秋深まり門前町で味わう文明開化の味 – 石川県

門前町、あなたがお住まいの地域に今でもあるでしょうか? その規模の大小はともかく昔はどこの町にも大きな寺社の周りには、商店や卸問屋、宿坊、時に建築・生産を生業とする人々が集まった町が形成されていました。

時代の変遷とともに行政や経済の中心が移り変わると、門前町も次第に勢いを失っていき 現在その姿を留めているのは限られた場所を残すのみとなりましたが、それでも著名な門前町だけでも国内に数十ヶ所が往古の名残りを今に伝えています。

 

古く、お寺や神社は単に宗教的な存在であるだけでなく、その地域における行政や司法を補助的に賄う場所でもあり、時に軍事力を保有することさえありました。
今で言うなら市・区役所に警察・機動隊機能が付加されたようなものですかね・・。
(※ 主に一向宗による寺境内敷地に町が整備されたものは “寺内町” と言います。)

元々、僧侶や神官の生活のために、寺社周辺の田畑から食料を供給させる仕組みが整えられ、その他の生活資材を扱う者も居着くようになると、徐々に流通そして経済の輪が生まれます。
中央から神徳高きとお墨付きを頂いた寺社は 参詣人も大幅に増えるため、宿泊施設も含めて なおさらその規模や内容も大きくなりますね。

長野県 善光寺前の門前町、東京都 浅草寺、滋賀県坂本 延暦寺、三重県 伊勢神宮、香川県 金刀比羅宮、など、今日でも大きな賑わいを見せる門前町は各地にありますが、その多くは江戸時代の頃から参詣・参拝の意義を持ちながらも、観光地としての発展をも遂げていきました。

 

石川県輪島市の「總持寺祖院(そうじじそいん)」は 禅宗の一家 曹洞宗の寺院です。

元始を行基上人開基としながらも、鎌倉時代 1321年(元亨元年)禅宗 常済大師によって改山、以後、能登国における曹洞宗の大本山 “能山” として歴代領主、また徳川幕府の庇護を受けながら地域の大僧院として仏威を示してきました。

明治時代後期にみまわれた大火により大半の伽藍僧坊を失い、これを機に本山を神奈川県に移すことになりましたが、能登に残る本院は「總持寺祖院」として再興を遂げ、今日にその威容を伝え多くの信望を集めています。

 

その名も輪島市 “門前町(もんぜんまち・住所名)”、 この總持寺の門前にも様々な商工人が溢れ賑わいを見せていたのでしょうか、現在の航空写真から拝見しても、山を背に門前に広がる町跡の名残りや道筋がはっきりと見受けられます。

往時とは町並みも そこで人々が営む業態も変わってしまったのでしょうが、現在においても学校や輪島市役所の支所などが置かれていることから見ても、この一帯が歴史的に地域の重要な地点であり、栄えた場所であったことが伺い知れますね。

 

過日、門前町として賑わいを見せていたであろう この場所で、今、現代の門前町イベントとして『門前食堂』が開催されています。その名のとおりグルメの企画、地元飲食店が季節折々の地産食材を使い訪れる人の舌を唸らせるのですが、この秋から冬にかけて振舞われるディッシュが「牛鍋」。

「牛鍋 / すき焼き」といえば今日、神奈川県横浜の発祥と言われていますが、江戸末期から明治にかけて この横浜で、当時まだ珍しかった牛肉の串焼き店を始め牛鍋の創始を成し遂げた “高橋音吉” が、石川県・旧鳳至郡 つまり現在の門前町の出身だそうで、言わば「牛鍋」のルーツに関わる町での「牛鍋」のイベントということになりますね。

因みに「牛鍋」「すき焼き」との違いが気になるところですが、その違いは主に調理方法にあるようで、「牛鍋」は “ナベ” の名のとおり、予め鍋に割り下(スープ)を煮立たせておき そこで牛肉をグツグツ煮るもの、「すき焼き」は軽く味敷きした鍋で肉をジュージュー焼きながら、そこにネギや惣菜を加えてゆくものだそうです。

現在では、その違いも多少曖昧になり「今日 我が家はすき焼きだ!」と思って食べていたものが、実は「牛肉」だったというご家庭も多いでしょうね。 一口に「牛鍋」と言ってもバリエーション豊かなので “牛鍋・すき焼き” どちらの呼び方でも良いと思います。w

バリエーションの言葉のごとく、開催される『文明開化の味! 牛鍋』でも各店舗でそれぞれオリジナルなメニューでお客様をお待ちしています。

「丸山料理店」の原初を大事にした「牛鍋・すき焼き」はまさに正統派の味勝負。
「はしもとや」では「門前そばと牛火鍋御膳」の合わせでちょいピリ辛体験。
「手仕事屋」ではオリジナル「能登牛とラー油でたべる ざるそば」と、最早 牛鍋からかなり離れつつも魅力たっぷりのメニューが目白押しですね。

 

禅宗寺院の門前で牛肉とは、昔ならば “いかがなものか” な風潮もあったかも知れません。 しかし江戸時代、所によってはそれ以前から “肉食” は公では憚られても、小規模に私的に行われていました。

表向き「肉食ではなく薬喰いである」と “ももんじ” の風習が有ったり、ウサギの肉を「これは鳥の肉である」としたり、また 猪の肉を「これは山の鯨である」と謀って料理屋まで存在していたのは「山と海 住む地を越えて紡がれる縁」でも ご案内しましたね。

明治の維新で海外文化がどっと流入し肉食が公となり、牛肉料理が一般化してゆく中で總持寺門前町にも(おそらくは)明治の頃から「牛鍋店」が繁盛していたのでしょう。

秋も深まり寒さも募ってゆく中「牛鍋」は身体も温まり精も付く絶品料理です。能登の古刹「曹洞宗 大本山 總持寺祖院」ご参拝のお帰りに立ち寄られては如何でしょうか。
※ 予約が必要な店舗もございます。詳しくはホームページなどからご確認ください。

 

『曹洞宗 大本山 總持寺祖院』 公式サイト

『文明開化の味! 牛鍋』 公式サイト  イベントチラシはこちらから 表面 裏面

 

 

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