “九鬼町” で “奇祭” ともいえる神事が毎年行われています。
神事の名は「ひょうけんぎょう ニラクラ祭り」 九鬼水軍発祥の港町の、海と陸に関わり暮らす人々の厄除け息災を願って、江戸時代の早くから続けられているそうです。
大晦日の午後、祭祀の祷屋(とうや・中心的役割を担うもの)を務める 九木浦共同(ともどう)組合の人々によって、山林から集められた薪が “ニラクラ” と呼ばれる高さ1m、四方数mの石垣で囲まれた場所に運ばれます。(ニラ=ウニ を集めた蔵)
そして、晩の8時頃になると積み上げられた薪に火が放たれ、年を見送る夜空を焦がして明々と燃え上がります。これを “ひょうけんぎょう” と言い、この火にあたると新らしい一年を無病息災で過ごせるとされ、地元住民の年の瀬の習いとして親しまれているところは、神社などで新年に見られる左義長(歳徳・とんど焼き)に近いものでしょうか。
その昔、海岸部で “ウニ・海栗” が大量発生して漁民の被害が絶えなかった時、一ヶ所に採り集め焼却したものを、慰霊の意味を込めて その殻を焚き上げたのが始まりだそうで、地元 眞巌寺の中興の祖、元達和尚による発始とされています。
この年渡りの間、賀儀取(かぎとり)と呼ばれる二組の村の役目が久木神社に籠もって精進潔斎を務めるのだそうです。
明けて新年、日の出とともに神楽部が船に乗って漕ぎ出し、沖の漁場や湾内で海の神・山の神に神楽を奉納した後 港に戻りますが・・。
今回 “奇祭” と称したのは この後の事。 昨晩、焚き上がらせ今はもうすっかり消えている “ニラクラ” の消炭に潮水を混ぜ、練り込むように掻き回して さながら “墨汁” のような黒い水を拵えます。
用意が整うと、衆人環視の中、二組の男たちが褌(ふんどし)一丁裸姿で “炭汁” を挟んで向き合い、気合もろとも手にした俵を炭汁に投げ込んで 相手に打ちかけるという行為を互いに繰り返すのです。(直接 手でも相手に塗付けたりします) これが “ニラクラ祭り” の本番行事といったところでしょうか。
当然、その場の男たちは皆 頭の先から足元まで真っ黒・墨だらけといった按配・・、 後半には少年たちも交えてまさに墨汁のバトル、この後、港まで戻り岸壁から海へ飛び込み潮水で墨を洗い流し 垢離(禊・みそぎ)を済ませて一連の祭祀を終えることになるようです。
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きれい好きの人が見ると卒倒しそうな 何とも壮烈なリアル泥仕合ですが、身体に “墨” を塗ったり “泥” を付けたりという行為は、結構な頻度で各地に見られる祭祀行為です。
昨年1月にお送りした「婿はつらいよ 越後松之山の婿投げ行事 – 新潟県」でも、新郎新婦の顔に墨を塗付けていましたね。
近年では あまり見る機会も減りましたが、正月 羽根つきでの顔に墨塗りの風習も、これらと同根、神事・・というか “人の願い” に由来するものであり、燃え盛る火の力や大地の力を以てして一年の無病息災や一家繁栄を祈る行為に他なりません。
一見、不合理で不衛生に見える習わしも、そこには古来から続く人々の切実で慈愛に満ちた想いがこもっているのです。(元々羽根つきの墨塗りは罰ゲームではなかったのですね)
九鬼町では期間中、神楽やニラクラでの行事の他にも、久木神社や眞巌寺など地元を挙げて “オコナイ行事” や “弓射の式” また “ブリ祭り” など、人々の年越しの祭事はつつがなく執り行われていきます。
しかし、かつては これら一連祭事の皮切りに、村の子供たちの「松木に米も買う、銭も金ももって代々 良い年取らんせ、ひょうけんぎょうに米買う、銭も金ももって代々 良い年取らんせ」という掛け声の練り歩きも有ったようですが、少子化の現在 その行事はなくなったそうです。
時代が変われば生活も変わり、それまであった風習も薄まり時の彼方へと過ぎ去ってゆくもの。 奇習・奇祭と思われるものも その昔は切実に人々の生活と結びついて存在していたのです。いつかは継承者も絶えて映像記録でしかその姿を留めないかもしれない人々の想い、今の内に そのリアルな実像をこの目に焼き付けておきたいものですね。
場所 : 三重県尾鷲市九鬼町
開催期間 : 2021年12月31日(金)・2022年1月1日(土)
問い合わせ : TEL.0597-23-8261 協同組合尾鷲観光物産協会
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