今年は秋の入りが早かったのか、それとも遅かったのか・・、彼岸を越して朝晩涼しくなってきたなと思う間に、また夏を思わせるような気温が続き、コロナの小康状態だの解散選挙だのバタバタしている内に、また気温も急激に下がってきました・・。
秋の行楽や楽しみをしっかり味わわないままに、このまま冬の寒さを迎えてしまうのか気がかりなところ、山々を紅く染め上げる紅葉の記事を書くにもタイミングが難しい・・。
春の桜前線と逆に北から南へと南下する紅葉前線、既に関東以北では見頃を越えつつある所も少なくないのですが、群馬県高崎市にある『徳明園』は、庭園の規模とそれを彩る紅葉の美しさ見頃が長いことで知られているそうです。
そして、この『徳明園』は 高崎に大きな足跡を記した、ひとりの人物により今日に残されたものでもあるそうです。
『徳明園』
明治18年、新潟県柏崎市に生を受けた “山田徳蔵” は、行商のため群馬県高崎市に立ち寄ることしばしばでした。
古くより高崎(たまち)は、北陸、東北地域と江戸を結ぶ交通の要衝であり、とりわけ流通の結節点でもあった田町は、人と物が集まり流れる一大産業都市であり「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と謳われたほどだったと伝わります。
徳蔵は高崎の賑わいと経済力、そして先進性に打たれた徳蔵はこの地で立身することを決意、高崎に住まいを移した後「山徳呉服店」を開業したのです。
持ち前のバイタリティのみならず、商品や商法に創意工夫を重ねて販路を切り拓く徳蔵の商いは、当時の進歩的な世情に合致したようで、時経たずして県下一円にその名を轟かせることとなります。 大正時代になる頃には故郷新潟、そして東京にも支店を構え、ついには中国大陸にまで取次店を置く程に至りました。
商いによる大きな成功と社会的地位を得た徳蔵は、当然のことながら経済界をはじめ各界とのつながりを深めてゆき、名実ともに高崎の大名士となったわけですが・・、しかし、徳蔵本人は至って質素で、奢ることを知らぬ人柄であり、余程のことがなければ晴れやかな場にすら出たがらない性分だったと言われています。
その性格の背景には幼い日より培われた仏への信心があったようで、商売での成功に反して「財を私せず」を座右の銘としていた、と言われるほどに我が身の生活は慎ましやかであったと伝わります。
その徳蔵が34歳にして思い立ったのが、私財を賭して、高崎市民への報恩の意を基にした憩いと心の拠り所を提供する場『洞窟観音』と それを取り巻く『庭園・徳明園』の建設でした。
古くから人々の信仰と安寧、そして観光的な面をも持ち合わせた “札所巡り” というものがあるのはご承知のとおり、北関東地方にも名を連ねた霊場が点在しますが、いざ、これらを巡り札を納めて回るというのは、仕事を持つ者、年老いた者など何かと及ばぬところも多いもの・・。
これら、当時としては手間暇の掛かる “札所巡り” を高崎の一所で代替に済ませ、同じご利益にあやかることが出来、同時に深遠な観音世界に触れてもらおうという発想は、信仰に基づいた徳蔵ならではのものでありましたが、これは同時に他の意図をも含んでいました。
それは、その時代の凶災であった戦争・爆撃に対する避難所としての役割をも持たせようというもの・・、当時ならではの用途であり、実際に軍部からも模範的な民間防空壕として認められていたようです。
さらに徳蔵には この『洞窟観音』をして高崎市民への報恩のみならず、平和の時代が戻ったならば、市への観光集客を高め 国際的な交流の一助となる構想さえ抱いていたと言われ、商才に長けていた徳蔵ならではの柔軟な考え方と言えるでしょうか・・。
『洞窟観音』の坑道長は400メートルにも及び、そこに安置された観音像は39体を数えます。 名工 “高橋楽山” をして彫り上げられた幾多の像は、単に並べられるのではなく、其処此処に創造された 極楽浄土を思わせる三次元空間に配置されていて、その創作に関わった徳蔵の美的センスの高さを思わせます。
一見、鍾乳洞と見紛うばかりの神秘な様相は 浅間山から運んだ噴石により作られており、これも地上に楽土を再現するという徳蔵の意識とアイデアからなされたものと言われ、とても人の手によって作られた人工洞窟とは思えない世界観を醸し出しています。
洞窟観音を抱くように興された『徳明園』は 6000坪の広さを持つ北関東屈指の日本庭園で、その作庭には造園家 “後藤石水” 、建築に “金子清吉” という二大巨頭ともいえる人物が関わり造園されています。 ・・が、ここでも 洞窟採掘時に出た砕石を造園に利用し、高低差のある庭園を作り上げるという徳蔵のアイデアが生かされています。
池泉回遊、枯山水、石庭、苔庭 と四季折々の風雅を映し出すとともに、ここにも 地上の楽土を思わせる観音信仰が、そこはかとなく反映されていることは想像に難くありません。
春夏秋冬、それぞれの美しさ、侘び寂びを表現する日本庭園ですが、目も覚めるような秋の紅葉に彩られた真紅の妙はまた格別なもの、足の早まる秋の気配の中 北関東の紅葉の見納めも間近の様子、明治から昭和にかけて生き名士となりながらも、世の安寧を思い遺徳を遺した徳蔵の 妙なる庭園と楽土の世界をご覧になられては如何でしょうか。
気温など変化の激しい季節柄、暖かい羽織物など一枚多めに持ってお出掛けください。
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