寒暖相まみえる下北の情景 馬そして河童 – 青森県

本州最北の地 下北半島、2019年5月にも恐山の記事でご案内させて頂きました。
その形状から “まさかり半島” の異名を持つ この “道の奥の国” から、HOTな伝承とCOOLな余聞をお届けしたいと思います。(※ 恐山は11月〜4月まで閉山しています)

 

恐山の東方40km、まさかり半島右肩の突き出した部分、尻屋崎東通村、120年の歴史を持ち国内最大級のレンズと照光度を誇る “尻屋崎灯台” が、津軽海峡の道標となっているこの地に「寒立馬(かんだちめ)」と呼ばれる馬が放牧されています。

比較的、寒さに強い生き物とされる “馬” 、北海道やそれより以北のロシア地域でも生活していることから見ても 寒さに強かろうことは分かるのですが、それでも海峡の海風に吹きすさぶ吹雪にまみれながらも、立ち続け 生き続けるその姿は見る者に畏敬の念すら与える佇まい。

 

古き岩手県、南部藩の “南部馬” は当時屈指の名馬として知られた在来種でしたが、後の品種交雑によってその純血種は絶えてしまいました。軍用など大型化が図られ続けた結果です。

江戸時代に南部馬の直系を受け継ぐ “田名部馬” が下北で牧養されるようになり、寒冷な気候にも負けず この地に根付いたのが現在に続く “寒立馬” の祖先、つまり “南部馬” の直系かつ純血をルーツにもつ唯一の存在でもあるのです。

寒冷地ということは食用の草も肥沃に育ち難い状況にあるということ、されど少ないながらも自然に与えられた草を精一杯食み、峻厳な気候に打ち勝つ身体を時と共に身につけていった “田名部馬” は、朴訥としながらも力強い農用馬として重用されてきました。

 

しかし、時代の変遷とともに農業その他の機械化が進むと “田名部馬” の需要も減り、自然放牧が基本だった飼育も半ば放置に近い状態へとなっていきます。
かつて東通村を中心とした一帯に数百に届く数だった頭数も、平成7年(1995年)にはたった9頭にまで減ってしまったのです。

このままでは “南部馬” の血を引く馬が完全に失われてしまう・・、南部馬二の舞いは避けるべき。と市を上げた保護活動が創始展開され、現在では50頭程にまで回復しているとか・・、県の天然記念物にも指定されました。

【東雲に 勇みいななく寒立馬 筑紫ヶ原の 嵐ものかは】
(明け方 筑紫ヶ原に吹きすさぶ寒風も ものともせず 勇ましくいななく寒立の馬 )

昭和45年、尻屋小中学校の学校長 岩佐勉 氏によって詠まれた句から「寒立馬」の名が広まり定着したと言われます。

寒風にめげず朴訥に、そして雄々しく立ち向かうその姿には感動とともに学ぶところもあるでしょうか・・ 放牧の開放期は限られていますが、機会があれば一度は見てみたい尻屋崎の一景です。

『 寒立馬 』 参考サイト 公益社団法人 青森県観光連盟

※ 放牧期間や天候状況にご注意ください。

 

さて 一端、基点を恐山に戻して・・、

恐山といえば 日本三指に数えられる大霊場であり、噴石硫黄と白煙 独特の景観を背景に古より数多の信心を集めてきたことはご存知のとおり。 現在は恐山菩提寺を “曹洞宗 円通寺” が修めていますが(室町〜江戸初期にかけて開就)、平安時代の初期、ここにはじめて霊場を開いたのは天台宗の座主 慈覚大師(円仁)でありました。

恐山のみならず下北の地をくまなく行脚した大師でありましたが、半島の中ほど薬研(やげん)を訪れたとき、ひとつの事故に遭ってしまいます。 神仏の加護か結果的に事なきを得るのですが、その時の不思議なお話をひとつ・・。

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貞観(じょうがん)4年(西暦862年)、今から一千百余年の昔、円仁慈覚大師(えんにんじかくだいし)が恐山を開山した後、薬研係留を訪ねることになりました。大使が釜の沢を越え、大畑川をさかのぼって薬研に行く途中で夕暮れになってしまいました。大師は道に迷い、崖から足を踏みはずし、大怪我をしてしまいました。

大師は渾身の力をふりしぼって断崖からはい上がり、川原で体を休め困っていたところ、どこからともなく大きなフキの葉っぱをかぶった一匹の河童が現れました。河童は怪我で苦しんでいる大師を背負っていずこともなく運び去ってしまいました。

翌朝、大師が目を覚ましたところ、体ごと大きなフキの葉っぱに包まれ、露天風呂の中に入れられていました。

そして、不思議なことに、昨日の痛みはすっかり消え失せ、渓谷を渡る夜明けの風もさわやかに、もとの元気な姿に返っていました。

大師はこの奇怪な行為をことのほか喜び、河童の義心に感激して、その温泉を「かっぱの湯」と名づけたといいます。

それ以来、満々とたたえられたこの露天風呂の湯に満月が映ると、大きなフキの葉っぱをかぶった年老いた河童が、あし笛をならしながら踊る姿が見られたといいます。

出典「古畑一雄著 古畑家由来記」

ーーーー 文章 奥薬研温泉レストハウス HP より転載 ーーーーーーーーー

 

功徳高き大師のこと、事故にまみえても このような神仏救済は有って然りなのでしょうが、登場する河童が何ともユーモラスで良いですね。

伝承話を拝借した奥薬研温泉では「かっぱの湯」に加えて「夫婦かっぱの湯」も併設しているとか・・、 これを聞くと 昭和時代、一世を風靡した清酒 “黄桜” のCMでも有名な漫画家 小島 功(こじま こお)氏による、 “カッパ家族” を思い出してしまうのは私だけでしょうか。

地域柄、どうしても旅行には季節的な制限が多少あるかも知れませんが・・、東北みちのくの山海、尻屋崎で「寒立馬」の厳しい寒さに生きる力強さを学んだら、後は一転「かっぱの湯」で まったり温まりくつろぐというのが、結構 贅沢な内容だと思うのですが如何でしょう・・。

『 奥薬研温泉レストハウス 』 かっぱの湯 公式サイト

※ レストハウス&日帰り入浴施設であり、宿泊施設ではありません。ご注意ください。

 

 

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