「内陸県」日本の中で海に面していない県は全部で8県有るそうです。
栃木県、群馬県、埼玉県、山梨県、長野県、岐阜県、滋賀県、奈良県、
細長い形状をした列島の内陸部、つまり日本という海面より突き出た島の中央部、山で言えば高地にあたる部分に属した土地ということになりますね。 言い換えれば ”本州ヶ岳” の稜域部分の国々とでも言えましょうか・・。
必然的に山間地であることも多く、東京や大阪、名古屋といった大都市圏に接した町を除いては、地方の環境に生きてきた場所とも言えますが、それだけに自然豊かな土地柄でもあり、今日、人の心を潤す清涼の行楽地も これらの県に集中しています。
とは申せ、今でこそ、これらの県でも 車を1~2時間も走らせれば見ることの出来る “海” ですが、・・どうでしょう、少なくとも 明治・大正の頃までは ”一生の内に一度も海を見たことがない” 人もそれなりに居られたのではないでしょうか・・?
いわんや、庶民の旅行にも制限のあった江戸時代を含め、生きることに手一杯だった往古の頃には、海を見たことがある人の方が極僅かだったかもしれませんね・・。
民話や伝承はその土地の風土に強くまつわって生まれ語り継がれるものですが、中には他の土地から来訪した、行商人や御師(おんし・布教と参拝を勧める人々)行者たちから伝わり、その土地に根付いた話も少なくありません。
人魚の肉を食したために望まぬ不老長寿の身となり八百年の巡歴を成したと伝わる「八百比丘尼伝説」、あまりの不思議さと哀愁の物語故か全国津々浦々に残りますが、古来、海からは遠かった美濃国(岐阜)にもユニークな形で残っています・・。
先ずは木曽川に面した羽島に残るお話・・
「比久尼屋敷」
さても今は昔 この村を束ねる名主のこと
この名主 人柄も穏やかで気遣いもあったので 村人からも慕われておったとな
馬を乗り回すを好み操るにも優れておったので 晴れた日などには野山を駆ける姿をよう見かけた
今日も今日とて田の見回りに愛馬を駆って あちらこちらを見て巡ったそうな
昼も過ぎようかという頃 一度 家に戻るかいと木曽川の浅瀬に馬を乗り入れた
ザブリザブリと川を渡って中程まで来たとき どうしたわけかパッタリと馬が動かんようになってしもうたと
こんなところで止まっていては どうにもならんと 馬に鞭入れ先を急かすもさっぱり動かん
どうしたことかと焦っておるうちにズブズブと音をたて ついには馬もろとも名主は川に沈んでしもうたそうな
さあ 村は大騒ぎになった 名主さんが川に流されたと村人総出で川下を探したが どうにも見つからん 馬具のひとつもおろか名主の手拭い一枚流れてこんかったと
田仕事もおいて幾日となく探したが何の手がかりも見つからず とうとう十日目にあきらめて葬式を上げることになったのやと
そんなことがあってからも月日は流れ 今日は名主の三回忌
名主の家に坊さまが呼ばれ 村の者も次々と集まり法事を営んでおった
ところが 皆でお斎をよばれておったとき 表で何やら騒ぎがする
見ると 何ということか馬に乗った名主が沈んだときの姿そのままに帰って来たではないか
そりゃもう 皆 腰を抜かすほど驚いたのなんの
確かに 仏さんも無いままに済ました葬式であったが あれほどに見つからんかった名主さんが いきなり姿を見せたもんで幽霊やないかと怯える者もおったほど
いったいこれまで何処に行っておったのかと 皆に囲まれ名主は話しはじめたそうな
「いや あの時はわしも もうこれまでと腹を括ったのだがな・・」
「ふと気づいてみると そこは竜宮城だったのや それはもう毎日楽しい日々じゃった」
「そして 帰り際に渡された土産がこの人魚じゃ」
と 懐から何とも小さな可愛らしい人魚を出して見せ それを一人娘に授けたのやと
父の土産の小さな人魚を娘は大事に育て また何年かの穏やかな月日が流れた
ある年 来る日も来る日も雨が降り続き 止む気配がない
木曽川の水かさは増え続け やがてドウドウと音をたてて泥水にまみれる始末
ついには堤が切れてしまい 溢れ出した水は 村の田畑も家々も そして住んでいた村の民をも全て洗い流してしもうた
やがて雨があがり 大水も引いた後 泥と瓦礫だけが残った村・・
そこに 只一人 生き残っていたのが名主の娘やった
育てた人魚の背に乗って助かったのだと
助かりはしたが 父母家族はもとより 村の者も誰も居らんようになってしもうた
延々と広がる砂と泥のむなしい景色の中で 只一人生きながらえることは身を裂かれそうなほど辛いことやった
いつしか娘は出家して尼となり 長い巡礼の旅にと出たそうな
何十年と経って村に戻り住まいを得ていたというが 不思議なことに旅立ったときと同じ姿で まるきり歳をとっていなかったと・・
その後も歳をとらぬまま八百年を生きて その地で入寂したという
尼の住んでおったところを 比久尼屋敷 と呼んだそうな
名主の失踪事件や、途中、竜宮城の話なども出てきて 何やら複数の民話が習合したような話となっていますが、民話とは本来 そういった側面を持つものなのでしょう。
内陸部の川に入って竜宮城とは如何に? といった感じですが、そもそも竜宮城が海の底といった概念は比較的 近代に固定されたものであり、元々 竜宮城とは中国神仙思想に語られる “蓬莱(ほうらい / 理想郷)” のことであるとの説もあり、要するに名主は一時 異界に過ごしていたということになるでしょうか。
ともあれ、終盤では悲しい展開となり、”八百比丘尼” に関わる伝承には哀寂の色が拭えないようです。。
次回も もう一編、岐阜県から “八百比丘尼” に連なるお話をお伝え致します。