解ったような解らないようなタイトルになってますね・・すみません・・
要するに月曜、火曜・・一週間の各日を表す “七曜” っていつ頃から使われ始めたのか?というお話です。
「次の日曜日はデートの予定」「先週の木曜日は会議でした」 現代では何気もなく使っている “七曜” ですが、これが時代劇などで使われたりすると途端に違和感MAXになってしまいます。
「沙汰は金曜日に言い渡す!」
「吉良邸 討ち入りは次週月曜日と決まりもうした!」※(事実 月曜日だったようです)
では何か締まりませんね(笑
先日「昭和テロップ」の記事の中で次の一文を書きました。
「・・考えてみれば、明治・大正期よりも以前(昔)にもなれば ”一週間” の概念も薄く ”休日” の日取りも人それぞれで、”家族でお出掛け” などという行事そのものが希薄であったという。・・元記事」
つまり、日本において “昔” には 月曜日、日曜日などに関わる生活様式もなければ、人々の感覚も あまりなかったということになりそうです。
答えを先に言ってしまえば、日本の一般生活において「七曜 / 一週間」の概念が導入されたのは明治時代になって以降ということになります。 これには日付を表すためのもう一つのフォーマット「暦」の切り換えと大きく関わってきます。
明治5年12月2日 それまで一千年に渡って使われてきた太陰暦(太陰太陽暦)を廃止、翌日から太陽暦を施行、明治6年1月1日として新暦の発効としました。(ここから、現在でいう旧暦との一ヶ月程の差が生まれます)
世界的な標準となりつつあった西暦に合わせて「暦」を変更し、これに合わせて七曜の一般への周知と定着を図りました。明治9年 官令により「同年4月1日より、日曜休暇、土曜半日休暇」の布告がなされ、言うなればこれが日本における七曜の実質的なスタートラインと言えそうです。
どのような施策でもそうですが、布告がなされ官務はこれに従ったものの、一般への定着には相応の時間が掛かったようで、中には半世紀経った昭和のはじめ頃まで、旧来の様式に沿って生活していた人たちも少なくなかったとか。
明治以前、曜日を基準に生活していなかった時代、休日などは職種や個人によって まちまちであったようです。
曜日はなくとも日付はあったので、十日ごとを休日とする人、朔日(月始めの日 / ついたち)もしくは 晦日(月の末日 / みそか)と月中日を休日とする人など、職業ごとの都合や慣習に沿って それぞれ生活を定めていたのですね。
後、民衆の生活に大きく影響を与えていたのが「暦注(れきちゅう)」、 薄らいだとはいえ現在でも言及される “春分” や “冬至” “立秋” などの「二十四節気」、”節分” “彼岸” “土用” などの「雑節」という季節の移り変わりを伝える暦日、 そして “大安” や “仏滅” “友引” などで知られる「六曜」ですね。
つまり、現代に比べて 明確な期日というよりも、より自然の移ろいに寄り添いながら吉兆を重んずる生活だったと言えるでしょうか・・。
さて、それでは明治時代に導入されるまで “曜日 / 七曜” は 存在していなかったのかというと然にあらず。 何と平安時代には存在していたといわれています。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の・・」で知られる平安朝の覇臣 藤原道長が遺した「御堂関白記」にも七曜の併記がなされていたそうです。
そもそも 日本における “暦” の歴史は飛鳥時代、大陸から導入された元嘉暦(げんかれき)を始めとして、平安初期に弘法大師によって持ち帰られた「宿曜経」に連なる宣明暦(せんみょうれき)をもって綴られており、800年以上使われた宣明暦には曜日の概念が反映されていたといわれています。
暦と節気、季節の移ろいで事足りていた一般民衆に、七曜が流布されず どのように活用されていたかというと、主に吉兆を占う占星の目的で用いられていたのだとか・・。
平安時代ならば、さしずめ “安倍晴明” あたりが使っていたのでしょうかね・・。
月、火、水、木、金、土、日 と、天空を巡る 太陽系の星々と縁深き名付けですが、元来の発祥は大陸よりもさらに西方 ヨーロッパ圏であり(一説には古代バビロニア)、キリスト教の東方伝播に伴いオリエント経路を辿って中国へと伝えられ、時を経て上の弘法大師の「宿曜経」へつながったともいわれています。
因みに現代の日本においても 元号年期の併用や一部に旧暦の需要があるように、世界の多くの国で “西暦” を規範としながらも、独自の暦法を使用している所も少なくありません。
同じように “七曜” についても些かの違いがあるようで、分かりやすいところでは宗教的・歴史的な慣習からカレンダーの週始めを “日曜日” としていることが多い日本やアメリカ、記載規格統一のため却って “月曜日” を週始めとしているヨーロッパ圏の違いなどがあり・・。
また、宗教的な伝統をもってポルトガルや一部の東欧諸国では、”土曜日” と “日曜日” 以外は “第2曜日” “第3曜日” などの数記呼びを習慣としている国もあるそうです。
今日、私たちが何気なく使っている “七曜” や “暦” の向う側にも、数百数千に連なる時や地域の歴史が息づいていることを思うと、遠大な歴史ロマンを感じますね。
そして、現代の生活に日付や曜日は欠かせないものですが、それらの明確な基準が無い時代でも、季節の移ろいに沿ってそれなりに暮らせていたことにも、ちょっとした憧れを抱いてしまうのです。